600話 武人の矜持
サキュドとシモンズが死闘を繰り広げる一方。
マグヌスもまた、一人の軍団長と対峙していた。
「っ……。アンドレアル殿ッ……!! 何故……貴方がここにッ……!!」
「愚問だな、マグヌス。俺は魔王軍が軍団長の一人。裏切り者を追って何がおかしい?」
「そうでは……そうではないッ!! 貴君ほどの武人であればわかるはずではないですかッ!? テミス様の怒りがッ!!」
「…………」
マグヌスの言葉に、アンドレアルは静かに瞳を閉じると、小さく息を吐いて押し黙った。
これまでのテミスの武功を鑑みれば、タラウードの進言は言いがかりに等しい。それは、今ファントが置かれている戦局が、全てを物語っていた。
仮にテミスがロンヴァルディアと共謀しているのなら、我等の前にはテミスの旗下とロンヴァルディアの連合部隊が肩を並べていた筈だ。
だが、ヒトと異形が相容れる事など決して無い。融和都市などとテミスの掲げた大層な題目が、下らない綺麗事だという事はアンドレアル自身が誰よりも知っていた。
「……マグヌスよ。一つだけ問おう」
「っ……?」
長い瞑目の後、アンドレアルは静かな声で投げかけられた問いは、マグヌスにとって予想だにしていない物だった。
「俺と共に来ないか?」
「なっ……!?」
「お前が生粋の武人であることは承知している。だがそれ以前に、お前は竜人族だろう?」
「だったら……ッ!! だったら何だと云うのですかッ!?」
唐突な問いに狼狽えたマグヌスは、目を見開き、言葉を荒げて問いかける。
アンドレアルは、主への裏切りを是とするような武人ではない。ならば何故、こんなにも穏やかな瞳でそのような問いを投げかけてくるのだッ!?
マグヌスには、アンドレアルの問いの真意が理解できなかった。武人として決死の覚悟で彼の者の前に立ちはだかったはずなのに、何故目の前の男は私を引く抜こうとしているのだ……?
「お前とて、人間共の愚かしさは知っておろう? 連中は我等の真意などどうでも良い。見てくれを何よりも気にするのだ。エルフや魔人といった人間型の者達は兎も角、お前は我々の側に来るべきだ」
「成る程……。そういう意味でしたか……」
大きな肉体を揺らしながら力説するアンドレアルに言葉に、マグヌスはようやくその真意を理解した。
彼は今、私を含むテミス様の配下に居る、異形種の者達の心配をしているのだ。
「っ……」
「マグヌス。他でもないお前ならば解るはずだ。かつて、人間共の姦計によって里を滅ぼされたお前ならばッ……!!」
「そう……ですね……。アンドレアル殿。貴方の言う事は理解できます……」
ぎしり。と。
マグヌスは携えていた太刀の柄を固く握り締めると、アンドレアルが持つ武人の心を疑った自らを恥じた。
こうして、敵として立ちはだかって尚、不要な戦いを避けて相手の事を慮る。タラウード達と共に姿を現したとしても、その心に一切の曇りは無かった。
だからこそ、マグヌスはゆっくりと首を横に振ると、真正面からアンドレアルの瞳を見据えて口を開いた。
「だからこそ。私はテミス様と共に征くのです。我が忠義はテミス様へ捧げたもの。死ねと命じられれば喜んでこの命、投げ出しましょう」
「馬鹿なッ……!! 貴様ほどの男が何故……ッ!! 偽りの平和の礎にでもなるつもりかッ!?」
「クク……。礎ですか。武人たるもの、主の理想に殉じるは誇りですが、我が主は決してそれを赦す事は無いでしょうな」
遂に声を荒げたアンドレアルに、マグヌスは言葉を返すと同時に、その口元に小さな笑みを浮かべる。
テミス様は、部下が死地へ向かう事を何よりも嫌うお方だ。そんな命令を下すくらいならば、ご自身の危険を厭わず、お一人で向かわれる事だろう。そんなあの方が我等に死ねと命じる事など想像すらできなかった。
むしろテミス様ならばきっと、戦って死ぬくらいなら、全てを捨ててでも生き延びよ。などと命ずるのだろう。
「アンドレアル殿。無礼を承知で提案させていただきます。ここは一度退かれ、改めて我等が町を見に来られませぬか?」
「その問い、俺の答えは答えずともわかっておろう?」
「で……しょうな。なれば後は武を以て語るのみ……」
切り捨てるように即答したアンドレアルの言葉に、マグヌスは小さく嘆息しながらコクリと頷いた。
武人が一度抜いた剣を、交える事すらなく戻れるはずも無い。
マグヌスもまた武人であるからこそ、その心は手に取るように理解できる。
「マグヌスよ。一つだけ聞かせてくれ。お主ほどの男が何故竜人族たる誇りを……裏切られ、同胞を殺された恨みを棄てた? そうまであのテミスを慕う理由はなんだ? 憐れみか? それとも――」
「――そうですな」
アンドレアルの言葉を遮って、マグヌスは強い語気で口を開く。
彼の心根を理解しているからこそ、マグヌスはアンドレアルがそれ以上の問いを紡ぐことが許せなかった。
異形種を心底憂うその気持ちは全て、テミス様への侮辱であるのだから。
だからこそ、マグヌスは不敵にその大きな唇を歪めて言葉を続けた。
「竜人族の誇りがあるからこそ……ですかな」
「なに……?」
「人間に裏切られ、魔族にも裏切られて尚、全てを呑み下して己が正義を貫き、未来を見据えるお人だ。武人たる者が過去に拘泥していつまでもピィピィと喚いて居る訳にはいきますまい」
「っ……!!!!!」
皮肉気な笑みを浮かべたマグヌスは、己の太刀を握り締めながら、アンドレアルを見据えてそう言い放ったのだった。




