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4話 ありふれた宝物

 アトリアは手近なところに転がっていた椅子を引き寄せて腰掛けると、テミスから視線を外して語り始めた。


「魔王軍に征服された町では、税が軽くなって市民が征服された事を喜んでいるとか、町を解放する為に派遣された軍隊が、解放した町の市民から略奪を繰り返しているとかね……私にはもう、どっちも悪魔に見えてね」

「戦争に、善も悪も無い」

「なんだって?」


 物憂げなアトリアに感化されたのか、普段はさして回らない俺の舌も、まるで油でもさされたかのように饒舌に回りはじめる。


「さっき、表の通りで敗走してきた部隊に、罵声と石投げをしている連中が居た」

「ああ、知ってる。アンタが止めたんだろ? その声がここまで聞こえて来たさ……」

「これが戦争だと言うのなら、どっちも等しく悪で、どっちも等しく被害者だ」


 テミスはとりとめも無く持論を並べながら、なんとなく女神の話と、アトリアの話に引っ掛かりを覚える。これではまるで、元の世界の利権戦争のような話し方だ。


「魔王連中が世界征服とか言って始めたものだとしても、長く続けばそれは憎しみの連鎖に変わる」

「待て待て、世界征服だって?」


 少々熱くなって、戦争の愚かさを語ろうとしたところを、目を丸くしたアトリアが止める。気持ち良くなって来た所なのに、正直もう少し語らせて欲しかった。


「……アンタだから言うけどね」


 周りを警戒しながら発した前置きと共に、アトリアが声を潜める。


「この戦争、そもそもの発端は、ここの王家が当時の魔王領の資源を略奪した事だよ。今じゃ大義なんて謡っちゃいるけどね」

「なっ……に……?」


 稲妻に打たれたような衝撃が走る。女神の言っている事とまるで食い違うではないか。それに、町の様子と言いアトリアに聞かされた噂と言い、これでは……。


「待て、何故発端を知っている? この戦争が始まったのはアンタが産まれる前の話じゃないのか?」


 顔を近づけてきているアトリアの横顔を見る。その傷だらけの顔は、高く見積もっても四十代。無理を通せば二十代でも通るような容姿だ。


「私は魔族さね。人間に危害を加える気なんざ、これっぽっちも無い。ただ、昔みたいに、共に酒をあおり、共に肉を喰らい、笑いながら冒険話に花を咲かせたいだけの……愚かな魔族だよ」


 そう言うとアトリアは、長い横髪をかき上げて、途中で切れた耳を見せてくる。


「運よく、昔の戦い……冒険者としての戦いで負った怪我で、魔族のトレードマークは失くしちまったからね。もっとも、片方は自分で削ぎ落としたんだけどもさ」


 そう言って苦笑いをしながら、アトリアが力なく髪を下ろした。


「通報したけりゃすると良いさ。アンタになら……良いよ」

「何故。そんな事を私に……」


 この世界に来たばかりの俺でもわかる。敵対勢力である人間の町に、魔族が紛れているなんて一大事だ。突如明かされた事実の重たさに緊張し、喉がカラカラに干上がる。

 だが、初対面の俺にこんな話をしたところで、どう転んでも、彼女にとって得は無い筈だ。なら何故……。


「もうね、疲れたんだよ。これ以上、私の大好きな大馬鹿共を戦場に送るのはね……それに、ボロボロで戻ってきた兵士を庇ってくれたアンタに、あんな所へ行って欲しくなかった。テミス、アンタみたいな大馬鹿こそ、戦争が終わった世界に必要な人間だよ」


 そう言うとアトリアは、かの兵士たちより悲壮で、疲れ切った笑みを浮かべる。俺はそんなに立派な人間ではないと言うのに……。


「さ、アンタの好きに裁いておくれ。テミスって名前も、おあつらえ向きだ」

「っ……」


 自らが付けた名を呼ばれ、星空に誓った想いを思い出す。何故、アトリアがこんなに悲し気な笑みを浮かべているんだ。ただ、人間と共に笑いたいだけの彼女が、なんでこんな泣きそうな顔で、自らの命を差し出している?


「ハッ……思い上がりも甚だしい……」

「えっ……?」


 ぎしり、と奥歯が音を立てた。自らの愚かさを呪いたくなる。そうだ、正義ってやつは人から教えられるものじゃない。自分で見極める物だ。少なくとも……俺の信じた正義ってやつは、アトリアがこんな顔をするようなモノではないはずだ。


「すまない。冒険者将校とやらになる話は、キャンセルしたい」

「あ、ああ……それは構わないけど……」


 改革には少なからず、痛みが伴う。ここまで憔悴した彼女が、それに耐えうる保証なんてないし、そもそも俺の目指した正義の先に、彼女の求める世界があるかなんてわからない。それでも、女神に聞かされた正義を鵜呑みにし、この世界の人間たちの言い分だけで戦うのは違う。


「この話は、私の胸の内に秘めておく。約束だ。そしてできれば、待っていてほしい」


 先ほどとは逆に、アトリアの肩に手を置いて語り掛ける。


「アトリアの望む未来が、私の道の先にあるかはわからない。それでも、私は私が正しいと思える道を進む。少なくとも――」


 ここの人間たちに正義があるとは思えない。と繋ごうとした所で、唇に指を置かれ、封じられる。


「その心だけで、十分さね。アンタみたいな、燃えるような心を持つ人間がまだ居た。それだけで十分さ」


 優しい微笑みを浮かべて立ち上がると、アトリアは言葉を続けた。


「気を付けるんだよ。人間も魔族も、きっとアンタが思っているよりずっと汚い。アンタの正義が、堕ちて汚れない事を、祈ってるよ」

「っ……」


 弱々しい笑みで告げられた瞬間。テミスは今すぐにアトリアを連れて逃げ出したい衝動に駆られる。

 こんな人間たちの中ではなく、せめて魔族の中であれば、もっと安全に暮らせるだろう。だが……彼女はそれを望んでいないし、連れて逃げた所で今の自分には彼女を安全に保護できるアテも無い。


「どっちに行けば……」


 無力さに押しつぶされそうになりながら、言葉を絞り出す。見捨てる訳じゃないと、心に言い聞かせながら。


「どっちに行けば、魔王城に行ける?」

「えっ、そりゃあ……って、アンタまさかっ!?」


 その言葉を聞いたアトリアの顔が青ざめた。話の流れからそういう連想をするのは仕方が無いが、それでは今までと何も変わらない。


「人間を裏切りはしないよ、まだね。自分の目で、どちらに正義があるのかを確かめに行くだけだ」


 フッと笑みを浮かべながらアトリアの瞳を覗き込む。

 そう。伝聞だけで判断しては駄目だ。それでは石を投げる民衆と変わらない。安全なテレビのスタジオで、俺を批判していた馬鹿と一緒になってしまう。ならば自分の目で見て判断し、正しいと思った方に付く。神とやらが信用できなくなった今となっては、正義を成すためにはまず知るしかない。


「やれやれ……こりゃ、失敗だったかね」


 そう呟いてからアトリアは水晶の欠片を踏み砕きながらカウンターに戻ると、小さな革袋と羊皮紙を取り出した。


「まず、これは地図と金だ。アンタもどうせ、一文無しなんだろう? そんなじゃ城に付く前に野垂れ死んじまう」

「うっ……」


 確かに、道の事も距離の事も考えていなかった。昔からよく無鉄砲などと言われていたが、人間の性格というものはそう簡単に治りはしないらしい。


「次に、これ。冒険者登録だ」

「……」


 巻かれた地図と、革袋の上に一枚の羊皮紙をかぶせる。つまり、これが欲しくば冒険者登録をせよ、という事だろう。


「アンタの気持ちは分かる。でもね、おいそれと人類の脅威になるかもしれない人材を送り出してやるわけにはいかないんだ」

「……冒険者登録?」


 アトリアに声をかけて最初に出してきた羊皮紙は、爆風で床に落ちていた。横目で確認しただけで、異なる書類であることが見て取れる。


「誰も、冒険者将校登録なんて言っちゃいないさ。何も冒険者全員が強制的に徴兵される訳じゃないからね」


 そう前置きをしたアトリアは得意気に指を立てると、ニヤリと笑った。


「冒険者登録をすれば、各地の冒険者ギルドが使える。今じゃどこも似たようなモンだが、裏で魔獣の退治を斡旋してたりする」

「斡旋って……まさかとは思うが、一方的に徴兵だけして、冒険者が担っていた役割は投げっぱなしか?」


 為政者が自分の事だけを考えるなんて事は、それこそ掃いて捨てる程よく見かける出来事だが、それ故にそんな事をしている奴は滑稽に見える。

 そもそも、大局を見据えるときこそ足元を固めなければ、一層苦しむのは一般の市民ではないのか。


「そうだよ。ま、フリーディアの嬢ちゃんみたいな変わり者は別だがね」

「やれやれ……」


 軽くため息が出そうになる。どうやら、一部の者達を除いて皆戦争に夢中って訳らしい。


「要するに、これは私の希望さね。例えこの先、アンタが人間を見限っちまったとしても、アンタは冒険者だ。居場所が無いから戻れないなんてことは無い」

「わかった。冒険者登録、しよう」


 アトリアの心遣いに感謝しながら書類に書き込む。彼女は俺が敵に回った上で、この世界そのものにさえ絶望する可能性をも予測して居場所を作ってくれた。


「アンタみたいな人が居れば、俺も死なずに済んだのかもしれないのにな……」


 この暖かさは間違いなく、かつての世界で俺が求めたもので思わず口走る。


「んっ? 死……?」

「あ、いや……何でもない。こちらの話だ」

「フフッ、聞かなかったことにしとくよ。ヤバそうなことに首を突っ込まないのが、長生きする秘訣さね」


 慌てる俺を見て微笑むと、アトリアは俺が書き終えた書類を手に取って確認してから、こちらに視線を戻す。


「何度も言うが、アンタは戦いが終わった後の世界で必要な人間だ。たとえ戦場に出ることを選んでも、死なないでおくれ……」

「死ぬつもりなど、毛頭ない」

「なら、良いんだ」


 そう言ってアトリアは快活に笑うと、地図と革袋を俺に押し付けてくる。


「冷たいようだが、行くならさっさと行きな。あんまりここに長居すると、軍から怪しまれるからね。今から出れば、一番近い村くらいまでなら行けるだろう。言っても無駄だろうが、無茶するんじゃないよ」

「わかった。その……色々ありがとう」


 テミスは笑いながら手を振るアトリアに見送られて、冒険者ギルドの建物を出た。

 今、このタイミングで彼女と話すことができてよかった。色々な事が起こりすぎて、ズレていたものが元に戻った気がする。


 テミスは微かな清々しさを覚えながら、真上で輝く太陽に目を細めるのだった。

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