628話 意地と矜持
――わかっている。
閉ざした視界の中で、フランコは声なき慟哭を漏らした。
集結させた主戦力を打ち破られた今のロンヴァルディアに戦う力は無い。
死亡者は傷病者なんて見たくも無い程の数にのぼっている。
だからこそ、現況を鑑みるのであれば、フリーディアの言う通り、テミスと……融和都市ファントと和平を結ぶのが正しいのだろう。
だが。
「無理だ……あり得ない……。不可能だッ!!」
フランコの脳内では、理性という名の知性が叫びをあげていた。
少し考えてみれば当たり前の話だ。
我々は連中を……彼女たちを滅ぼさんと軍勢を差し向けたのだ。それも生半な数ではない。ロンヴァルディアという国の存亡をかけるほどの大軍勢をだ。
彼女たちを討ち滅ぼし、蹂躙し、征服する。ロンヴァルディアの……ひいては人類の為とはいえ、その事実に変わりは無い。
そんな相手と和平を結ぶなど……返り討ちにした敵に手を差し伸べるなど、常識的に考えてあるはずが無いのだ。
「っ……!! そうだ。今まで散って逝った者たちはどうなる?」
今度は、胸の奥底から。どろりとした自分の声が反響するように響いてくる。
ここで和平を結べば、ひとまずの安寧を得る事は出来るかもしれない。
だがそれと引き換えに、ロンヴァルディアはその歴史に大きな汚点を残す事になる。一度とはいえ、魔族などという人類の仇敵と手を結んだという恥ずべき汚点が。
そして、フランコ個人の感情としてもそんな選択は、煮えた鉄を飲み下すよりも遥かに苦痛を覚えるものだった。
「戯れ言もいい加減にしてください。姫」
「…………」
「衛兵。フリーディア様と白翼騎士団を牢へ」
「ハッ!!」
「クッ……!! フリーディア様ッ!?」
フリーディアの眼前で、静かに目を開いたフランコがそう命ずると、壁の際で彫像のように控えていた衛兵たちが動き出し、フリーディア達を取り囲む。
それに対し、カルヴァス達は一瞬だけ躊躇いを見せるも、押し寄せる衛兵たちに抗うべく拳握り、構えを取った。
だが、彼等の中で唯一帯剣しているフリーディアが動く事は無く、ただ静かにその燃えるような瞳をフランコへ注ぎ続けていた。
「優秀なあなたなら解るはずよ。フランコ。堕落した父を今日まで支え、このロンヴァルディアを守るために指揮を執ってきた貴方なら」
「理解できませんな。魔族は敵であり脅威です。そんな連中と手を結ぶなどあり得ない事です。……姫とはいえ、相応の処罰は覚悟されてください」
「っ……!!! 何故解らないのッ!? あなたはこの国の民を滅ぼすつもりッ!? この機を逃せばそれこそ、ロンヴァルディアとヴァルミンツヘイムが手を取り合う機会は無くなる……これが最初で最後のチャンスなのよ!?」
断固たるフランコの言葉に、遂に溜まりかねたフリーディアは叫ぶように声を荒げた。
何故こうも不毛な殺し合いを続けたがるのか、フリーディアには全く理解ができなかった。
あの戦鬼のようなテミスが、ようやく平和を目指すと言ってくれたのだ。守るべきものに目を向け、一度見限った私達とも肩を並べるようになった。
けれど、この瞬間に私達も歩み寄らなければ、ようやく見えた平和への兆しは途絶えてしまうだろう。
間違い無く、ここが運命の分かれ目だと、フリーディアは確信していた。
「貴女こそ、なぜお分かりにならないッ!! 魔族と手を組み……あまつさえ我等同胞の前に立ちはだかったなど……散って逝った戦友たちの前で、友や家族を喪った者たちの前で、今と同じ言葉が吐けるのですかッッ!?」
「えぇ。言えるわ」
「なっ……!?」
声を荒げたフリーディアに対抗するように、フランコは叱りつけるかのように怒鳴り声をあげた。
だが、フリーディアはそんなフランコの言葉に淀みなく答え、その身に纏った覚悟は周囲を囲む衛兵たちにも息を呑ませる。
「この機を逃せば夥しい量の血が流れるわ。それは私達ロンヴァルディアだけではなく魔王軍と……そしてファントも」
「覚悟の上だ!! 命を賭して戦った戦友たちの為にも、我等が足を止める訳には――」
「――それは違うわ。根本的に間違っている」
シャリン。と。
言葉と共に、フリーディアは鮮やかに体を捌いて抜刀すると、その切先をフランコへ向けて言葉を続けた。
「戦いの中で死んでいった人たちも、今こうして武器を取って戦っている人たちも、望むものは同じのはず」
「何という事をッ……!! は……反逆行為だぞ……!?」
「私を見なさい。フランコ。皆は平和の為に……未来の為に戦っていた。あなたは……どうなの?」
「殺すと云うのか……? 私を……ッ!?」
剣に力を籠め、自らを睨み付けるフリーディアに、フランコは掠れた声で問いかけた。
彼を守護するはずの衛兵たちもフリーディアの気迫に怯え、青ざめた顔で遠巻きに武器を構えている。
「……あなたの答えによっては、そうなるわね。今ならテミスの気持ちがわかるわ。あなた一人の命で沢山の人の命が救えるのならッ……私はッ……!!!」
拳を固く握り締め、そう言い放ったフリーディアの声は震えており、その見開いた目からは涙が溢れている。
フランコへと向けられた切先が揺れる事は無く、それはフリーディアの覚悟を示していた。しかし、その柄を固く握り締める手から、赤い血が一筋。白く輝く彼女の甲冑に滴っていた。
「フリーディア……様……貴女は……」
そんな、鬼気迫る表情で自らを見据えるフリーディアに、フランコはぺたりと床に尻もちをつくと、弱々しい声を漏らしたのだった。




