53話 虚無の獣
軍靴が地面を踏み鳴らす規則正しい音が、林道状になっている街道に響き渡る。朝露の立ち込める街道を前進する集団の先頭には、黒い軍服に身を包んだ長い銀髪の少女……テミスが馬上から前を見据えていた。
「諸君。救出早々歩かせてすまない。御覧の通りもう少しで君たちの町に辿り着くぞ!」
テミスは後ろに続く人々に声をかけると、微かにむせび泣く音と共に、口々に帰郷を喜ぶ声が聞えて来た。
「しかし……あの主人には驚かされましたな……」
後ろで馬を駆っていたマグヌスが、テミスの横に馬を並べると感慨深げに声をあげる。
「ああ。だが、我々としてはありがたい話だ」
そう言ってテミスは頷くと、行軍の中心でガラガラと音を立てる荷車へと目を向けた。そこには、衰弱が酷くて動けない者や女子供などが乗り、安らかな寝息を立てたり周囲の者と談笑したりと、思い思いに過ごしていた。
「フム……そろそろか?」
一行がちょうど、テプローの町の目前までたどり着いた時だった。不意に、馬上でうつらうつらと舟を漕いでいたテミスが目を開けて呟いた。
「テミス様……?」
「総員! 戦闘配置ッ!」
テミスの号令が響いたのと、マグヌスが首をかしげたのは同時だった。一行に流れていたどこか楽し気な空気は一瞬で霧散し、周囲で人間達を守る部下たちの緊張にすり替わった。
「な……何事です?」
「何か忘れてはおらんか? マグヌス」
マグヌスの問いかけにテミスは不敵な笑みを浮かべると、朝の風にざわめく木々の音が次第にその大きさを増していった。
「……丁度良いか」
マグヌスの顔が緊張で強張る一方で、木々に覆われた空を透かし見たテミスがぼそりと呟いた。この事態を予測して、第十三独立遊撃軍団の擁する四個中隊のうち二個中隊をこちらの戦力として回している。ファントに残したハルリトの部隊が指揮官不在という理由もあったが、錆落とし程度にはちょうどいい相手だろう。
「サキュド! 部隊を率いて敵を迎撃せよ。マグヌスは私と共に護衛の続行だ」
「了解!」
殿に配置していたサキュドに向かって指令を飛ばすと同時に、人間達を囲んでいた軍団の兵士たちが歩みを止めて反転する。
「さて……心配する事は無い。少々野獣が出没しただけだ。掃討は奴等に任せて、我々は帰路を急ぐとしよう」
そう言ったテミスが人々の方を振り返り、意を汲んだマグヌスが人々の後ろへと移動する。
「……やれやれ。一匹取り逃がしているではないか」
気だるげにテミスがそう呟くと、街道の木陰から木々をなぎ倒しながら、鬼灯を背負った蜘蛛のような魔獣が姿を現した。すぐ後ろに残した部下たちも戦闘を始めている所を見ると、どうやら個体同士での連携を取る事もできるらしい。
「テミス様っ!」
背負った鬼灯からうねうねと無数の触手を伸ばす魔獣に対し、叫んだマグヌスが腰の剣を抜き放つ。
そのすぐそばでは、先ほどまで笑顔を浮かべていた人間達が、恐怖と混乱の表情で逃げ惑っていた。
「チッ……面倒だ!!」
舌打ちと共に、馬上にあったテミスの姿が掻き消え、凄まじい金属音が鳴り響く。
「なっ……あ……」
直後。驚きの声をあげるマグヌスの頭上を、魔獣の巨体が凄まじい勢いで通り過ぎ、轟音を立てて街道へと着地した。
「やれやれ……軍団長として一体ぐらいは削っておくか……傷の借りも返さねばならんしな」
そうぼやきながら、背中の大剣を抜き放ったテミスが、スタンと軽い音を立ててマグヌスの前に着地する。
「すまんな。1分待っていてくれ」
テミスは硬直する人間達を振り返ると笑顔を浮かべ、事も無げに言い放った。
「マグヌス。これで最後だろうが万が一があるやもしれん。彼等の護衛は任せるぞ」
「……ハッ!」
油の切れた機械のように鈍い動きで立ち上がる蜘蛛を眺めながら、テミスはマグヌスに指令を出す。報告では3体と聞いているが、あの下種が隠し玉を用意していないとも限らないしな。
「よし……では、雪辱戦と行こうかッ!」
蜘蛛が立ち上がり、威嚇するように前腕のような足を振り上げるのを確認すると、叫びと共にテミスは大剣を構えて駆け出した。それに呼応するかのように、耳障りな咆哮を上げた蜘蛛の背中から、濁流のような触手がテミスへと襲い掛かる。
「月光斬ッ!」
あわや、その触手に飲み込まれる寸前。凛とした叫び声と共に、光の刃が触手の濁流を切り裂いて圧し返す。水面を突き進む大型船のように触手を左右に切り裂いた光の刃は、根元の甲殻に当たると、ガラスが砕けるような音と共に霧散する。
「やはり硬いな。だが、次はこちらの番だ」
ぴくぴくと蠢く触手を一瞥すると、テミスは残った距離を一気に詰めて高く跳び上がって大剣を振り上げた。
その瞬間。光の刃に切り裂かれた触手が跳ねると、それぞれの意志を持つかのように跳び上がったテミスを左右から追い縋る。
「遅い」
テミスがぼそりと呟くと、漆黒の大剣が光を放ち、太陽のような光を放ち始める。あまりの眩しさに人々が目を逸らす中、戦闘を食い入るように見つめていたマグヌスの目には、その手に握られる黄金の剣がうつっていた。
「我らが神よ、主の敬虔な子羊たる我が祈りを聴き入れ給え。我の祈りを力と為し、巨悪を撃ち滅ぼす御業を授け給え!」
祈りにも似た詠唱と共に剣が放つ輝きが増し、高い振動音が街道に鳴り響いた。
「ハァッ!」
気合と共に、光の奔流が蜘蛛の魔獣を包み込んだ。腹に響く落雷のような轟音が鳴り響き、凄まじい風圧と土煙がテミスの姿を覆い隠した。
「……すごい」
誰ともなしに、集団の中の誰かが漏らした直後。一瞬。土煙の中で緑の光が揺らめくと、再び風が吹き荒れて土煙が払われる。晴れた視界の中には、大きく抉れた地面と、その淵に垂れ下がるように残っている魔物の足。そして黒い大剣を背負いなおしたテミスの姿があった。
「この力はこうして使う物だろうに……馬鹿が」
テミスは小さく吐き捨てるように呟くと、未だに戦闘の続く後方をチラリと一瞥してマグヌス達に視線を戻す。
「待たせたな。では、行こうか」
ゆっくりと歩み寄りながらテミスがそう告げると、天を突くような歓声が街道に響き渡ったのだった。




