629話 流転する才能
数日後。
融和都市ファント。
「違うッ!! 相手の動きを見るのではない! 動き出しを見るのだッ!」
「っ……!! ハイッ! もう一度ッ!!」
黒銀騎団の駐留する詰所の中庭では、威勢のいい声が良く晴れた蒼空に響き渡っていた。
そこでは、陽の光にギラリと黒く輝く大剣を握ったテミスと、短剣を手にしたアリーシャが訓練に励んでいる。
そんな姿に、通りがかる兵士たちは皆、温かな視線で見守ると同時に口元を僅かに緩めた後、胸を張って各々の仕事へと戻っていっている。
「ハァッ!!」
「――っ!! 右肩ッ!! そこッ!!」
「ムッ!!!!」
不敵な笑みを浮かべたテミスが、短剣を構えたアリーシャに向けて大剣を振り下ろす。しかしその直前。アリーシャはまるで狙いを先読みしていたかのように己の体躯をヒラリと捌くと、テミスの放った一撃を華麗に躱して、鮮やかなステップで懐へと飛び込んだ。
刹那。時が止まったかのように二人の動きが止まり、何気なく様子を眺めていた兵士たちの顔にも緊張が走る。
「っ……とと……。驚いた。まさかもう身につけるとは……」
けれど、そんな心配を吹き飛ばすかのように、テミスは笑顔を浮かべてアリーシャから一歩退いて身を離す。そこでは、アリーシャが手に握った短剣を、いつの間にか大剣から片手を離したテミスの手が、がっちりとその刀身を掴んでいた。
「ひひっ、びっくりした? 私、お客さんの動きを見るのは得意だから」
「なるほど……」
そう言って得意気な笑みを浮かべるアリーシャに、テミスは頷きながら相槌を打つと、自らの剣を傍らに突き立てて嘆息する。
ここ数日。アリーシャの仕事の合間に稽古をつけただけでわかったが、彼女の潜在能力は予測を大幅に上回っていた。確かに、今の一撃は振りも大振りだし、正眼に構えた剣を振り下ろすだけの、速度も力も抑えた単純な一撃だった。
だがそれでも、剣を握って数日の者には十分な早さなのは間違いない。しかも、それを易々と躱しただけではなく、アリーシャはテミスが一応に狙いを付けていた場所も正確に言い当てていた。
「フッ……そう考えると、短剣は正解かもな……」
「うん! すっごく使いやすい! 最初はこんなに小さいので大丈夫なのかな? って思ったけど、凄く動きやすいの!」
「あぁ……」
テミスの呟きに応じたアリーシャが、手慣れた動きで短剣を数度閃かせた後、まるで舞を踊るかのように華麗な足裁きで辺りを動き回る。
その淀みない動きはまるで、習熟した暗殺者や短剣使いのそれを眺めているようで、テミスは自らの手が本能的に大剣の柄へと閃きそうになるのを、必死で押し留めていた。
「んっ……? アリーシャ。今のは?」
「え? 今のって?」
「いや。今中腰で……何かを掬うような動きをしなかったか?」
「あ~……遂にバレちゃったか……。流石によく見てるね……」
その最中。
アリーシャの動きの一部に違和感を覚えたテミスが問いかけると、アリーシャははにかむように笑いながら、ポリポリと頬を掻いた。
「ん……ああ。どんな相手を想定していたかはわからないが、余程の理由が無い限り、短剣で腰回りは狙わないからな。今のアリーシャの動きだと、脚甲に防がれるか……最悪タセットに弾かれて隙を晒す事になる」
「あ~……そっかそっか……。じゃあ、コレは止めとこうかな?」
「コレ……?」
「んっふっふ~。そ。コ・レっ……」
テミスの説明を受けたアリーシャは、まるで悪戯っ子な様な笑みを浮かべて何度も深く頷いた。その傍らでテミスが首を傾げると、アリーシャは得意気に笑みを浮かべたまま、先程テミスが目を止めた、掬い上げるような動きを繰り返して見せる。
その動きには相変わらず淀みは無く、ともすれば既視感すら抱くような動きで……。
「っ……あぁっっ!!! まさかッ!!?」
その動きの真実に辿り着いた衝撃は。テミスでさえも、思わず大声をあげてアリーシャを指差してしまう程だった。
「ふっふ~……。正解。今のはお皿を回収する動き。私が知ってる体捌きなんてこれくらいだしね」
「っ…………!!!」
あっけらかんと言い放ちながら、アリーシャはひらひらとその手に持った短剣を弄びながら胸を張る。
しかしその正面で。テミスは二の句が継げぬほどに絶句していた。まさに、驚天動地とはこの事なのだろう。
妙に熟練した動きだとは思っていたが、まさかこれまで宿屋で培った動きを、短剣での戦闘術へ転用しているとは……。
「ネ、ネ……。じゃあコレは?」
「っ……! ……? ジョッキを差し出す時……か?」
「正解ッ! 次は~……コレッ!」
「そうかっ……! 客を躱す時の……!!」
そんなテミスに、アリーシャはニコニコと笑いながら、次々と独自の型を見せて問いかける。
確かに、事前に知らされてから改めて動きを見ると、早さや鋭さは格段に違えど、アリーシャがしていた動きはどれも、共に働く時に、テミスがいつも目にしているものだった。
「……凄いな。いや本当に……」
「本当? えへへ~……私そういうの、本気にしちゃうよ?」
素直なさんじをテミスが告げると、動き回っていたアリーシャは照れくさそうに後頭部を掻きながら満面の笑みを浮かべる。
「あぁ――」
「――えぇ。素晴らしい動きだと思いますよ。まさか数日でここまでとは……僕も驚きました」
微笑みを浮かべたテミスが、素直な賛辞を送ろうと口を開きかけた瞬間。
パチパチという拍手と共に、柔らかな笑みを浮かべてルギウスの声がそれを遮る。
「ルギウス……何の用だ? 見物なら構わんが今は私が教えているのだ。乱入はご遠慮願いたい」
「勿論弁えているとも。でも、申し訳ないけれどこれは、仕事の話だよ」
自らの賛辞を邪魔されたテミスは、意趣返しをするかのように、ピクピクと皮肉気に口角を釣りあげて突如現れたルギウスに軽口を叩く。
しかし、ルギウスはクスリと不敵な笑みを浮かべ、柔らかにそう告げたのだった。




