54話 立場という名の鎖
テミスが戦闘を繰り広げた地点から林道を少し進み、緩やかなカーブを曲がると、テプローの町の白い外壁が見えてくる。しかし、普段であれば静かな光景が広がっているその防壁の前は、多くの武装した人々で賑わっていた。
「やれやれ……」
テミスはそれを遠目から眺めてため息を吐くと、群衆の先頭で大きく両手を挙げ、ゆっくりと前進を続けていった。
「……止まれ! ……っ!?」
町の警備兵の一人が進み出て、テミスに槍を突きつけると同時にその目が大きく見開かれる。
「魔王軍第十三独立遊撃軍団軍団長、テミスだ。我が軍が不当に捕らえた捕虜を返還に来たのだが……ずいぶんな歓迎だな?」
「軍団……長……?」
テミスは突き出された槍には目もくれず、その先にある衛兵の目を睨みつけて威圧したが、衛兵自身はどうやら私の軍団長という肩書だけで気圧されているらしい。
「む……話が早いな。そこの……ガラドだったか? 悪いんだがケンシンを呼んできてくれ」
目を見開いて硬直する衛兵に呆れて、後ろの群衆に目をやると、その中に丁度見知った顔を見つけて声をかける。巨大な肉切り包丁を携えている所を見ると、町の総戦力をかき集めて来たといった所か。
「舐めるなよ小娘が! 老いたとはいえこのガラド、貴様のような輩をケンシン様に引き会わせるなど言語道断!」
「はぁ……話にならん。だんだん面倒になってきたぞ? マグヌス」
肉切り包丁を眼前に構えたガラドが一喝すると、肩を落として脱力したテミスが傍らのマグヌスへと話しかけた。こちらは二人、背後にはこの町の人間達を連れて来ていると言うのに、この世界では敵の捕虜を里帰りさせるついでに戦いを仕掛けるのだろうか?
「なぁ、マグヌス?」
「ハッ。いかがされましたか?」
あからさまにやる気を失って半眼になったテミスが、仏教面のマグヌスに問いかけると、マグヌスは表情一つ変えずにこちらを向いた。
「送り届けたし、このまま帰っちゃダメかな? もういいだろ」
「なりません。タダで捕虜を返還したとなれば魔王軍の沽券に関わります。事情が事情ですから何かを引き出すべきだとは言いませんが、せめて指揮官とは接見すべきかと」
「やれやれ……真面目だな。お前は」
遠くで口々に罵倒するテプローの人々を見ながら、テミスは再びため息を吐いた。前門の虎、後門の狼とはまさにこの事ではないだろうか? ここから、誰も傷付けずにケンシンと会う事もできなくは無いが、強行突破はどうにも気が進まない。
「パパ……」
ふと。テミスは後ろから、心細そうに呟く子供の声を聴いた。声からして、おそらくユーキの家族だろう。続いて彼を慰める父の揺れる声が、テミスの苛立ちをさらに加速させた。
「仕方がない……か」
そう呟いてテミスは、ゆっくりと背中に背負った大剣の柄へと手を伸ばす。多少は痛いかもしれんが、このボロを巻いた状態の剣の腹で張るくらいならば、死ぬ事は無いだろう。
「っ……やはり貴様ッ――!」
「そこまでだ」
衛兵の持つ槍に力が籠められ、テミスがそれに応じようとした瞬間。静かな声と共に衛兵が手に持っていた槍が忽然とその姿を消した。
「……遅いぞケンシン。これはいったいどういう事だ?」
「これはすみません。何やら武装した大規模一団が向かっているとの事でしたので……それにあんな戦闘音まで立てられては」
ざわざわというざわめきと共に、町人たちの群れが左右に割れ、町の領主であるケンシンが姿を現した。
「礼はいらんよ。アフターサービスだ」
テミスはケンシンに向かって不敵に微笑みながら体を捌き、背後に連れている人々を視線で示すと言葉を続けた。
「例の施設に囚われていた人間の中で、この町が出身だという連中を連れて来た。多いか少ないかは知らんが、あそこに囚われていた人間、かつ生きている連中の中で、テプローの人間の可能性があるのはこいつ等のみだろう」
「そうですか……それで?」
糸のように細いケンシンの目が少し開かれ、独特の威圧感が放たれ始める。まさかここで契約を反故にするほど阿保ではないはずだが……。
「わかりませんか? それだけですかと聞いているんです。我々は被害を被った側だ。なればこそ、その補填をしていただかなくては」
薄く歪められたケンシンの唇から僅かに舌が覗き、テミスの頬を薄い汗が滴る。衛兵の槍が消えた以上、この場所は既にコイツの能力の範囲内のはず……。
「あまり調子に乗るなよ? ケンシン。あくまでも我々は大義の為に彼等を送り届けたのだ。何ならこのまま連れ帰って、ヴァルミンツヘイムででも身柄を解放してやろうか?」
ケンシンの視線を受け止めたテミスの圧が膨れ上がり、周囲で見ている人々がゴクリと生唾を飲み込む。ほんの十数秒。風の音だけが場を支配する時間が流れるが、この場に人々にとってそれは永遠に感じる程の圧を帯びていた。
「……ハッ!」
「ククッ……」
その静寂を破ったのは、他でもないその中心に居る二人が零した笑い声だった。
「どちらとも取れない冗談は止せ、ケンシン。ひとまず、契約……いや、条約は果たしたぞ」
「あながち冗談でも無かったのですがね……ええ。確かに確認いたしましたよ」
一瞬で威圧感が掻き消え、まるで雑談でも交わすかのような気軽な雰囲気で捕虜の返還が行われていく。そんな奇妙な光景を、マグヌスは眉をひそめて眺めているのだった。
「ユーキ! 父さん、母さんッ!」
件の家族がケンシンの横を通り過ぎると、叫び声と共に町の奥からエルーシャが飛び出してくる。
「っ!」
「あれ? テミスさん……? 昨日旅立ったはずじゃ……それにその恰好は?」
ケンシンの横へとたどり着いたエルーシャは、不思議そうに首をかしげるとまじまじとテミスの服装を眺める。その後ろでは彼女の父親たちが、今にも娘を引っ掴んで逃げだしそうな表情で、その光景を眺めていた。
「あ~……その、なんだ。正装だよ。色々とあってな。そんな事より、家族が戻ってきてよかったじゃないか」
エルーシャの視線から逃れるように、テミスは軍帽を深くかぶり直すと、ケンシンに目配せをしながら話を逸らす。こうでも言っておけば、後からケンシンが上手い具合に説明してくれるだろう。自宅に泊めた人間が敵軍の司令官だったなどと、その本人から告げるのはいくらなんでも忍びない。
「うんっ! ありがと! テミスさんはまた寄っていくの?」
「いや……今回はすぐに帰るよ。すまないな」
エルーシャの満面の笑みを躱しながら、テミスは彼女の視線をチラリと観察する。明らかに人間ではないマグヌスを視界にとらえている筈なのに、まるでその姿を認識していないかのようなこの立ち振る舞いは……。
「さ。エルーシャさん。ご両親も弟君も疲れているだろうから……中へ」
「あっ! はい! そうですね。じゃ、またね! テミスさん」
そう言うと、エルーシャは恐縮した顔でこちらに何度も頭を下げる両親を引き連れて、塀の中へと消えていった。
「お前流の、アフターサービスって奴か?」
「ええ。義には義で、恩には恩で報いるべきでしょう? もっとも、私達が受けたアフターケアはこの程度では返しきれないでしょうけど……」
片目を閉じたテミスがケンシンに問いかけると、困ったようにケンシンはそう返した。その視線の向こうでは、ちょうどボロボロに疲弊した十三軍団の面々が、鬼灯のような甲殻の一部を引き摺ってやってくるところだった。
「なんだ……存外苦戦したらしいな」
「全く……あなたは鬼か何かですか?」
「ブフ……ゴホッゴホッ!」
こともなげに言い放ったテミスに、苦笑交じりのケンシンが告げると、突如マグヌスが笑いをかみ殺してせき込んだ。
「マグヌス? 帰ったら覚悟しておけ。今の私のどこが鬼なのか、とっくりと比べろよ?」
「ご……ご冗談を……」
マグヌスの狼狽える声と共に、陽の昇りはじめた青空に笑い声が上がる。他の連中もこうして魔族と笑い合う日が来てくれると良いのだがな。
「では、私もそろそろ。皆が帰ってきたのであれば、仕事は山積みですから」
ケンシンはどことなく嬉しそうにそう呟くと、テミス達に背を向けて数歩歩き出し、その足を止める。
「例の条約。私は本気です。忘れないで下さいよ?」
「解った解った」
テミスは面倒くさそうにケンシンを町の方へと追いやった後、疲弊した十三軍団と空になった荷車をまとめて、プルガルドへの帰路へとついたのだった。
10/25 誤字修正しました
2020/11/23 誤字修正しました




