615話 盟友の祈り
テミスが事務仕事に復帰してから数日。
その報せは、苦虫を噛み潰したかのように渋い顔のルギウスと共に、突然やって来た。
「テミス……魔王様……ギルティア様から書状が届いている」
「フム……? 副官に呼ばれて帰還し、踵を返してこの話……なんともおかしな話だな?」
「っ……。あぁ、そうだね。君が察する通り、シャルからの緊急の呼び出しの理由がこれさ。けれどこの書状は、間違い無く君宛だよ」
「…………」
その言葉に、テミスが眉を顰めながら書状を受け取ると、ルギウスは苦笑いを浮かべてそれを見つめる。
ラズールに届いたのは、テミスへ渡したこの書状の他にもう一通あった。それは、ギルティアがルギウスへと宛てた物だったが、その中身は簡潔極まっていた。
『この書状と共に持たせた書状を、第五軍団長ルギウスの手からテミスへ届けるように』
「まぁ……お気持ちは、解りますがね……」
自らへ宛てられた書状の内容を思い出しながら、ルギウスは手近な壁に背を預けると、手渡された書状を難しい顔で睨み続けるテミスを眺めながら、密かにひとりごちる。
ギルティア様にとって、それほどまでにこの書状が重要だという事なのだろう。
袂を分かった後の最初の一通。これまでのテミスの性格を鑑みれば、直接ファントへ届けた所で、読まずに破り捨てられてしまう可能性は十分にある。
だからこそ、自らの言葉が確実にテミスの元へ届くように、このような搦め手を使ったのだろう。
「っ…………!!」
ゴクリ。と。
書状を持つテミスの手が動いた瞬間。それに注目するルギウスは生唾を呑んだ。
この書状には恐らく、我々魔王軍とテミスたちのこれからの事が記されている筈だ。
それが、テミスの魔王軍への復帰なのか、はたまた無益な衝突を避ける為の停戦交渉なのかはわからないが、テミスの盟友を自負するルギウスとしては、この書状が読まれる事を願っていた。
「っ……!!」
「……」
「っ~~!!!」
「…………」
しかし、いくら固唾を呑んで見守っていても、封に手をかけた所でテミスの手はピタリと止まり、一向に動く事は無かった。
そればかりか、テミスを凝視するルギウスには、その肩が小刻みに震えているようにも見える。
「……っ!!!」
「プッ……クククッ……」
直後。
不意に漏らされたのは、邪気の無い笑い声だった。
見れば、俯いたテミスは完全に身体をくの字に折り曲げ、その肩を震わせて爆笑している。
「テミ……ス……?」
「ンフフフフフフッ!! ルギウス……そんな表情で私を見つめずとも、お前の顔を潰したりはしないとも」
「は……? いや、これはそういう意味では無くっ……!」
「ならば、どういう意味だ? まるで棄てられた子犬のような目だったぞ?」
「っ……そ……れはっ……!!」
テミスがクスクスと笑いながら告げた途端、ルギウスの顔が湯だったかのように一気に上気した。
確かに、少しばかり思いを込めて見守ってはいたが、笑い飛ばすのはあんまりでは無いだろうか?
「フッ……まぁ、礼を言うぞルギウス。私にとってもこの書状、目を通すには少し気合を入れなければならんからな」
「っ…………」
そう言うと、テミスはルギウスの目の前で書状の封を切り、大きく息を吸い込んでからその中身に目を通していく。
ギルティアにとってこの書状が、袂を分かった後でテミスに宛てる最初の書状であるのと同時に、テミスにとってもまた、この書状は魔王軍を出奔してから最初に受け取る通達なのだ。それを受け取るのに、緊張をするなという方が無茶な話だろう。
だがしかしルギウスには、緊張に立ち向かうテミスを、胸の内で祈りながら、ただ固唾を呑んで見守る事しかできなかった。
「…………フゥ」
「っ……!! どう……だった?」
「そう……だな……」
数分後。
沈黙の中で書状を読み終えたテミスに、ルギウスは堪え切れず問いかけていた。
現在はファントに身を置いているものの、ルギウスは本来魔王軍の所属だ。なればこそ、この問いは発するべきではなかったが、そのあまりにも難しいテミスの顔に後押しされ、ルギウスの中には暗雲のような不安が渦巻いていた。
「現状では、可もなく不可も無く……といったところか。ホレ」
「っ――!? いいのか……?」
「あぁ。お前も全くの無関係という訳ではないからな」
言葉と共に、ルギウスはテミスから投げ渡された書状に目を落とすが、それを読み込むよりも早く、椅子に深く腰掛け直したテミスが口を開く。
「ひとまずの停戦と対談の申し込み。戦後の処理としては妥当な所だろう。だが……」
「なっ……!?」
その言葉に耳を傾けながら、受け取った書面に視線を走らせたルギウスは、そこに記されていた文面に思わず息を漏らした。
何故ならば、その『提案』はあまりにも荒唐無稽で、魔王軍足るルギウスの目から見ても無茶苦茶なものだったからだ。
「そう。奴のこの提案を呑むのならば、ファントは魔王であるギルティアだけではなく、お前を含む魔王軍の軍団長5名を懐へ招き入れる事になる」
「そんな……まさか……」
重々しく紡がれたテミスの言葉に、ルギウスは自らの心が重く沈むのを感じた。
こんな提案をテミスが呑む訳が無い。魔王を含めた軍団長五名を招き入れる。いくら会談の為とはいえ、それは即ちテミスにとって、匕首を突き付けられるに等しい状況に等しいのだ。
「……ルギウス。すまないが、この件はしばらく預からせてくれ。我々以外に口外も無用だ」
「わ……わかった……」
空気が固く沈んでいく中で、静かな声で発せられられたテミスの言葉に、ルギウスはただ小さく頷いたのだった。




