590話 信念の一撃
「っ……! させるかァッ!!!」
タラウードの命令により、魔王軍の軍勢が一斉に動き始めた瞬間だった。
戦場に轟いたテミスの叫びが木霊し、ゆらりとその姿を歪ませる。
「っ……? 蒼い……炎?」
その叫びに中てられ、一人の魔族兵が突撃する足を止めてテミスの方を振り返った。
その幸運な兵士の名はフロティ。意志を持たず、命令に忠実に従う不死兵士とは一番異なる点。そのたった一つの大きな違いが、フロティの命運を大きく動かす事になった。
「フハハハハハッ!!! そぅら!! 急がなければ、お前の大切な町が陥ちるぞォ……?」
「――っ!!?」
フロティは、自らの主であるタラウードが、高笑いと共に大きく腕を振り上げる前で、その身体から僅かに漏れ出す蒼炎を揺らめかせたテミスが、確かに大きく唇を吊り上げるのを見る。
刹那。
フロティの背筋に震えあがるほどの悪寒が走った。
それは、フロティが今まで感じる事が無かったほどに濃密な殺気であり、まるで死神に頬を愛撫されたかのような感覚は、彼の膝を砕けさせるのには十分過ぎるほどだった。
「――灼き尽くせ。絶刀炎羽」
「うぁっ……!?」
「ホゥ……?」
ぺたり。と。
テミスとタラウードの戦いに目を奪われたフロティが、腰を抜かして尻もちをついた時だった。
テミスの唇が僅かに動いた直後。フロティの頭の上を何かが通り過ぎていく。
それとほぼ同時に、タラウードの拳をテミスが受け止める重低音が響き渡った。
「……ククッ。私の背後に居ながら生き永らえるとは……。どうやら、勘が良いのが紛れていたらしい。無能なお前には勿体ない部下だな? タラウード」
「ほざけ! 死にぞこない風情が……。貴様ァ!! 何をしているかッ!! さっさと進――っ……!?」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべたテミスは、僅かにその視線を背後へ動かした後、ギリギリと大剣で受け止めたタラウードの拳を圧し返しながら皮肉を口にした。
一方で、タラウードは怒鳴り声をあげてから、その惨状に気が付いたのか、テミスと鍔迫り合いを演じたまま言葉を止める。
「えっ……? う……あ……ぁぁっ……!!」
そして、傍から見ていたフロティが一番遅れてその光景に気が付いた。
もしも、あの刹那。僅かな違和感を感じて振り向かなければ。
もしも、テミスから発せられる殺意に、こうして腰を抜かしていなければ。
フロティもまた、共にファントへ向けて進軍を始めていた彼等と同じ運命を辿っていただろう。
フロティの周囲では、不死兵士や他の魔族兵達が、等しく胴を両断されてその足を止めていた。
しかし、その傷口から血潮が噴き出す事は無く、その代わりに苦悶の絶叫に紛れて響くじゅうじゅうと肉を焼くような音と共に、蒼い燐光がチラチラと周囲に漂っていた。
「貴様ァッッ!! 今、何をしたッ!!」
「ホゥ……? これは……。っ……!!」
怒りの叫びと共に、タラウードの拳が淡く光り、それまで拮抗していたテミスを大剣ごと弾き飛ばした。
そして、タラウードは目を血走らせて右手を背に回すと、一振りの戦斧を手に高々と振り上げる。
「だが……真の強者には、そんなチャチな小細工など通用せんわァッ!!」
猛然と戦斧を振り上げたタラウードが叫びをあげると、腰を抜かしたフロティの眼前で、掲げられた戦斧の中心に据えられた宝玉が輝き始めた。
「あ……ぁぁ……そんな……」
その輝きの意味を、タラウードの配下であるフロティは正しく理解すると、逃れ得ぬ絶望に見開いた瞳から涙を零した。
その名も、炎魔爆裂撃。タラウードの魔力を戦斧の中心に埋められた宝玉で増幅し、魔法を纏った斬撃として放つ奥義だ。
いままで、タラウードの剛腕によって放たれるこの奥義を受けたものは居らず、放たれた痕には、まるで抉り取られたかのように無残に切り裂かれた大地と、燃え盛る炎が残るだけだった。
そんな究極の奥義が今、テミスへ……ひいては、その射線上で腰を抜かしているフロティへと向けられている。
「タラウード様……何故ッ……」
「――っ!」
フロティは、自らの命をいともたやすく切り捨てたタラウードに、うわ言のような小さな声で問いかけた。
剛毅な笑みと共に夢を語り、共に覇業を成そうと告げてくださった言葉は嘘だったのか……?
「っ……!!!!」
絶望と悲嘆に満たされた心に耐え切れず、フロティが末後の慟哭をあげようと、大きく息を吸い込んだ瞬間。
「――死にたく無ければ。動くなよ?」
「――っ!!」
ふわり。と。
血と泥にくすんだ銀髪をたなびかせたテミスが、短い言葉と共にフロティの視界へと飛び込んでくる。
そして。
「猪口才な小娘が……チリと消し飛べェッ!! 炎魔爆裂撃ィィッッ!!!」
「今こそ全ての不義を切り裂けッ!! 月光斬ッ!!!!」
裂覇の気迫が籠った二つの咆哮と共に、相対する二つの奥義が真正面からぶつかり合ったのだった。




