468話 忍び寄る予感
「んむ……ハッ!!?」
「目……覚めたかしら? テミス?」
テミスが目を覚ましたのは、それから数時間後。
東の空が白み始め、夜が明けかけた頃だった。
「っ……!!! わ……私はッ……!!!」
「きゃっ……。そんなに飛び退かなくても良いじゃない……」
「ハッ……ハッ……。す……すまない……。フリーディア……」
まるで、驚いた猫のように。それまでもたれかかっていたフリーディアの肩から跳びあがったテミスは、浅い呼吸を繰り返しながら謝罪する。
まさか、彼女の肩で眠り込んでしまうとは……。疲れていたとはいえ、とんでもない失態だ。
テミスは早鐘を打つ心臓をなだめながら、努めて冷静を取り戻そうと深呼吸を繰り返す。
だが、異様に頬が熱いせいか、平静を取り戻すには幾ばくの時間が必要だった。
「ン……? 待て。フリーディア。何故列車が止まっている? 目的地まで辿り着いた訳ではあるまい?」
「えぇ。操縦士の人の話曰く、魔石の補給でどうしても止まらないといけないって事らしいわ」
「……操縦……士……? まさか……」
覚醒したばかりのテミスの脳裏に、嫌な予感がひた走る。
そうだ。なんて阿呆だったんだ私は。
白翼騎士団の連中はあくまでも人の騎士だ。故に、彼等の保護対象である、一般人や民間人に対する警戒はどうしても緩むだろう。
それに、補給での停車が必要ならば、この列車の持ち主である連中がそれを知らないはずが無い。追撃する連中には垂涎の状況ではないか。
「っ……!!!」
血相を変えたテミスは即座に立ち上がると、廊下側に座っていたフリーディアの前を器用に飛び越えて着地する。
何という大馬鹿……。何という大間抜け……ッ!! 眠りこける数時間前の私をぶちのめしてやりたいッ!!
「テミスっ? 急にどうしたの?」
「警備体制はッ!? 騎士達の配置はどうなっているッ?」
「大丈夫よ。落ち着いて。ちゃんと二人一組で周辺警備に当たらせているわ。貴女のお友達……ミコトの提案でね」
「っ……!! そう……か……」
確かに、私の霞んだ記憶によれば、正面の座席ではサキュドとミコトが座っていた筈……。現在二人の姿が無い事を鑑みれば、彼等も列車周辺の警戒に就いたという事なのだろう。
「…………」
だが、ならばこの拭いきれない不安感は何だ?
廊下の真ん中に突っ立って、テミスは漸く動き始めた頭を回転させる。
警備網の心配をしているのか? 否。こと何かを守護する仕事に関して言えば、付け焼刃な知識と己の力で押し通している私よりも、フリーディア達の方が一枚上手だろう。仮にも、その道のプロである彼女たちに、ただの猟犬であった私が敵う道理が無い。
「何だ……? 何を恐れている……? 私は、何を忘れている……? 見落としている箇所は……」
「もぅ……。忘れ物はコレかしら?」
「っ――!!」
ブツブツと早口で呟きながら思考を続けるテミスの視界に、フリーディアの声と共に長細い何かが差し出された。
数度の瞬きの後。本来の機能を果たし始めたテミスの目は、差し出された物が一本の剣であると認識する。
「返すわよ。約束通り。私の剣が戻ったから……良い剣だったわ」
「あ……あぁ……」
ガコン。と。
テミスが剣を受け取ると同時に、補給作業が完了したらしい列車が、大きな揺れと共に動き始める。
その速度はみるみるうちに、鳥ですら追い付けない程の高速域へと達し、流れ出した景色が何事も無かったことを告げていた。
「ホラ。座りなさいよ。これからの行程を詰めないと……」
「そう……だな……」
言葉と共にフリーディアが奥へ詰め、空いた席をテミスに示す。
それに応じたテミスは、コクリと頷いて腰を下ろすが、その胸の内に渦巻く揺らぐような不安感が消える事は無かった。
「……基本的には、テミスの立てた工程で行きましょう。けれど、道中で調達する馬は、私達が借り上げる形にするわ」
「ン……あぁ……」
「そうすれば、買い取るより安く調達できるし、私達が責任を持って返せば、元通りに……って、聞いてる? テミス」
「……。聞いてるとも。それで問題無い」
それからも、テミスは話半分にフリーディアの提案を聞きながら、言葉少なに相槌を返しつつ、胸の内に問い続ける。
それは、ミコトとサキュドが戻って来てからもしばらく続いた。
「っ……。テミス様? つかぬことを聞きますが、彼女の肩枕の寝心地はいかがでしたか?」
「あぁ……。……。ンッ……!?」
「くふふ。とても気持ちよさそうな顔でお休みになられ居たものでしたから。少し気になりまして」
「っ~~!!! サキュドッ!! 貴様ッ!!」
「ちょっとぉ~。テミス様が悪いんですよ? さっきからずっと上の空みたいですし、何かありました?」
「ン……いや……な……」
遂に、堪りかねたサキュドが、ニンマリと意地の悪い笑みを浮かべて揶揄ってようやく、テミスの意識は羞恥の怒りとともに現実へと引き戻される。
「何かが……引っ掛かるんだが……。何かを忘れている様な……見落としている様な妙な感覚がな……」
しかし、即座にその意図を察したテミスは、それ以上声を荒げる事無く、自らの中の妙な胸騒ぎをサキュド達へと告げたのだった。




