595話 老傑の牙
「ハァァッッ!!」
尋常ならぬ気迫の籠ったサキュドの槍が、凄まじいスピードでシモンズへと乱打される。
紅に輝く穂先はその超常たる速度によって霞み、高速で突き出される槍全てが、まるで破壊力を持った紅い霧のような姿を形取っている。
「ホッホ……。硬い……そして鋭いのぅ……」
しかし、シモンズはサキュドの猛攻を笑いながら軽くいなすと、余裕の表情を浮かべたまま槍の射程外へと跳び下がった。
「ッ……!!」
こうして、互いに策を巡らせて始まったサキュドとシモンズの戦いは一気に激しさを増し、ただならぬ威圧感を周囲へと垂れ流している。
「その若さで見事なものよ。故に、惜しいのぅ……。そのような優れた才覚が失われてしまうのは……」
「ハッ……とても『惜しい』だなんて思っている奴の顔とは思えないわね。一度鏡でも見たら? 『優れた才覚を叩き潰せるのが嬉しくて仕方ない』。……私には、そんな顔に見えるわ」
「ヒョヒョヒョッ!! まさかまさか……そのような事があろう訳が無かろう。だが実際、あと少し収穫を遅らせていればどうなっていたのか……。それは気になるのぅ?」
「……見下げ果てた奴ね」
サキュドは吐き捨てるようにシモンズとの会話を切ると、唇を真一文字に結んで静かに槍を構え直す。
ほんの少しだけ言葉を交わしてわかったのは、目の前のシモンズという軍団長が蔑如すべき最低な男だという事だけだった。
死霊術師であるこの男にとって、この世全ての生けとし生けるものは全て、自らの手駒と化す前の素材なのだろう。
「っ……。それでも……」
ゴクリ。と。
シモンズと対峙するサキュドの喉が生唾を呑み込んだ。
その人格は最低。生者ではなく死者のみを愛でる、唾棄すべき異常者なれど、シモンズの実力は遥か高みにあった。
その証拠に、先程サキュドが全力で放った攻撃は全て完璧にいなされたにも関わらず、シモンズは反撃の一つも加えずただ朗々と笑っているだけだ。
「どうしたのかね? よもや、怖気づいたか?」
「冗談ッ!! そんなに死体が好みなら、アンタも仲間に加えてやるわッ!!」
問いかけるように挑発したシモンズの言葉に乗って、サキュドは脚に力を込めて突撃をかける。
しかし、シモンズは次々と繰り出されるサキュドの猛攻をひらひらと躱し、一見すればサキュドがひたすらに圧しているようには見えるものの、その実ただの一撃もその身に当たる事は無かった。
「ホホホッ!! 怖いのぅ……苦しいのぅ? どら……少しだけヒントをやろう」
「……ッ!! 要らない……わよッ!!」
「ヒョヒョヒョッ!! 年寄りの親切は素直に受け取っておくものじゃて」
カラカラと笑いながら声をあげるシモンズに、サキュドは表情を歪めて苦し紛れに槍を放つ。
だが、そんな一撃が当たるはずも無く、シモンズは空を切った槍の穂先を、枯れ木のような指でなぞりながら言葉を続けた。
「もう少し……もう一歩。いや二歩深く踏み込むのじゃ。踏み込みが浅いが故に、お主の突きは軽く……そして躱しやすい」
「触るなッ!!!」
「――おっと。ホホッ! また外れじゃ」
「ッ……!!!」
サキュドは胸の内に湧き出る怒りに従い、叫びと共にシモンズへ向けて槍を薙ぐが、その一撃すらも易々と躱され、空虚な風切り音だけが響き渡った。
「クソ……」
ぎしり。と。
目の前で楽し気に微笑み続けるシモンズを睨み付けながら、サキュドは固く歯を食いしばった。
シモンズの言葉は正しい。もう少し深く踏み込めば、例え軍団長であるシモンズといえど、サキュドの槍があたる可能性は十分にあるだろう。
だがその場所は同時に、シモンズの持つ魔術の射程範囲でもあった。
死霊術師の魔術は肉を蝕み骨を操る。それは即ち、発動した術式触れられたが最後、たった一度の接触で勝負が決することを意味していた。
だからこそ、サキュドは確実に離脱することのできる距離を保ちながら攻撃し、それが分かっているからこそ、シモンズもこうして誘いをかけてきているのだ。
「はぁ……やれやれ。減点じゃ……」
「何……?」
攻めあぐねたサキュドが、シモンズを睨みつけたまま数度構えを変えた時だった。
微笑みを浮かべたままサキュドを眺めていたシモンズが、大きなため息と共に表情を変える。
「お主……死霊術師であるワシが相手ならば、そうして近付かず、骸を呼び起こす隙を与えなければ安全……。等と思うておる訳ではあるまいな?」
「フンッ……その手の安い挑発しか能が無いのかしら? 薄汚い死霊術師の口車には乗らないわよ」
しかし、サキュドは圧力の増したシモンズの言葉を一笑に伏すと、自らの背中に隠すように槍を構えて身を沈めた。
死霊術師とはそもそも、戦いの殆どを自らが操る屍に委ねるものだ。だからこそ、狙うは一瞬の隙。決してシモンズの攻撃に捕らえられぬ速度で翻弄し、必殺の一撃で仕留めるッ!!
そう判断したサキュドに、間違いは無かった。
相手がただの、死霊術師だったのならば。
「ホッホ……。ならば、お主の間違いを一つ正しておこうかのぅ……?」
「っ――!!?」
不気味な笑みを浮かべたシモンズの小さな体が、言葉と共にフワリと宙へ浮かぶ。
同時に、まるでサキュドに見せ付けるようにピンと立てた人差し指に、煌々と白熱する小さな火の玉を浮かべて言葉を続ける。
「ワシは死霊術師では無い。死霊術は、ワシがこれまで探求してきた魔導の中の一つの道にすぎぬ」
「マズッ――!!!」
「――深淵に至りし魔術師。ワシをそうした括りで呼ぶのなら、こう呼ぶべきじゃろうて」
シモンズはカラカラと乾いた笑みと共にそう告げると、指先に浮かべた小さな火の玉をサキュドへ向けて軽く弾いた。
そして、顔色を変えて跳び下がったサキュドが、瞬時に防御態勢を取ると同時に、弾かれた火の玉が音も無くサキュドが立っていた地面へと着弾する。
直後。
太陽の如き眩い光と灼熱の暴風が、周囲を焼き焦がしたのだった。




