613話 戦友への想い
――マグヌスがもう戦えない。
そう聞かされた瞬間。テミスは目の前が真っ暗になり、その場に崩れ落ちそうになった。
優秀な片腕を失ったからでは無い。私の指揮のせいで、武人が誇りとするその強さを奪ってしまった。
何をしても償いきれない。
そんな絶望を拭ったのは、マグヌスと同じ副官であるサキュドの言葉だった。
「戦えないのなら、内政を任せれば良いじゃないですか。アイツは見ての通り堅物ですが、適任かと」
「っ……!! だがッ!!!」
「……ご配慮はお察しします。ですが、それは武人として生きた奴への侮辱かと愚考します。敗北した意味まで奪われては、それこそマグヌスには何も残りません」
「意味……だと……?」
「はい。武を失おうと、それが己が捧げた忠義の結末ならば後悔はしない……マグヌスはそういう男です。それよりもテミス様」
サキュドは言葉を切ると、自失寸前だった私の目をしっかりと見据えて力強く告げる。
「早急に、やって頂きたい事がございます」
そう言われて向かった場所こそ、マグヌスが居る病室だった。
サキュド曰く……。
「戦う力を失ったマグヌスは、早晩にテミス様の元を去ろうとするでしょう。戦えない自分では、テミス様の役に立てないなんて勝手に思い込んで。ですから、アイツの口から言わせるんです。ファントへ留まりたいと」
と、いう事らしい。
それならば、こちらから頼み込むのが筋だと思ったのだが……。
「テミス様……あの石頭を甘く見ていませんか? テミス様からそう言った所で、あの大馬鹿の事です。どうせ、無能となった自分に情けをかけて貰っているとか考えて固辞しますよ! だから! 絶対にアイツから言わせないと駄目なんです! さぁ、行きますよ!! マグヌスが馬鹿な決意を固める前に!」
そう言われ、問答無用でサキュドに連れられた私は、一も二も無くこうして病室に放り込まれ、挨拶と心ばかりの慰めの言葉をかけたのだが……。
「っ……!! 真に……ッ!! 真に恥ずべき願いだとは存じますが……どうか私にッ……!! 暇を頂けませんでしょうかッ……!!」
訳もわからず紡いだ言葉が響く訳もなく、遂にマグヌスの口からその言葉が切り出されてしまった。
――本当に。このままではマグヌスが居なくなってしまう。
そんな、焦燥にも似た危機感が覚悟を固めさせてくれたのか、まるではじめからそこに在ったかのように、私の心の中に一つの決意が芽生える。
それはただひたすらに、マグヌスの忠誠心を叩き折るというものだった。
同時にこれは、試金石にもなるだろう。
サキュドが言うように、忠義に厚いマグヌスが、今も変わらず私を慕ってくれるのならば、このような事を受け入れる筈は無い。
……だが逆に、本当に私に失望したというのなら。マグヌスはただ、私の言葉を受け入れて去っていくだろう。
だからこそ。
「っ…………。フム……。まぁ……そうだな……。お前にも、仕える主を選ぶ権利はあるだろう」
心の底から感じたことを、言葉にして紡ぐ。
行かないでくれ……と。泣き叫びながら縋り付きたい気持ちを押し殺して。
ただ、部下からの厚い忠義を失った指揮官として、あの時感じた溢れんばかりの絶望と、身を裂かれそうなほどの寂しさに身を委ねながら。
「……。すまない。マグヌス。私が不甲斐ないばかりに……お前には随分と苦労を掛けていた」
不思議と、一度言葉を紡ぎ始めた言葉が留まる事は無かった。……留まる訳が無かった。
これは紛れもなく私の本心で、マグヌスに見限られたのならば、伝えなければいけない言葉なのだから。
「その上、無茶な指揮を執ってこのザマ……愛想を尽かされて当然だ。本当に……すまないっ……」
だからこそ、心の底から謝罪をする。
捧げられた厚き忠義に応えられなかった事を。その結果、彼の誇りである武を奪い取ってしまった事を。
誠心誠意。精一杯のごめんなさいを込めて頭を下げた。
それでも、マグヌスから言葉が発せられる事は無くて。
そこで漸く私は気が付いた。私は、本当にマグヌスの忠義を裏切ってしまったのだ……と。
「わかっているとも……私は、お前を引き留めてはいけない……だから……」
気付いた途端。言葉は情けなく震え、固く閉じた目の中に涙が溢れてくる。
けれど、そんな情けない姿を、マグヌスに見せたくは無かった。これが最後ならば余計に……。失望されて泣きじゃくるみっともない顔で別れたくない。
故に。
テミスは持てる精神力の全てを使って、何とか笑みを形作って頭を上げると、泣き出そうと震える喉を無理やりこじ開けて別れの言葉を紡ごうとする。
「っ……ぐっ……!! だから…………ありがとう。これ……これだけ……は……言わせてくれっ……!!」
まるで、マグヌスを引き留めようとしているかのように、言葉を紡ぐことを拒む喉を無理矢理動かし、今までの礼を告げた瞬間。
限界まで瞳の中に溜め込んだ涙で歪む視界へ、一つの大きな影が飛び込んできたのだった。




