618話 止める資格
「おいっ!? 何なのだっ!? 説明くらいしないかッ!!」
「…………」
「っ……! …………」
マグヌスを伴ったルギウスに手首を掴まれたまま、テミスは半ば強制的にファントの町へと連れ出されていた。
しかし、問いかけても二人が口を開く事は無く、道行く街の住人が、一体何事かとその光景に足を止めて振り返る。
「……ッ!! いい加減にッ――」
「――シッ!」
ルギウス達の目的地はどうやら決まっているらしく、辿った道はテミスが起居する宿への道とほぼ同じだった。
その少しだけ手前で、路地へと折れた時。我慢の限界に達したテミスが、怒りの声と共に掴まれた腕を振り払おうとする。
だがその声が響く刹那。
自らの唇に指を当てたルギウスが、鋭い視線と共にそれを押し留めた。
「……この先。路地が折れた先を見るんだ。……っと、あまり身を乗り出さないで……見付からないように」
「クッ…………」
「だから何だと……んっ?」
先を行くルギウスが言葉と共に身を壁へと寄せて道を開けると、マグヌスもぎしりと悔し気に歯ぎしりをしながらそれに倣う。
そして、テミスがその間を通り抜けようとした刹那。
微かな音をその耳が捕らえた。
「これは……剣戟……? いや……」
「…………。見れば解る」
「っ…………」
後ろを振り返って二人を見るテミスへ、ルギウスは冷ややかな言葉で先を促した。それに対して、マグヌスはただ息を呑んで目を伏せると、自らの身体を支える杖をぎしりと握り締めた。
「ったく……何があるか口で説明すればいいもの……を……?」
「…………」
「っ……ぐっ……」
そして、テミスが文句を垂れながらも、ルギウスの忠告通りにゆっくりと路地の先を覗き込んで言葉を失う。
そこに広がっていた光景は……。
「せいっ!! ……たぁっ!! ……やぁぁッッ!!」
ビシィッ!! バシィッ!! と。
気合の籠った掛け声と共に、アリーシャが甲冑を身に纏った訓練用の人形に剣を振っていたのだ。しかも、アリーシャが握る大剣と人形も、何処のどいつが横流しをしたのかは知らないが、十三軍団……もとい、黒銀騎団の予備兵装だった。
「はっ……? いや……何を……やって……?」
その余りに現実とは思えない光景に、テミスはその場にぺたりと膝を折ってしまう。
しかし、その視線はまるで結わえ付けられたかのようにアリーシャへと注がれており、精力的に剣を振るう様子に、その肩がピクリピクリと反応する。
「君の隣に立って、君を守るそうだ」
「――っ!」
「それでも君は……」
「……あの姿を見て尚。ご自身が関わるべきでは無かったと言われますか?」
ルギウスの言葉を引き継ぎ、押し殺したかのようにマグヌスが口を開く。
その拳は鋼のように固く握られており、彼自身の口惜しさがそこに滲み出ていた。
「彼女に装備を貸し出したのも、彼女の言葉に頷いたのも私です。処分でしたら如何様にも……ですがッ!!」
「っ……!!」
「どうか彼女の……アリーシャ殿の心意気だけは……踏みにじらないで頂きたく思いますッッ!!」
深々と頭を下げたマグヌスは、唸る様な声で言葉を続けた後、テミスの答えを待たずに背を向け、路地から立ち去って行く。
その余りの迫力に気圧されたテミスが目を丸くさせていると、小さなため息と共にルギウスが口を開いた。
「彼……最初は絶対にダメだと、断固として受け入れなかったんだよ……でもね」
「っ…………」
「あの生真面目な性格だ。『姉として、テミスがこれ以上傷付く姿を見ている事ができない。だから、テミスが護ってくれた分、私がテミスを守るんだ』……なんて、必死の形相で言われては折れざるを得なかったんだろうね」
まるで、その現場に居合わせていたかのように。
ルギウスは口調を変えずにつらつらとその状況を物語っていく。
曰く。その場にはマグヌスやルギウスの他にも、騒ぎを聞きつけた兵士たちが多数居たはずだ。
部隊の装備を『一般人』に貸し出すなど言語道断。それが、部隊長である私に話を通さずに行われたとあらば、あってはならない違反行為だ。
ならば何故――。
「――何故。報告が上がってきていないのか……かい? 決まっているじゃないか」
「……っ!?」
まるで、テミスの心中を読んだかのように、ルギウスは小さく、しかし何処か自嘲するような笑みを浮かべて言葉を続ける。
「君を護る事のできなかった我々に、彼女を止める権利なんて無い……当然の心理じゃないか?」
「私を……護る……?」
投げかけられたルギウスの言葉を、テミスはただ首を傾げて弱々しく復唱しただけだった。
まるで意味が解らない。
私はこの通り五体満足で無事なのだ。それを言うならば、今回はむしろ私の方が、この手から零れ落ちていったものの方が多いではないか。
「テミス。君はまだ、自分を軽く見過ぎている。良き領主であり、良き主であり、良き友であるのならば……もっと自分を大切にするべきだ。これは、僕自身の友としての願いでもある」
「馬鹿な……私はただ最善を――」
「――どちらにしても、この町で彼女を止める事ができるのは君だけだよ」
諭すように告げられたルギウスの言葉に、テミスは反論すべく力強く立ち上がる。
しかし、その機先を制したルギウスが、その視線で未だ大剣を振り回し続けるアリーシャを示して、力強い口調で言葉を続けた。
「彼女は戦場に出すべきじゃない」
「っ……! 当り前だ。そもそも、何故大剣なのだ? 彼女に扱えるわけが無いだろう?」
言葉と共に再び、テミスの目がルギウスの視線を追って、大剣を振るうアリーシャを捉える。
気合は十分。だが、誰がどう見て武器に振り回されていた。
一撃は鈍重だし、振り……握りも甘い。そもそも、ただの町娘であるアリーシャが、大剣を持ち上げていること自体が奇跡に等しいのだ。
「……それは直接。彼女の口から聞くんだね。じゃあ、僕もこれで。あとは君次第だ」
「あっ……おいっ!!」
だが、ルギウスは涼やかな笑みを残してその身を翻すと、自らを呼び止める声にヒラヒラと手を振り、テミスを路地裏に一人残して立ち去って行ったのだった。




