609話 セイギという名の報復
「っ――!! 死ん……ッ!?」
「嘘ッ……!?」
アンドレアルの言葉を聞いた瞬間。テミスとサキュドの間に衝撃が走った。
とても信じられない……否。信じたくない。足元が崩れ、真っ暗闇へと落ちていくような錯覚を覚えながらも、二人は辛うじてよろめくだけで踏み止まる。
「それで……どうするつもり……だったか?」
「…………」
「っ……」
テミス達から数歩の距離まで歩み寄ったアンドレアルが会話を続けるも、テミスは目を見開いたまま自失し、言葉を返さない。
「……。嘘だ……」
「っ……? テミス様?」
その異変に、一番最初に気が付いたのはサキュドだった。
見開かれたその目はどろりと濁り、注意して身体を見つめれば、僅かに全身が震えている。
――私は馬鹿だ。
いくら無数の修羅場を潜り抜けてきたマグヌス達といえど、普通であれば副官が軍団長を相手にして勝てるはずが無い。それは、紛れも無い現実であり事実。
だというのに。
サキュドの勝利に浮かれ、マグヌスも当然勝つものだとタカをくくっていた。
その結果がこれだ。
マグヌスは敗れ、無様にもその生に縋ろうとするも希望は断たれた。
「…………」
「……別に俺は、タラウードの奴と違ってお前達に恨みがある訳ではない」
「っ……!! だったらなんでっ――!!」
「――異形を率いる軍団長の責務として。俺には部下達の安息を守る義務がある」
きっぱりとそう言い切ったアンドレアルの言葉に、黙したテミスの代わりに応じたサキュドが口を噤んだ。
サキュドとて、ヒトの形から大きく外れた彼等が、どのような扱いを受けて来たのかを知っている。
だからこそ、敵であれど……その判断を責める事は出来なかった。
「……一つ問おう。貴様が語る平穏の中に、我等異形の者の安寧は含まれているのか?」
「…………」
「……。っ!! 当り前じゃないッ!! 竜人族のマグヌスだって、人間の騎士と稽古してたし、一緒にご飯だって食べたわよッ!!」
その問いにすら沈黙するテミスと、黙ったまま答えを待つアンドレアルの間を、板挟みとなったサキュドの視線が数度往復した後。サキュドは自らの感情をも込めて叫ぶように答えを返した。
そうだ。
この町は温かい。
異形の差別なんて今の今まで忘れてしまう程に。
だからこそ、マグヌスは文字通り命を賭してこの町を守り抜いたんだ。
「ッ……馬鹿ッ……」
そう考えた瞬間。
サキュドの胸の内を悲しみが満たし、溢れた感情がか細い震え声となって零れ落ちる。
マグヌスは繋いだのだ。
己の命すら代償にして。この町が真の平穏であることを異形の長であるアンドレアルへ伝える事で、この先魔王軍から受けるであろう追撃を事前に防いだのだ。
「……。フム。そうか。ならば俺がここでお前達と事を構える理由は無いな」
「…………」
ジャリィッ。と。
アンドレアルはサキュドの答えにそう言葉を返すと、身を翻して一歩を踏み出した。
恐らくは、報告へ行くのだろう。魔王城へ、ファントと敵対する利が在らず。と。
「ぅっ……くっ……!!」
これでいい。あの石頭のマグヌスの事だ。この結果こそが、アイツの求めていたものなのだろう。
サキュドは何度も何度も胸の内で自らにそう言い聞かせながら、唇を噛んで嗚咽を押し殺す。
どうして……すべてが上手く行っている筈なのに……。なぜこんなにも、胸に孔が空いたかのように悲しいのだろう。
そんな、答えのわかり切った疑問を胸の内で繰り返し、必死で胸の傷痕を覆い隠す。
……けれど。
「……待て」
「何用か……?」
それまで、口を閉ざしていたテミスがゆらりと前へ進み出て、去り行くアンドレアルの背に平坦な声で呼びかける。
「……お前には無くても、こちらには理由がある。部下を殺されてはいそうですかと帰す訳が無いだろう?」
「フム……然り。ならばどうする? 疲弊したその身体で、俺と勝負するとでも言うのか?」
「ッ……!? テミ――」
「――黙っていろ。サキュド」
「っ……!!!」
テミスの呼びかけに応じたアンドレアルが立ち止まり、その顔に挑発的な微笑みを浮かべて言葉を返した。
その瞬間。二人の間に流れた緊張感を敏感に察したサキュドが割って入るべく声をあげるが、殺気とも呼べるほどの威圧感を纏ったテミスの命令に喉を詰まらせた。
「フ……優秀な副官じゃないか。彼の武人は……マグヌスは己が命を以てその役目を果たした。俺がこうして問おうと思ったのも、命を賭して平和を伝えた彼の功績なのだからな」
「……だからどうした」
「なっ……!?」
「っ――!?」
俯いたテミスから発せられたその言葉に、サキュドとアンドレアルは揃って息を呑む。
「私はそんな事は命じていない。奴には命じたはずだ。泥を啜ってでも生き延びよと。礎など認めん、誇りなど棄て、共に平和をその目に映せと」
「なっ……ならばその遺志を汲んで――」
「――不忠者の遺志など知った事か。私は、マグヌスには信を置いているが、お前には信を置いていない」
テミスは淡々と言葉を紡ぎながら、一歩、また一歩と、抜き放った大剣を肩に担いでアンドレアルに歩み寄る。
そして……。
「一度刃を向けたのだ。赦す訳が無いだろう?」
「――っ!!?」
全ての感情を押し殺したような冷淡な声と共に、テミスは担いだ大剣を無造作にアンドレアルへ向けて振り下ろしたのだった。




