587話 絶望の夜明け
「っ……!! ゼェッ……ハァッ……!! ようやく……かッ……!!」
肩で息をしながらも、前方を鋭く睨み付けるテミス達の視界に、それが映り始めたのは、東の空が白み始めた頃だった。
恐怖と緊張で顔を青ざめさせて対峙する騎士達の向こうには、イゼルの町の前に設えられた、数々の陣幕がそよ風にはためいていた。
「えぇ……。本当……我ながら、よくもまぁ生きているモノだわ……」
「クク……敵はまだ残っている。気は抜けんぞ?」
「わかってるわよ……。でも……!!」
その顔に色濃い疲労を滲ませながら、テミスとフリーディアは言葉を交わすと、互いに顔を見合わせて笑みを零す。
何せこれまでは、無限に湧き出てくるとも思われる敵兵達を斬り倒し、ただ進み続けるしか無かったのだ。それも、目の前の一団を倒してしまえば終わりと思うだけで、尽きかけていた気力が息を吹き返してくる。
だがしかし、それでもまだ楽観できる状況とは言えなかった。
ここに至るまで、こちら側の戦力も相当数が疲弊し、損耗している筈だ。それを考えれば、当初の数的不利が覆っているとは考え難く、むしろこの最後の一団こそが山場と言える。
「……こちらの状況は?」
「フゥッ……ハァッ……。っ……! 失礼致しました……!」
「良い。気にするな。報告を頼む」
テミスがチラリと背後を振り返って問いかけると、体を折り曲げて息を整えていたマグヌスが、反射的に姿勢を正して言葉を返す。
もともと身体能力の高いテミスでさえこの体たらくなのだ、いくら魔族とはいえついて来れているだけで御の字といえるだろう。
「ハッ……!! 部隊は既に限界に近く、損耗は六割を超えるかと。特に、後衛を務める第四分隊の魔力消費が激しく、いつ崩壊しても不思議ではない状況です」
「……白翼騎士団はどうだ?」
「っ……。期待してくれたところ悪いけど、私とカルヴァス、リックとあと数人残っている程度よ」
「……だろうな」
悔し気に表情を歪ませて答えるフリーディアに、テミスはただ一言だけ言葉を返した。
そもそも、白翼騎士団はただの人間のみで構成された騎士団なのだ。それを踏まえていうのならば、テミスと共に最前線を張り続けるフリーディアや、それに食らいついてくる一握りの連中が化け物じみているだけだ。
「ここまで追い詰めたとはいえ、こちらは圧倒的に劣勢。だが、こうして睨み合っているだけでは、先に倒れるのはこちらの方か……」
一定の距離を置いて対峙するロンヴァルディアの騎士達に冷めた視線を送りながら、テミスは食いしばった歯の隙間からぽつりと呟きを零す。
肩越しに背後を振り返れば、そこに居るのはまさに満身創痍の兵士達。
汗と泥、そして返り血にまみれ、だがその瞳にギラギラと輝く意志は衰えず、その姿はまるで地獄から蘇ってきた亡者の軍勢のようだった。
彼等が最早、限界を超えているのは一目瞭然。その胸に宿る気骨だけで身体を突き動かし、今も尚二本の足で立っているのだろう。
「ならば……」
そんな無茶を通してまで私に付いてきてくれた彼等に、私が指揮官としてするべき事は一つ。一刻も早く目の前の連中を蹴散らし、取り戻した安寧の中で泥のように眠らせてやることだけだ。
疲弊に霞む思考を奮い立たせ、小さく息を吸い込んだテミスが、最後の号令を発しようとした時だった。
「――ッ!! どいてくれ!! 頼む! 通してくれッ!! テミスちゃんッ!!!」
「――っ!? バニサスッ!? どうしたッ!? 何があったッ?」
テミス達の後方から、逼迫した声をあげたバニサスが兵士たちの間を駆けて飛び出してくる。
いつも快活な笑顔を浮かべているその表情は恐怖と絶望に歪み、バニサスは今にも泣きだしそうな声をあげてテミスの前に崩れ落ちた。
その前に、異変を察した兵士達が素早く動くと、その身の影にロンヴァルディアの騎士達の視線からテミスとバニサスの姿を隠す。
「魔王軍だ……。隣町の……タルティスの町に居るダチが真っ青な顔で来たと思ったら……今すぐ逃げろって……!!」
「ッ……!!! 落ち着けッ! 数はッ!?」
「わかんねぇ……わかんねぇけど……もの凄げぇ数の軍団が、ファントに向かってるって……さぁ……!! 俺はァ……俺ァ……情けねぇけど……真っ先にこの事、テミスちゃんに伝えねぇとって……!!」
「万事休す……か……」
力無く首を振ったバニサスは、小さく嗚咽を上げながら言葉を紡ぎ終えると、テミスの足元で顔を伏せ、声なき声をあげ始める。
バニサスとて、現状をテミスへ伝えたところでどうにもならない事は理解しているのだろう。
ファントの町からここに来るまでに目にしたであろう夥しい死体の数。傷付き離脱した兵士達も休んでいた筈だし、なによりこうして最前線に立っている私達がボロボロなのだ。誰の目から見ても、魔王軍を相手に出来る余力が無いのは明らかだ。
「……よく伝えてくれた。バニサス。ありがとう」
しかし、テミスは長い沈黙の後、不敵な笑みを浮かべて静かに立ち上がる。
元々が、無理を押し通して通りを引っ込めるような作戦だったのだ。ならば私は、それを信じて付いてきてくれた仲間達……そして、今すぐにでも逃げ出したい気持ちを堪えて、こんな私を頼ってくれたバニサスの思いに応える以外の選択肢は存在しない。
「フリーディア。状況は聞いていたな?」
「え……えぇ……」
「今この瞬間より、この戦場の指揮権をお前に預ける」
「なっ……!? あなたまさかッ!!!」
淡々と告げたテミスの言葉に、フリーディアは驚愕に目を見開くと、ロンヴァルディアの騎士達と向かい合っていたその身を翻して手を伸ばす。
だが、テミスはそれを読んでいたかのように一歩退くと、小さな微笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「だからこの戦い……絶対に勝ち切れ。こちら側は私が何とかする」
「待っ――」
「――お待ちください。テミス様」
自らの言いたい事を言い終えたテミスは背を向けると、涼やかな顔で一歩を踏み出した。
そしてその背に追い縋るべく、叫びと共に駆け出そうとしたフリーディアの前に、二つの影が立ちふさがった。
「我等も……」
「…………御身と共に」
その口から紡がれた静かな言葉と、まるでテミス影であるかのようにぴったりと付き従うその動きは、二人が真にテミスの忠臣である証明だった。
「駄――」
「――何を言っても、ご一緒しますからね? 賭けの報酬を使います」
小さなため息と共に口を開いたテミスの機先すらも制して、朗らかな笑みを浮かべたサキュドが言葉を紡ぐ。
「冗談を言っている場合か!! お前達まで抜けてはこの戦場が――」
「――行きなさい。テミス。二人と一緒に」
「なっ……!? フリーディアッ!? お前まで……」
その言葉にテミスは完全に足を止め、三人を説得すべく背後を振り返った。
しかし、昇り行く朝日の光を浴びながら、不敵な笑みを浮かべるフリーディアの表情に言葉を詰まらせる。
「無茶はお互い様……でしょ? こちら側は何とかするわ。任せなさい。後の話は勿論、祝杯を挙げながらよね?」
「ハッ……お前というヤツは……。後は任せた。行くぞ。サキュド。マグヌス」
「はぁいっ!」
「承知ッ……!」
テミスは一瞬だけ呆気にとられたように目を丸くした後、ニヤリとその口角を歪めて不敵な笑みを浮かべて、言葉と共にフリーディアに背を向けて歩き出す。
同時に、フリーディアもテミスの背を見送る事なく背を向けると、二人はそれぞれの戦場へ向けて歩き出したのだった。




