621話 想いは全て、刃に込めて
翌朝。
テミスは黒銀騎団詰所の中庭で、アリーシャと対峙していた。
周囲には、マグヌスやサキュドをはじめとする兵達が見物に集まり、その様子を固唾を呑んで見守っている。
「…………」
「…………」
その、人でできた輪の中心で、テミスはただ無言で佇んでいた。
――何故、こんな事になっているのだ。
昨日から延々と渦巻く疑問が、テミスの胸を苛む。
だがしかし、何度考えても答えは同じ。互いに一歩も譲歩する事ができないのなら、身を引いて距離を置くしか解決策は無いだろう。
お互いが傷付かないように、不快な思いをしないようにするにはこれが最適な答えの筈だ。
だというのに。
アリーシャは何が気に入らないのか、無謀な決闘まで挑んでくる始末だ。
「……ではこれより、テミス・アリーシャ両名の決闘をはじめる。双方、前へ」
「……」
「はい」
何故か神妙な顔で立ち合いの役を担っているルギウスがそう告げると、アリーシャは短く返答を返すと、背筋をピンと伸ばして進み出る。
対するテミスは、ただ無言でゆらりと歩を進め、心ここに非ずといった様子で佇んでいた。
こんな事をしても意味は無い。それは、アリーシャ自身も理解している筈だ。
百度やっても百度私が勝つ勝負……アリーシャは何故、こんな……。
「決着はどちらかが負けを認めるか死亡するまでとする。では双方……構え」
「っ……!!」
「…………」
よろり。と。
号令に従って大剣を構えただけで、姿勢を揺らめかせるアリーシャに対して、テミスは静かに己の愛剣を構えて見せる。
そもそも、扱っている武器からして勝敗は見えている。
テミスが持つ、最高硬度を誇るブラックアダマンタイト製の大剣が、持ち主の意志に呼応して重さが変化するのに対し、アリーシャが構える大剣は、業物ではあれど鋼の大剣。
その性能差に天と地ほどの差があるだけではなく、筋力や技量を取った所で、何一つアリーシャがテミスに勝っているものは無い。
「フゥ……」
それでも。
テミスへ鋭い眼光を向けるアリーシャを見て、テミスは小さくため息を吐いた。
要は、『憂さを晴らさせろ』という事なのだろう。勝てないと理解しての決闘に意味を見出すならばそれ以外には無い。
つまるところ、私はアリーシャが満足するまで、訓練にもならないような彼女の攻撃に付き合えば良い。
「始めッ!!」
「ェァァァァァアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!」
「っ――!?」
しかし、そんなテミスの考えは、ルギウスが開始の合図を告げると共に放たれた、アリーシャの気迫によって彼方へと消し飛んだ。
周囲で見守る兵達すら驚きに目を見開く程の咆哮を上げ、アリーシャは真正面からテミスへ向かって鋭く飛び込むと、構えた大剣を一直線に振り下ろした。
「セェッ!!」
「っ……! ……」
「ゥッ……アアアアアッ!!!」
「…………」
だが、彼女が放つ斬撃は悲しい程に緩やかで、一撃目こそテミスに神速の速さで防御の構えを取らせたものの、続く二撃目以降はまるで児戯の如き剣戟が繰り広げられる。
そんな退屈であろう打ち合いが続くなかでも、周囲の兵士たちはまるで祈るかのように緩やかな剣戟を注視し、テミスとアリーシャの一挙手一投足に注目していた。
「こっ……のッ!!」
「フゥ……」
「――っ!!! こっちをッ……!!! 見なさいよッッ!!!」
「あぁ……」
一体、何を企んでいる?
息を乱し、滝のような汗を流しながらも、一心不乱に打ち込んでくるアリーシャの剣を捌きながら、テミスは意識を周囲へ向けて思考していた。
どう考えても、こんな決闘が彼等の実となる筈がない。だというのに、まるで世紀の一戦であるかの如く、形式上の立ち合い人であるルギウスさえもが、固唾を呑んで見守っている。
その異様さがテミスに不信を抱かせ、様々な可能性に思考を巡らさせた。
「フム……」
「ハァッ……アアアアッ!!」
「いや……」
「ゼェッ……ハァッ……ッ~~!!!!」
だが、どんな可能性を辿ってもその答えが見つかる事は無く、ただ無為な時間ばかりが過ぎていた。気が付けばアリーシャは息も絶え絶えになりながらも、その刀身を地面に預けた大剣を、何とかして振るおうと歯を食いしばっている。
「……ルギウス」
「何だい?」
「もう……良いだろう」
「…………」
そんなアリーシャに目を向けながら、テミスは悲し気に言葉を紡ぐ。
力の限り、精も魂も尽き果てるまで私に向けて剣を叩き込んだのだ。たとえアリーシャの心が満たされていなかったとしても、これ以上こんなアリーシャの姿を衆目に晒したくはない。
「テミス。つまりそれは、君が負けを認めるという事かい?」
「はっ……? 何を言って――」
「――私はッ……!! まだ負けてないッッ!!!」
「っ……!!!」
ガギィンッ!! と。
叫びと共に気迫の一閃が放たれると同時に、この日初めての鋭い金属音が中庭に響き渡る。
まるで放り投げるかのような格好で放たれたアリーシャの剣は、彼女に背を向けてルギウスに語り掛けていたテミスに容赦なく襲い掛かっていた。
しかし、テミスは予想を超えたアリーシャの猛攻に驚きながらも、余裕を持って転身し、自らの剣でそれを受け止めている。
火花を散らして交叉する大剣を挟んで二人の視線が重なり、ギラギラと輝くアリーシャの瞳が、昏く沈んだテミスの双眸を覗き込む。
「……もう止せ。私はこれ以上――」
「――やっと」
「……?」
そんなアリーシャに、テミスは悲しみと憐れみを込めて口を開きかけた。
だが、アリーシャはテミスの言葉を遮ると、ニヤリと不敵に微笑みながらただ一言だけ言葉を紡いだのだった。
「やっと私を見てくれた」




