602話 武人の覚悟
「オオオオォォォォォッッッ!!」
「ムゥゥゥゥゥッン!!!」
戦場には、二つの咆哮が響いていた。
拳と太刀。形は違えど、男たちが身命を賭して研ぎあげた武の結晶が、真正面からぶつかり合う。
「双竜・竜炎爪ッ!!」
数合激しく打ち合った後、二人は弾かれたように距離を取り、再び真正面から飛び込み合って次なる技を放つ。
高々と剣を振り上げたマグヌスが放ったのは、竜人族に伝わる剣闘術、牙心一流が秘術だ。
まるで双頭の竜が聳えるかの如く、マグヌスが放つ一太刀が届くと同時に、全く同じ一撃がアンドレアルへと放たれた。
「金剛拳!!」
それに対して、アンドレアルは己が拳に力を籠めると、その膨大な筋力と気力によって巨大化した拳が、二つの斬撃を纏めて打ち払う。
「ぐっ……!? 竜影尾――」
「――遅いッ!!」
「グアアアァァァッ……!!」
続けて、次の太刀を打ち込もうと体を捻ったマグヌスへ、アンドレアルの空いた拳が容赦なく叩き込まれた。
「ウッ……グゥッ……ハァッ……ハァッ……!!」
「どうした? 貴様の剣は……忠義はその程度か!」
「フッ……意趣返しですかな? アンドレアル殿……」
その身を打ち据えられて退くマグヌスへ、アンドレアルはその厚い胸板をドズンと叩いて挑発する。
しかし、マグヌスは不敵な笑みを湛えて太刀を構え直しただけで、怒りに吠え猛る事は無かった。
「ッ……フゥッ……ハァッ……!!」
マグヌスは乱れ狂う呼吸を何とか律すると、構えた太刀を固く握り締めて活路を探る。
もう何度、互いに攻撃を浴びせ合ったのかもわからない。だというのに、アンドレアルの身体には太刀の痕が残る程度で傷を負わせるに至る事は無く、結果を見ればマグヌスばかりがダメージを負っていた。
「剣も限界か……」
マグヌスはそう独りごちると、握り締めた太刀に視線を移す。
そこには、酷く刃毀れし、分厚い刀身にヒビが入った無残な愛刀の姿があった。
体力も既に限界……かといって、既に打てる手はほとんど残されていない。もう間もなく、自らが倒れる事を、マグヌスは確かに予見していた。
「クゥッ……」
己の前で悠然と佇むアンドレアルを睨み付けながら、マグヌスは己の無力に歯噛みをした。
有効打を打ち込めていない訳では無いのだ。
確かにこの刃は、アンドレアルの胴を薙ぎ、肩を断ち、首を刈ったはずだ。
だというのに、その刃がアンドレアルの固い外皮を裂く事は無く、効力を発揮する事は無かった。
「何をしている……? かかって来んのか?」
「ッ……!! テミス様……申し訳ありません……ッ!!!」
高らかに吠えたアンドレアルの言葉に、マグヌスは固く拳を握り締めて目を瞑った後、その瞳に覚悟の光を宿して見開いた。
そして、太刀を自らの身体の横へと突き出し、地面とは水平に構えた異様な構えを取る。
それと同時に、マグヌスの身体から迸る魔力が爆発的に増加し、吹き荒れる魔力に倍するエネルギーが、突き出した太刀へと収束されていく。
「っ……お……おぉ……それ……は……」
「武人の境地とは、死ぬ事と見付けたり……。牙心一流・終の龍。心命剣」
静かに言葉を紡いだマグヌスは太刀を上段に構えると、収束したエネルギーで光り輝く刀身をチラリと眺め、心の中でひとりごちる。
――この技で、アンドレアル殿を倒せば、テミス様は褒めて下さるだろうか?
「……。いや……」
そして、音も無く口角を緩めて、一言だけ言葉を紡いだ。
この技は、自らの命すら力へと変えて放つ最終奥義。武人が武人である為に、己が全てを懸けた一撃で、己が主の理想の礎となる為に編み出された、文字通り最期の奥義だ。
「テミス様……不肖このマグヌス。貴女の征く先に笑顔がある事を……心より、お祈りしております……ッ!!」
「っ……!!!!!」
「征くぞアンドレアルッ!! 我が心命の一撃……受けてみせよッ!!」
マグヌスは祈るようにそう言葉を紡ぐと、高らかに咆哮を上げて真正面からアンドレアルへ向けて疾駆した。
一歩を懸けるごとに、マグヌスの脳裏にこれまでの記憶が蘇ってくる。しかし、マグヌスの意識はこれからへと向けられていた。
この事を知ったテミス様はお怒りになるのだろうか?
それとも、私の死を悼んで下さるのだろうか?
もしくは、眉一つ動かさずに報告を受け、『そうか……』なんて一言を零すだけなのだろうか?
――願わくば、そうであって欲しいと思う。
こんな、ただ一つの命令すら守れぬ一匹の武人の事など忘れ、自らの信じる正道をどこまでも駆け抜けていただきたい。
そんな祈りにも似た願いを太刀に込めて、跳び上がったマグヌスは大上段に振りかぶった剣をアンドレアルへ向けて振り下ろした。
「ウオオオオォォォォォォォッッッッ!!! さらばですッ!! テミス様ァァァッ!!!」
「クッ――ゼアアアアアアアッッッッ!!!」
その一撃に応ずるように、アンドレアルもまた己の渾身の力と魔力を拳に込めて、マグヌスの全霊の一撃に叩き込んだ。
刹那の後。
先程まで響いていた轟雷のような声は既に無く、交叉を終えた二人の武人が背中合わせで立っていた。
「…………」
「…………」
ピシリ。と。
何かが砕ける小さな音が、周囲を包み込む沈黙を破る。
その音は、静かに佇んだマグヌスの持つ、太刀から響いていた。
「……無……念……」
「…………」
直後。氷が砕け散るような済んだ音を響かせて、マグヌスの太刀が粉々に砕け散る。それと同時に、マグヌスの身体がグラリと大きく傾いで地面へと倒れ伏した。
「見事な覚悟……見事な一撃であった。……貴様のような武人、死なせるには惜しい。またいずれ、相見えよう」
アンドレアルはマグヌスへ背を向けたままそう言葉を紡ぐと、深々と切り裂かれた拳から血をボタボタと落しながら、倒れ伏したマグヌスを振り返る事なく、ゆっくりとした歩調で歩き去ったのだった。




