601話 猛る想い
「我が士道を……武人の志をせせら嗤ったかァッ!!」
怒号が響き渡ったのは、マグヌスがアンドレアルを挑発した瞬間だった。
景色が歪んで見えるほどの怒気を纏ったアンドレアルが猛進し、太刀を構えるマグヌスへ拳を振りかぶる。
しかし、マグヌスはピタリと太刀を構えたまま微動だにせず、ただその巨大な拳が叩き込まれるのを見据えていた。
「ッ――痴れ者がァッ!! 戦う事すら臆したかッ!!」
「……否」
キィンッ! と。
アンドレアルの拳がマグヌスに炸裂する刹那。アンドレアルの拳を限界まで引き付けたマグヌスが僅かに太刀を動かした。
すると、放たれた拳は太刀に導かれるように力の方向を変え、アンドレアルの攻撃は微かにマグヌスから逸れ空を切る。
その後にアンドレアルの目に映ったのは、拳を振り切った姿勢の自らの懐へと潜り込んだマグヌスだった。
「奥義・逆鱗」
「っ……!!」
直後。
静かな声と共にマグヌスの太刀が横薙ぎに閃き、アンドレアルの懐から飛び出した。
そして、再びアンドレアルから数歩の距離を取ったマグヌスは、太刀を構えてピタリと静止する。
「……見事な技だ。目が覚めるような一撃だった」
「光栄です」
しかし、重々しい称賛の言葉と共に向き直ったアンドレアルの肉体には傷一つ無く、マグヌスもまたそれを承知していたかのように微動だにせず、精緻に構えた姿勢を崩す事は無かった。
――やはり、通じぬかッ!!
だが、マグヌスは表にこそ出さなかったものの、その心の中では苦悩していた。
元より、軍団長の中でも最強の防御力を持つと謳われるアンドレアルに、己が攻撃が通ずるなどと思っては居ない。
だからこそ、敵の攻撃を見切り、いなして無力化してから放つこの奥義に賭けていたのだが……。
「だが、お前もわかっただろう? お前の剣では、俺を傷付ける事は叶わない。武人として潔く……剣を引くのだ」
「断るッ!! たとえ勝てぬと知っても、ここに立ちはだかるは……この温かなファントを護るは我が使命ッ!!」
「愚かなッ!! 貴様がその町の平和を守り抜いた所で、それを浴する事は出来ぬのだぞッ!!」
「……いいえ」
まるで我が身に降りかかる苦難を嘆くかのように慟哭するアンドレアルの叫びに、マグヌスはゆっくりと首を左右に振りながら静かに答えた。
その言葉とは裏腹に、マグヌスの表情には深い悲しみが宿っていた。
「断言しましょう。例え人間達とは異なる身を持つ我等であれど、この町の住人は等しく受け入れ、共に笑い合ってくれます」
「あり得んッ!! 断じてあり得んッ!! 上辺の甘言に騙されてはならんッ!! 同じ手で我等が何度辛酸を舐めてきた事かッ!!」
「然り……。異形たる身であるが故、我等はその強大な力を求めた連中に何度も利用されてきました。そんな世に呆れ、俗世を離れて静かに暮らすべく作り上げた里を、我欲によって滅ぼしたのも彼等でした」
「ならば――ッ!!」
「――ですがッ!!!」
「っ……!!」
マグヌスに向けて叫ぶアンドレアルの声を、鋭く放たれたマグヌスの言葉が切り裂いて止める。
その眼光は、まるで射抜かんばかりにアンドレアルへ注がれており、その視線に気圧されたアンドレアルはただ、マグヌスの言葉を待つ事しかできなかった。
「彼等の中に一人でも……己が掲げた平和を浴さぬ者は居ましたか?」
「っ……!! マグヌス……貴様ッ……!?」
きらり。と。
絞り出すような声で続けられた言葉と共に、マグヌスの目尻から一筋の涙が零れ落ちる。
「テミス様はいつも戦っておられるッ!! 私は知っているッ!! 誰よりも己が護りし者達と共に、平和を謳歌されたいはずなのにッ……!! 寂し気な表情を浮かべ、再び戦にその身を投じようとするテミス様をッ!!」
溢れる忠義を言葉に乗せて、マグヌスは絶叫した。
アンドレアルならば伝わるはずだ。真の武人たるこの男ならば、自らの心に秘めたる慟哭を理解できるはずだと。
たとえ我が身がここで果てたとしても、このヒトを信ずる事ができなくなった男の意地と、テミス様の正義がぶつかる事だけは避けられるはずだと信じて。
「誰かを不幸から掬い上げる為に……罪無き人々へ降りかかる理不尽を打ち破る為に……我が主は平然と己が身を破滅へと差し出してしまうッ!!! アンドレアル殿ッ!! そのような者が……今まで居りましたかッ!!」
「…………。……良く解った」
長い沈黙の後。涙を流し、息を荒げるマグヌスに、アンドレアルは静かに口を開いた。
その瞳には既に怒りや憎しみは無く。アンドレアル本来の、思慮長けた穏やかで真っ直ぐな光が宿っている。
「ならば、マグヌス。武人として……貴様の剣を以て意を示して見せよッ!!」
「ッ……!! 承知ッ!!」
言葉と共に、互いに澄んだ眼光で睨み合った後。
二人はニヤリと口元に不敵な笑みを浮かべると、剣と拳を振りかぶったのだった。




