583話 自制の対価
「っ……ぐぁっ……クソッ……。――っ!?」
テミスに投げ飛ばされ、転がるように全身を地面に打ち付けながら、ようやく止まったユーゴが目にしたのは絶望の光景だった。
苦楽を共にしてきた仲間であるシオはその四肢を力無く地面に投げ出し、穿たれた胸の傷痕から止めどなく注がれる血が、彼女の身体の周りに血だまりを作っていた。
その傍らでは、ティ-トとガンツが魂が抜けてしまったかのように蹲っている。
そして……。
「ムッ……」
「ホラ見なさい。心配無用よ」
最早、戦意を喪失した彼等の事など殺す価値すらないと言わんばかりに、武器を収めたサキュドとマグヌスが佇んで、暢気な言葉を交わしていた。
「フ……クク……。どうやら、斃れたのは貴様の仲間の方だったようだな?」
「……っ!! だったら……何だ。俺一人で、お前たち全員を倒せばいいだけだ」
「できるかな?」
「やってみせるっ……!!」
不敵な声と共に、パキパキと凍り付いた地面を踏みしめながら現れたテミスを目視すると、ユーゴは傷付いた体を無理矢理起こし、再び剣に炎を灯した。
「っ……!!」
チラリ。と。
立ち上がると同時に、ユーゴは視線を僅かに動かし、血の海の中心に横たわるシオの姿を確かめた。
――まだ、息がある。
胸の中心を穿たれ意識を失って尚、シオの胸は呼吸をするように微かに上下していたのだ。
無論。このまま放置すればシオは死ぬし、例えすぐに治療をしたとても、助からない公算の方が高いだろう。
だがこれは、紛れも無い奇跡だ。
ユーゴは燃え盛る闘志を漲らせて、ゆっくりと近付いてくるテミスを睨み付けながら確信した。
傍らの二人は、恐らくあのテミスに匹敵する程に強い。
その自信から、自らが確実にシオの心臓を貫いたことを確信しているのだろう。
だからこそ、見落としたのだ。
シオ自身の回復力を。
「フゥ~ッ…………」
ユーゴは大きく息を吐き、仲間への想いで精神を研ぎ澄ましながら、テミスが自らの射程に入るのを待つ。
シオ自身もきっと、狙ってやった事では無いのだろう。だからこそこの奇跡は、自分の目の前に迫りくる死に、精一杯抗ったシオが手繰り寄せたものなのだ。
「俺が……守り……紡――」
「――どうだ? まだ生きていたか? その回復役は」
「……っ!!」
胸にみなぎらせた決意を剣に注ぎ込み、ユーゴが呟いた瞬間。
事も無げに響いたテミスの声が、ユーゴの希望を粉々に打ち砕いた。
「テミス様ッ!! そんなハズはッ……!! 私は確かに心臓を貫きました!!」
「ん……? あぁ、すまないサキュド。お前の腕前を疑っている訳ではないんだ。お前が倒したそこの小娘は、確実に戦闘を続ける事は出来ないだろう。それにあの出血だ……完全に死ぬのにそう時間はかかるまい」
不敵な笑みを湛えるテミスはサキュドに顔を向けて言葉を返した後、静かに視線をユーゴへ向けて言葉を続ける。
「だが……私の目は誤魔化せん。継続回復系か反応回復系か……微弱だが、そういった類の魔法が発動している。その証拠に……見ろ。僅かに、最初の一撃で倒した連中の治療が未だ続いているだろう?」
「っぁ……!! 申し訳ありませんッ!!! 直ちに――」
「――良い。むしろ、よくやった」
テミスの指摘に顔色を変えたサキュドが、即座に槍を構えて駆け出そうとする。
しかし、テミスは鷹揚な口調でそれを制すると、仲間達を背に庇いながら、ボロボロの身体で剣を構え続けるユーゴへ視線を移す。
「ユーゴ。騎士として、私と立ち合う気はあるか?」
「……意味が解らない。下らないおしゃべりで時間を稼ぐつもりか?」
「クク……。私としては、それでも構わないんだがな。どうせ死ぬのだ。ならば最期まで、誰かを守って、騎士として死にたくはないか……そう聞いているんだ」
「っ……!!!」
チラリ。と。
テミスは一瞬だけ視線を横たわるシオへ逸らすと、意味深な笑みを浮かべてユーゴへ語りかける。
「フリーディアの奴の話では、お前達は自分達を厳しく律し、略奪や無力な者たちへの暴行を行わなかったという。私からしてみれば、目の前で起こる暴虐を黙殺した時点で同罪だが……」
テミスはあえて皆まで言わず、言葉を切ってユーゴの返答を待った。
いわばこれは、奴が今までしてきたことに対する報酬と罰だ。
ユーゴとて、傷付いた今の身体で、私達三人を相手にして勝てるなどと思ってはいないだろう。
だからこそ、ユーゴには選択を与えたのだ。下らん戦争の中で全員がその命を散らせるか、己が命を懸けて、私達にこれまで連中がしてきた程度の騎士道を求めるのかを。
「……解った。もし、俺が勝ったら……」
「その時は好きにすると良い。仲間を連れて帰るも良し、そこのマグヌス達に挑むも良しだ」
「……一つだけ。聞かせてくれ」
「何だ?」
ユーゴは剣に灯した炎を消すと、一度構えていた剣を下ろしてテミスへ問いかけた。
「俺達は紛れもなく敵同士のはずだ。何故……こんな事を?」
「フッ……そうだな……」
その問いに、テミスは自らの大剣をドスリと地面に突き立てて僅かに微笑みを漏らす。すると同時に、その刀身に纏わせていた氷がバラバラと剥がれ、中から漆黒の大剣が姿を現した。
「……お前達が惜しかったから。だな。及第点に至ってはいなかったが、己を律するだけでなく、あと一歩を踏み出していれば……」
……きっと、フリーディアと共に肩を並べ、一緒に笑い合っていたのだろう。
そんな言葉を呑み込んで、テミスは元の姿へと戻った大剣の柄へ手をかける。
「思ったより慈悲深いんだな。噂とは大違いだ」
「気のせいさ。できる事ならば、お前達のように中途半端な連中は、いっその事戦争が終わるまで、どこぞの山奥にでも隠れていて欲しいものだ」
テミスが地面から大剣を引き抜くのと同時に、ユーゴが片腕で剣を構える。
そして、互いに小さな笑みを交わし合った後。
「鳳騎士団団長! 榊雄護!! 参るッ!!」
「黒銀騎団。テミス……推して参るッ!!」
二人は示し合わせたように高らかと名乗りを上げ、鋭い風切り音と共に交叉したのだった。




