612話 手折れた牙
「マグヌス……加減はどうだ?」
数日後。
一足先に身体を全快させたテミスは、今朝がた意識を取り戻したというマグヌスの病室を訪れていた。
「テミス様ッ!! っ――!?」
「止せ。病み上がりなのだ。そのままで良い」
「ぐっ……申し訳……ありませんっ……」
ぎしり。と。
マグヌスは、その音が部屋の入口に立つテミスの耳に届く程に固く歯を食いしばると、動かぬ体に力を籠めるのを諦める。その代わりに、横になったままとはいえ瞑目して深々と首を垂れた。
「……お前が生きていてくれて、良かった」
「っ……!! 申し訳ありません……」
「何故……謝る?」
マグヌスの横たわるベッドへと近付きながら、テミスが柔らかな笑みを浮かべて語りかける。しかし、マグヌスはその言葉すら苦痛であるかのように顔を顰めて言葉を紡ぐ。
「……志願しておきながら与えられた役目を果たせずッ!! こうしてッ……生き恥をッ……!!」
「……何を言う。私はお前が生きていてくれて嬉しいぞ? 本当だ……。お前は私の大切な仲間なのだからな……」
絞り出すような言葉から伝わってくるのは、聞くのも痛々しい悔恨だった。
それを案ずるようにテミスが言葉を重ねると、体中に分厚く巻かれた包帯が、その強靭な肉体に力に悲鳴を上げてミシミシと音を立てる。
それでも尚、マグヌスは痛みが走るであろう身体を無視して力を籠め続ける。
「それだけではッ……!! なくッ……!!」
「…………」
涙こそ流してはいないが、それは紛れも無くマグヌスの声なき慟哭だった。
その理由をテミスは知っている。
――マグヌスはもう、戦う事はできない。
アンドレアルとの間に、どれ程に激しい戦い戦いがあったのかはわからない。だが、魔力も気力も使い果たし、その生命力……魂と呼べるモノすらも擦り減らしたマグヌスは、二度と魔力を扱う事ができず、剣を振るう事もままならないという。
けれどテミスは敢えて、何も口にすることなくマグヌスの言葉を待ち続ける。
この瞬間。僅かに見せたこの逡巡こそが彼の全てだ。マグヌスが抱く忠義の厚さは、テミスが誰よりもよく知っていた。それは、己が悲願とも呼べる望みであっても、顔を出しかけたそれを、有り余る忠義で塗り潰さんとするほどに。
「っ~~!!! ぐっ……くくっ……!! っ……!! テミス……様ッ!!」
「何だ?」
結局。
マグヌスは数分もの間、苦悶に悶えながら葛藤を繰り返した後、ぎらりとその相貌を見開いて口を開く。
その瞳には、並々ならぬ覚悟の光が宿っており、それほどまでに、彼がこれから口にする事は、重大な決意が必要だったといえる。
「っ……!! 真に……ッ!! 真に恥ずべき願いだとは存じますが……どうか私にッ……!! 暇を頂けませんでしょうかッ……!!」
「っ…………。フム……。まぁ……そうだな……。お前にも、仕える主を選ぶ権利はあるだろう」
「っ~~!!!!!」
小さく息を吐き、肩を落として答えたテミスに、マグヌスは肩を大きく震わせながら、全身に渾身の力を込めて歯を固く食いしばった。
力を込める度に、全身を余すことなく激痛が走り抜けるが、苦痛に悶える心の中で、マグヌスはその痛みに感謝した。
何故なら、この全身を駆け巡る痛みが無ければ、この胸の内にわだかまる醜い衝動が漏れ出てしまいそうだったから。
「は……ハッ……!! じゃ……弱卒たる私の身では……テミス様の……ご期待に沿う事が難しいかと……」
「……。すまない。マグヌス。私が不甲斐ないばかりに……お前には随分と苦労を掛けていた」
「ち――違っ……っ……ッ!!!」
「その上、無茶な指揮を執ってこのザマ……愛想を尽かされて当然だ。本当に……すまないっ……」
そんなマグヌスの心を抉る様に。
テミスは儚げに微笑んだ後。その長い髪が地面に着くことすら厭わず、深々と頭を下げる。
「わかっているとも……私は、お前を引き留めてはいけない……だから……」
「ぅ――ぁ……ぁぁっ……!!」
深々と頭を下げたまま、紡がれるテミスの言葉が僅かに震え、力無く下げられていた手が固く拳を握る。
しかし、当のマグヌスはただ見開いた眼に涙を溜めて、弱々しく首を横に振るばかりで、肝心の喉からは言葉にすらならない弱々しい音しか漏れていなかった。
「っ……ぐっ……!! だから……ありがとう。これ……これだけ……は……言わせてくれ」
「っ~~~~~~!!!!!!!!!」
固く握り締めた拳をぷるぷると震わせながら、ゆっくりと頭をあげたテミスが、まるで逡巡するかのように言葉を紡いだ瞬間。
マグヌスは、自らの胸を貫き、切り刻んでしまいたくなるほどの苦悶に、言葉にならない悲鳴をあげた。
そして、衝動に身を任せて、満身創痍の身体をテミスの足元へ投げ出して平伏したのだった。




