47話 忍び寄る足音
「ではな。世話になった」
数日後。テミスはケンシンと出会った門の前で、エルーシャ達に別れを告げていた。
「本当に行っちゃうの? もう少しゆっくりしていっても……」
「フフ……すまない。だが……」
急がなくては間に合わなくなってしまうからな。と。テミスは言葉の先を胸の中で呟くと、寂し気に見送るエルーシャにテミスは優しく微笑みかけた。今の私は彼女の胸に空いた隙間を占領していたにすぎない。そこに本来の住人が帰ってくるのだ……。
「邪魔者は消えなくてはな……」
誰にも聞こえないほど小さな声でテミスは呟くと、悲し気な瞳で町の上に広がる空を見渡した。
冒険者と言う自由な立場も悪くはなかった。だが、そんな夢もそろそろ覚め時だ。そろそろ在るべき姿に立ち返らなくては。
「世話になった。必ずまた、顔を出すよ」
名残を惜しむエルーシャから目を離して、ケンシンに視線を向けて声をかける。本当の私の姿を見たら、エルーシャはどんな顔をするのだろうか。また憎しみの目を向けられるのは勘弁願いたいものだが……。
「ええ。お待ちしておりますよ……心から」
「ああ。そう遠い未来の事じゃないさ。期待していろ」
そう告げると、テミスは極彩色に光る外套をはためかせながら、テプローの町を後にした。
長い林道区画が荒野へと姿を変えると、やがてプルガルドの町がその姿を見せてくる。時刻は既に夕暮れ近くで、遠くに見える町の明かりも、どこか賑やかさを醸し出していた。
「テミス様。第十三独立遊撃軍団。主命により参上いたしました。すでに所定の配置で待機中です」
「ご苦労」
プルガルドを眺めたまま、テミスはすれ違うハルリトに頷くと、まっすぐにマグヌス達が逗留する予定だった宿屋へと足を向けた。
「すまないな。世話をかけた」
見覚えのある戸口を潜って開口一番、テミスは主人に向かって謝罪する。
「世話なんかしちゃいねぇよ。ウチは宿屋なんだ。倉庫なら他をあたってくんな」
不機嫌そうに返す店主の前に、テミスは小さな革袋を投げ出すとそのまま宿の奥へ足を踏み入れる。
「待ちな。何だこりゃ?」
その背に、顔を見ずともわかる程に剣呑な主人の声が投げつけられた。
「迷惑料だよ。足りなかったか?」
「チッ……馬鹿にすんじゃねぇ。こちとら文字通り客になんもしてねぇってのに金だけ渡されて……ハイそうですかなんて受け取る訳ねぇだろ」
「っ!」
軽い衝撃と共に、テミスの背中に革袋が投げつけられ。ジャリンという音と共に袋が地面に着地する。
「悪りぃと思ってんなら、今度はまっとうに泊りに来やがれってんだ。正々堂々、キチッとしたナリでな」
「……ああ。約束しよう」
テミスは頷くと若干軽くなった革袋を拾い上げ、薄暗いながらも清潔に磨き上げられた廊下を進むのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……そろそろかしら。まさかこの私が太陽を恋しいと思うなんてね」
暗闇の中で幼い少女の声が気だるそうに呟いた。
牢獄区画の片隅に設えられた小さな洞窟の中は、いつの間にか様々な物で溢れていた。
外の惨状からは想像もつかない程、清潔に保たれた毛布やクッション。そして、部屋の隅には豪奢な装飾の施された水瓶と、軍用の簡素にデザインされた缶詰が一緒くたにまとめて転がされていた。
「イザ離れるってなると、少しは名残惜しいものね。色々集めるのはそれなりに楽しかったし……」
元の姿に戻ったサキュドは、独り部屋の中を見渡すと感慨深げにつぶやいた。これらは全て、潜伏中に様々な区画に出向いてくすねてきたものだ。食料などはテミス様を通してマグヌスに用意させたのだけれど、そういった超隠密行動も派手好きのサキュドにとっては新鮮で興味深いものだったらしい。
「ま、テミス様の合図があるまでもう少し待ちますかっ!」
そう言ってクッションの上に寝転ぶと、サキュドは自らの役目を反芻する。今回の作戦でサキュドに与えられた役目は殲滅だった。テミス様は最後まで悩んでいたみたいだけれど、捕まっている人間達の状況を聞いて、この施設の関係者を全滅させる方が安全だと踏んだらしい。
「ウフッ……くふふふふッ」
思わず、嗜虐の笑みが漏れる。ここの兵士たちの強さは大した事無いけれど、その泣き声はきっと、とても甘美なもののはず。
「早く始まらないかしらね……」
サキュドは右手を天井に翳すと、期待に胸を躍らせながら呟く。一拍の後、人気のない薄暗い牢獄区画に、不気味な甲高い笑い声が響き渡るのだった。




