496話 帰還と焦燥
「サキュドさん……」
「……あによ?」
「本当に……良かったんですか?」
「良いのよ。あんな奴等……知った事では無いわ!」
「いえ……そうではなくて……」
馬が駆ける音と共に、喧々囂々と言い争う声が街道に響き渡る。
ロンヴァルディアでの逗留を辞したサキュド達は、引き留めるフリーディアを圧し切り、馬を用意させてファントへと引き返していた。
既に魔王領に入り、もうしばらく行けばファントの城壁が見えてくる筈だ。
「テミスさんを待っていなくて良かったのかな……って」
「っ――!!!」
気まずげにミコトがそう呟いた瞬間。サキュドは肩をピクリと跳ねさせると、馬の速度を落としてミコトと並走した。
「アンタねぇっ……!!」
「っ……!」
その直後。サキュドは唸るような低い声と共にミコトを睨み付け、手綱から片手を離してその胸倉を掴み上げる。
そして、叩き付けるように叫びをあげた。
「アタシを……馬鹿にしてんのかッ!?」
「違っ……」
「違わないわよ!! だったら! ア・ン・タ・がッ! あの町に残って待っていれば良かったでしょッ?」
「そう……ですね……すみません」
「フンッ……」
呟くようにそう返したミコトが視線を逸らすと、サキュドは掴んでいた手を離して開放する。
すると、速度が落ち始めたミコトの馬に対して、再び主が手綱を握ったサキュドの馬は、みるみるうちに速度を増して小さくなっていく。
「違うんですよ……サキュドさん……。今のあなたは……張り詰め過ぎているように見えます……」
残されたミコトは減速した馬の上で空を見上げると、ポツリと言葉を零した。
殿を買って出たとはいえ、単騎のテミスが山のように素人を引き連れて行軍する自分達に追い付けないはずが無い。
行軍中に追って来ない時点で、その安否は火を見るよりも明らかだろう。
敵に捕らわれているか……若しくは……。
「……最悪の場合も、考えておかないと」
ボソリとひとりごちり、ミコトは馬に活を入れて遠くに見え始めたファントの外壁を目指して走り始める。
ともかく、テミス不在の今、彼女抜きで軍団がどこまでまとまるのか……それは軍団長であるテミス自身から直接託された、サキュドの手腕にかかっているだろう。
「何事も無いと良いけれ――どッ!?」
祈りを込めてミコトが嘯いた瞬間。
前方から膨大な魔力が膨れ上がり、血のように紅い光が迸った。
刹那。ミコトは直感的に後悔をした。
――彼女に配慮したとはいえ、一人で行かせるのではなかった……と。
そして壁がみるみるうちに大きくなるにつれて、その大きさに比例して後悔は深いものとなっていく。
何故なら、迸る魔力もさることながら、ガキン! ガィンッ! という剣戟の音が、ミコトの耳を震わせ始めたからだ。
「……それで? 説明を頂きたいのですが?」
ようやくミコトがファントの町の門まで辿り着いた頃には、肩で息をするマグヌスとサキュドが互いに睨み合い、周囲には幾つもの大穴が開いている惨状となっていた。
「おぉ……! ミコトッ……! テミス様は何処か!? サキュドの奴が乱心を――」
「――誰も乱心なんてしていないわよ堅物ッ!! そこをどきなさいッ!!」
「っ……!! さっきからこの調子でな……」
その姿を認めたマグヌスが言葉を紡ぐと同時に、怒り心頭のサキュドの槍が閃いてマグヌスを狙う。
しかし、その一閃は容易く弾かれ、目を剥いてギリギリと歯ぎしりをするサキュドの姿だけが、まるで駄々をこねる子供のような滑稽さを帯びていた。
「……マグヌスさん。お話は後程。サキュドさん。事を急いても良い事はありません。一度落ち付いて話を――ッ!?」
馬を降り、二人の間に割って入ったミコトが仲裁を試みると、その言葉を遮るように、紅の槍が喉元へと突き付けられる。
そして、サキュドは鬼気迫った表情を浮かべてミコトを睨み付けて殺気を向けて叫びをあげる。
「部外者は黙っていて。落ち着ける訳が無いでしょう。こうしている間にも、刻一刻と危機は迫っているッ!!」
「そうですね。だからこそ……です。部外者だからこそ……敵だったからこそわかります。テミスさんは如何なる窮地においてもその豪胆さを失わず、氷のような冷静さで道を切り拓く」
「っ……!」
「違いますか?」
静かに。そして訴えかけるように。
ミコトは首元に添えられた槍をものともせず、睨み付けるサキュドの目を正面から見返して言葉を紡いだ。
十三軍団の戦力は高い。けれど、闇雲に突っ走るだけではその強さを一割も生かす事ができないだろう。
敬愛する主が捕らえられたのだ。もしかすると、既に殺されてしまったのかもしれない。
そんな状況で、全てを託された彼女に焦るなという方が無理な話だ。
だがそれでも。軍団長が居ない今だからこそ、軍団の全員が彼女の持ち得ていた豪胆さと冷静さを持たなければならない。
「そう……だけどっ……!!」
「……僕は信じています。テミスさんはどんな場面であっても必ず生き延びる。だからこそ、僕達が万全の状態で助けに行かないといけない」
それだけ告げると、ミコトはサキュドに背を向けて、唖然と立ち尽くすマグヌスへと視線を向ける。
いずれ明かすとはいえ、ここには市井の目もある。これ以上詳しい事は、まず内密に話すべきだろう。
「マグヌスさん。詳しくは執務室で説明します」
「ムゥッ……。わかった。やれやれ……出迎えに来て正解だった……。行くぞサキュド。お前がそこまで取り乱すなど、ただ事でない事くらいは解る。まずは、何があったか教えてくれ」
「っ…………!! 何よ……もう……ッ!!」
太刀を収めたマグヌスがミコトの言葉にコクリと頷き、ボソリと零した後でサキュドへと声をかける。
同時に、ミコトを促すように体で示すと、騒ぎに集まった人々が道を譲る間を抜けて、三人は軍団詰所へと向かったのだった。




