478話 見送る者
ジャリッ。ジャリッ。と。
一歩を踏み出すたびに、線路の下に敷き詰められた荒石がまるで私を責め立てるように音を立てる。
私とて、馬鹿な事をしているのは理解している。だが、私にとってこれは、たとえ死んでも譲る事のできなかったものなのだ。
ならば、全てを賭してでも抗うしか、選択肢は無い。
「テミス様ッッ!!!」
「っ……」
ゆっくりと歩を進めるテミスの背に、息を切らして駅舎を飛び出して来たサキュドの叫びだけが追い付いた。
瞬間。テミスはピクリと肩を揺らして立ち止まるが、その顔は前を向いたまま振り返る事は無かった。
「テミス様……。一つだけお答えください」
静かな。そして並々ならぬ覚悟の籠ったサキュドの声が、テミスの背へと投げかけられる。
この、ピリピリと感じる魔力の波動からして、その手には恐らくあの紅槍が握られているのだろう。
「御身をお捨てになる気では……連中の為に、犠牲になられるおつもりではありませんよね?」
「……。だったら……。だったらどうする?」
「――っ!!」
そう答えながらテミスがゆっくりと振り返ると、サキュドは俯いたまま傍らに突き立てた紅槍を握り締めて震えていた。
そして、僅かな沈黙が流れた後。
「お止めします。この身命を賭して」
「無理だな」
「無理でも……ですっ!」
ジャキンッ! と。
サキュドは震える手で紅槍を構え、その穂先をテミスへと向けて宣言する。
だが無情にも、テミスはサキュドの覚悟をバッサリと切り捨てた。
――それほどまでに、テミスとサキュドの力の差は大きい。
魔王軍において、軍団長とはそれほどにまで強大な存在なのだ。軍団長とその副官。階級は一つしか変わらないがその間には、天と地ほどの隔たりがある。
サキュドもそれを理解しているはずなのに……。
それなのに、涙を溜めた目で私を見据えるサキュドの瞳に迷いは無く、むしろ強い意志の光と不退転の覚悟の炎が宿っていた。
「御身をここで失えば、マグヌスに……アリーシャに……ファントに……テミス様の護衛を託された皆に申し訳が立ちませんッ……!! ならば、拝命した任を解かれようと、反逆の罪で処刑されようと……御身をファントへお連れします!!」
「…………。フッ……」
勿体ない。
決死の表情で語るサキュドを見て、テミスは微笑みを漏らしながら胸の内で呟いた。
ああ、全く。私の部下にしておくには本当に勿体ない程の忠義者だ。
それこそ、リョースやギルティアの下に居れば、毎度毎度こんな危険な橋を渡らなくても済むのに……。
サキュドならば、列車の中での会話を聞けば、私の本当の姿に察しくらいは付いただろうに……。
それでも尚……。私にそこまで尽くしてくれると言うのなら……。
「……テミ――」
「――ありがとう」
テミスはサキュドの元まで踵を返すと、その小さな体を抱き締めて礼を言った。
飾らぬ言葉で、軍団長としての言葉ではなく、ただのテミスとしての心からの感謝を告げる。
そして、腕の中で遂に涙を零すサキュドに、囁くように言葉を続けた。
「私とて死ぬつもりは毛頭無い。だが、私以外に適役がいないのだ。唯一無二ではなく、かつ単独で追撃を退ける程の戦力を持ち、生還できる可能性を持つ者……殿を務めることができる者はな」
「――っ!! 今……確かに聞き届けましたよ? 生還する……と……」
「あぁ。だから、お前はお前の役目を果たしてくれ。フリーディアの奴があの調子じゃロクな役に立たんだろう。それに、私が不在の間はお前が代理として指揮を執るんだ」
「はいっ……はいっ……!!」
そう言った後、テミスは何度も頷くサキュドの身体を開放して一歩離れると、微笑を浮かべて彼女が身構えを整えるのを待つ。
こうして見ると、外見相応の年にしか見えないが、こうしてサキュドに普段の装いとは異なる面を……そして、恐らくは晒したくないであろう弱い面を出させてしまったのは、私の力不足なのだろう。
「……使命は必ずッ!! ……ご武運をッッ!!!」
「あぁ。行って来る……信じているぞ。サキュド」
砂利の上だというにも関わらず、サキュドはテミスの前に膝を付いて深々と首を垂れる。そんなサキュドの信頼と忠義に応えるべく、テミスはニヤリといつも通りの不敵な笑みを浮かべてコクリと頷いた。
そして、首を垂れ続けるサキュドに背を向け、今度こそアーサーの差し向けた追撃部隊を迎撃すべく、歩を進めていく。
その顔は、これから死地へ赴くとは到底思えない程に清々しい笑みに彩られており、溢れんばかりの生気と気力が漲っていた。




