482話 我が身を楯に
「チィッ……」
ジャリィッ……。と。
踏みしめた地面が音を鳴らす傍らで、テミスは臍を噛んでいた。
この状況は、想定していた中でも最悪に近い状況だ。
こちらは手負いの上、これまでの戦闘で疲弊している。対して奴は無傷……いかに百戦錬磨のテミスと言えど、この状況は絶望的だった。
徒歩での行軍速度は驚く程に遅い。
少なくとも、フリーディア達がヤマトの勢力圏から脱出するまで時間を稼がなければ、テミスがここに残った意味すら消失するだろう。
恐らく、アーサーはそれすらわかってこの戦いを仕掛けてきたのだろうが……。
「やるしか……ないか……」
テミスはボソリと呟くと、再び両手に持った剣の構えを変えて笑みを形作る。
小賢しい手だが、やらないよりはマシだろう。むしろ、それ以外に打つ手が無いのならば、連中に一泡吹かせてやるのも一興だ。
「そろそろ……良いかな?」
「待ってくれ……などと言った記憶は無いが?」
「フフ……私が準備が整うまで待っていてくれた君への、せめてもの返礼だったんだけれどね」
「フン……」
アーサーがニヤリと口元を歪めてそう告げると、テミスはそれを鼻で嗤って黙殺する。
次の一撃……この一撃だけは、必ず通る。
確かな確信と共に、テミスは体内で魔力を練り上げた。
よもやアーサーとて、一騎打ちとなった最初の一撃が、自分を狙ったものでない《・・・》など、予想できるはずも無い。
こちらも相応の対価を払う事になろうが、現状を鑑みれば最善手はこれしかない。
「どうした? 睨み合ってばかりいては意味が無いが……。それとも、私が攻めれば済むこの均衡が、君の狙いなのか?」
「さぁな……教える義理は無い」
「そうか。ならば、こちらも付き合う義務は無いな」
カチャリ。と。
アーサーはテミスのすげない台詞に言葉を返すと、刃を寝かせて刺突の構えを取る。その切先は正確にテミスの胸元を捕らえており、相対するだけで命をも穿ち抜く程の威圧感を放っていた。
「…………」
それを受けたテミスは、静かに腰を落として息を沈め、迎撃の姿勢を作る。
この初撃……これを受け切ればっ……!!
「行くよ」
「――っ!!」
ボソリ。と。
アーサーが事も無げに言葉を紡いだ刹那。その姿が土煙と共に掻き消える。そして、それに応ずるように、須臾程度遅れたもののテミスの姿も掻き消えた。
次の瞬間。
ガギィィンッッ!! と。
剣を打ち合わせる甲高い音が戦場へ響き渡り、互いに背を向け合ったテミスとアーサーが、立ち位置を入れ替えて佇んでいた。
「クハッ……」
時を待たずして、邪悪な笑みを浮かべたテミスが逆手に持った両の剣を振り上げ、体内に練り上げた魔力を一気に開放した。
同時に、紡がれた短い詠唱と共にその足元に魔法陣が姿を現した。
「硬き岩の槍よ我が敵を刺し穿てッ!! 大地の大棘ッッ!!」
「クッ――」
テミスは詠唱の完了と共に振り上げた剣を大地に突き立て、目の前の兵士たちを睥睨した。
それを受けた兵士達が、防御は間に合わないと判断してか歯を食いしばって身構えるが、それは徒労に終わる。
「ク……クククッ……」
ズズン……。と。
間を置かずしてテミスの魔法が効果を表し、兵士たちの後ろに停まっている、彼等の乗り物を余す事無く刺し貫いた。
そう。テミスの狙いはただ一つ。
彼等の足を潰す事。
アーサーのバイクと彼等兵士を輸送するトラックさえ潰せば、アーサー達追撃部隊がフリーディア達を追う手段はもう無い。
体力に分がある奴等とは言え、私がここで惹きつけた時間の分先行しているあいつ等に、徒歩で追いつく事が不可能なのは自明の理だ。
「フム……魔法による移動手段の破壊……。その覚悟、見事……と言うべきなのだろうね。だが、その代償は大きい」
ガラガラとトラックやバイクが鉄屑へと変わり果て、崩れ落ちていく音が響く中で、テミスは己が背後から響くアーサーの声に歯噛みする。
――やはり。防御までは間に合わないか。
即座にそう判断すると、テミスは深々と地面に突き立った己の剣を軸にして、倒れ込むように前方へとその身を投げ出す。
しかし。
「ぐっ……あッ……」
甲高い風切り音が響いた数瞬後、燃えるような熱さがテミスの背を縦断した。
「本当に。見事としか言いようがない。まさか、君ともあろう者が捨て身で人を護るとは」
「っ……ハッ……。勘違いも……甚だしいな……私はただ、お前達が気に入らないだけだ」
「フフ……。面白い。本当に面白いね」
背の傷の痛みに耐えかねて、届かないながらも肩を押さえて荒い息を吐くテミスへ、アーサーは剣を収めると微笑を浮かべながらゆっくりと歩み寄る。そして、背を丸めたテミスの顎を持ち上げて無理矢理視線を合わせると、微笑と共に問いかけた。
「ならば何故、君に切られた者達が生きている? 腱を切られ、骨を断たれて、戦線に復帰するのは難しい者は居るものの、致命傷ではない」
「ハッ……知らんな。運が……良かったんじゃないのか?」
しかし、そんな状況下であってもテミスは、不敵な笑みを湛えて吐き捨てるように言い返しながら、眼光鋭くアーサーを睨み付ける。
だが、既にその視界には霞がかかり、ガチガチと歯の根が合わぬほどの寒さがテミスの身を襲っていた。
「フム……。流石に限界か。だが、ますます私は君が欲しくなった。だからその意気に免じて、今日は君の身柄で満足しておく事にしよう」
アーサーはそう告げると、鮮やかな速さで手刀を無防備に晒されたテミスの首筋へと振り下ろす。
既に言葉すら歪んで聴き取れない程に朦朧とする意識の中、テミスの意識は突如全身に響き渡った軽い衝撃と共に刈り取られた。
「彼女に治療と拘束を。撤収する」
「っ…………。はい……」
ドサリ。と。
意識を失ったテミスがうつ伏せに地面へと倒れ伏すのを確認すると、アーサーはタリクへ剣を返しながら部隊に命令を下す。
「やれやれ……。もしやと思って部隊を別けたけど……どうやら、君を甘く見過ぎたらしい」
アーサーは己の指示を受けて動き始めた部隊を尻目に、空を仰いでそう呟くと深くため息を吐く。
その視線の先では、眩しい程にギラギラと輝く太陽が、まるで讃えるようにアーサーを照らしていたのだった。
本日の更新で第十章が完結となります。
この後、数話の幕間を挟んだ後に第十一章がスタートします。
己の過去との決着を付け、危機にあったフリーディアを救い出したテミス。しかし、テミスは度重なる戦闘を経て疲弊し、自信は敵の手に落ちてしまいしました。
一方で、転生者の町・ヤマトからの脱出に成功したフリーディア。他者を救うという意思を最後まで貫いた彼女には、この先いったい何が待ち受けているのでしょうか?
続きまして、ブックマークをしていただいております325名の方、更に評価をしていただきました44名の方、ならびにセイギの味方の狂騒曲を読んでくださった皆様、いつも応援ありがとうございます。
節目の章という事もあり、かなり長くなりました第十章。様々な人々の色々な想いや信念がが錯綜し、てんこ盛りな章だったかと思います。
さて、次章は第十一章なのですが、何気にテミスさんが『敗北して拘束され、ファントを離れる』のは初めてだったりします。アリーシャさんの心労が目に浮かぶようですね。
では、皆様と語りたい事は山ほどありますが、今回はこのあたりでふんわり次章予告へ移りたいと思います。
様々な困難を潜り抜け、見事フリーディアを救い出したテミス。しかし、傷付いたテミスは転生者の統べる町であるヤマトの虜囚となってしまう。
そんな、テミスを慕う者達や憎む者達、そしてその影で暗躍する者達……。
果たしてテミスは、再びファントへ戻り、希う日常に帰る事は出来るのか……?
セイギの味方の狂騒曲第11章。是非ご期待ください!
2020/11/18 棗雪




