599話 紅を浴して
「お……おおぉ……」
その姿は美しかった。
視界に入ったのは突き出された短槍を躱した交叉の刹那。
身体は血と泥と汗にまみれ、顔は猛り狂う憎しみで歪んでいる。
しかし、その目が放つ眩いばかりに気高い輝きは、敵であるシモンズさえも見とれてしまう程だった。
「ハアアアァァァァッ!!!」
「――おっと」
続く第二撃。
荒々しい咆哮と共に突き出された紅槍が、更に身を翻すシモンズの肩を掠り、浅く裂いた。
「私は……絶対に諦めないッ……!!」
「あれは……」
再び空中へと浮かび上がり、クルリと宙で一回転して制止するシモンズの前で、両手に槍を携えたサキュドが口を開いた。
右手には、漏れ出る魔力で輝く紅槍を。左手には、その穂先がまるで炎でも灯っているかのように揺らめく、蒼い短槍を握り締めて。
「もう、出し惜しみは無しよ。私は全てを懸ける」
「紅の魔槍に蒼の短槍……よもやとは思うておったが……」
ゴクリ。と。
見開かれたシモンズの目に欲が宿ると同時に、萎びた喉がゴクリと大きく生唾を呑み込んだ。
その一族の事を、シモンズはよく知っていた。
決して老いる事無く悠久の時を生き、夜の支配者と恐れられたその一族の事を。
老いゆく体に怯えながら、一つの望みをかけて渇望したものだ。
爛々と目を輝かせ始めたシモンズに、サキュドは大きく息を吸い込みながら槍を突き出すと、己が敵を静かに見つめながら言葉を紡ぐ。
「我が名はサキュド。夜の支配者たるツェペシが末裔。一族が誇りに懸けて……魔王軍第十一軍団軍団長シモンズッ!! お前を討つッ!!」
「ホッ……ホホホホホホッ!!! 一族ッ!! 一族と言うたな!? 間違いないッ!! ヒョホホホホッ!!!」
「っ……。何よ。気持ちの悪い……」
しかし、高らかと述べたサキュドの口上など無視して、シモンズは宙に浮かんだまま転げ回って、その全身で狂喜乱舞していた。
その、異様とも思えるシモンズの態度に、サキュドは二本の槍を構えたまま、身を低くして様子を窺う。
「伝承はッ!! 記録は本物じゃったッ!! それだけではない……未だ若く、未熟な真祖ッ!! そんな極上の検体まで我が前に現れるとはッ!!」
「あぁ……そういう……」
歓喜するシモンズの言葉を聞いて、ようやくサキュドは得心した。
吸血鬼は魔族の中でも恐ろしく長命だ。故に、それを羨んだ魔族が、その悠久の時を求める事もある。
「馬鹿な男。この槍の意味も知らないで……。でも、お前がその手の連中なら、この槍を抜いたのはある意味で正しかったわね」
サキュドは苦々しげな表情を浮かべ、握り締めた短槍へ視線を落とした。
この槍はサキュドにとって、憎しみの象徴でしかない。
本来、ツェペシの一族が携える槍は二本一対なのだ。それは、個を示す紅の槍と、全……つまりは、一族を表す蒼の槍。
そして、ツェペシが一族が蒼の槍の穂先を向ける相手。その瞬間、相手はツェペシが一族の敵として、永劫に認知される。
「ホント……忌々しい。この槍を抜くくらいなら、死んだほうがマシだと思っていたのに」
ジャリィッ……と。
サキュドはそう独りごちりながら、低く落とした姿勢を更に沈めると同時に、その背に羽を展開してシモンズを見据える。
私は、乗り越えなければならないのだ。たとえ、棄て去ったはずの血を頼る事になっても。私がなりたい私になるためにッ!!
「シモンズ。悦ぶと良いわ。アナタが焦がれた一族の手によって死ねるのだから」
「ヒョホホッ!! 青い、青いッ! うっかり殺してしまわんでよかったわいッ!」
唇を半月状に歪め、嗜虐的な笑みを浮かべたサキュドがそう告げると、シモンズもまたニンマリと嫌らしい笑みを浮かべてそれに応ずる。
そして、両者の間に一瞬の沈黙が流れた直後。
「フ――ッ!!」
蒼い燐光を残して、サキュドの姿が戦場から掻き消える。
須臾の間にサキュドが移動した先はシモンズの頭上。完全に死角となった直上から、サキュドは短槍をシモンズの頭に目掛けて投擲する。
しかし。
「ホッ――」
シモンズは気の抜けるような掛け声とともに体を逸らし、短槍は寸前の所で躱されて足元へと突き刺さった。
それでも……。
「アハァッ! これでおしまいッ!!」
「クッ……」
シモンズが僅かに動いた刹那の時間で、サキュドはその背後に回り込んで紅槍を振りかぶっていた。
狂笑と共に突き出される紅槍に視線を走らせたシモンズの口から、はじめて息が漏れる。
蒼槍によって限界まで強化された肉体を用いての超速戦闘と、凄まじい威力を持った紅槍の猛攻を組み合わせた連撃は、確実にシモンズを追い詰めていた。
「あと一手」
「っ――!!!」
「あと一手足らんかったのう?」
だが、静かなシモンズの声と共に、まるで大岩にでも突き立てたかのごとき固い感覚と、鈍い音が辺りに響き渡った。
突き立てたはずの紅槍の穂先は、シモンズの背中の寸前で止まっており、サキュドがいくら力を込めたところでびくとも動かない。
「さて。これで終わりじゃ」
「えぇ――」
ゆっくりとサキュドを振り返りながら口を開いたシモンズに、サキュドはまるでテミスの狂笑のように頬を歪めて首肯した。
「――知ってた? 吸血鬼にとって、『個』と『全』は同義なのよ」
「オッ……ゴホッ……!?」
その瞬間。
突如としてシモンズの胸を紅槍が貫き、穂先と共に吹き出た血がサキュドへと降り注ぐ。
「ま。私には理解できないけれどねぇ……」
その血を全身に浴びながら、クスクスと嗤い声をあげるサキュドの手には、蒼い短槍が握られていたのだった。




