43話 逃走と潜伏と平穏と
荒々しい靴音が、狭く暗い廊下に反響する。魔王城を模したのか、粗く削られた土壁に設えられた蝋燭が、私の影をテラテラと映し出していた。
「ったく……あの馬鹿は何考えてんのよッ……」
突き当りを曲がり、更に薄暗い小部屋に体を押し込めながら、サキュドは吐き捨てるように呟いた。あの映像を見る限り、テミス様は間違いなくこの少年を救おうとしていた。確かに下らない拷問ごっこをする覚悟はあったが、上司が身を挺して守ろうとしたものを嬲った等と知れれば、あの醜い肉塊の隣に私も転がる羽目になりかねない。
「っ……ハァッ……やっぱ……この身体だと……キツいわね……」
熱い息を吐きながら、サキュドは担いでいた少年を地面に降ろし、駆け込んだ小部屋の中を見渡した。どうやら、今は使われていない物置のようだが、あいにく隠れられるような物も無かった。
「さて……どうするか……」
勢いで少年を連れだしたのは良いが、正直善後策など何も考えていなかった。そもそもこの少年の存在自体が想定外だと言うのに、肝心の相棒があの調子では警備の強化されたこの場所からの脱出も厳しいだろう。
「隠れるか……ムリヤリ突破するか……」
どちらを選択するにしても、あまりここには長居は出来ない。どうせすぐに追手がかかるだろうし、下手をすればマグヌスの馬鹿もそこに加わっているかもしれない。
「いっその事……アイツも捕まっててくれたら楽なんだけど……」
サキュドの頬が、ひくひくと蠢いて半月を描く。そうだ。それならば話が早くてとてもいい。あの石頭を説得する手間も省けるし、何より面倒な事を考えなくて済む。
「けれど……」
しかし、それには大きなリスクが伴う。正直ここの兵士の練度は高くないから、叩き伏せるのは容易だろう。だが、あの魔獣だけは別だ。テミス様の剛剣をも弾く甲殻に、背中に背負った奇妙な箱から突き出る触手。それに、他にも何やら妙な装備が取り付けられていた。
「…………よし」
息を整えてから、サキュドは再び少年を担ぎ上げると、小部屋の中から薄暗い廊下の様子を静かに窺う。
幸いにもこれだけ暗ければ魔法は効果が高いだろうし、陽の光が差し込まない点を鑑みても悪い環境ではない。
「あの馬鹿……無事に帰ったら覚えてなさいよ……」
そう怨嗟の呟きを漏らしながら、サキュドはさらに坑道の奥へと姿を消したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「んっ……」
窓から差し込んだ陽の光が室内を照らし出し、部屋の隅に置かれたベッドのふくらみがモゾリと動く。
「ふあぁぁぁぁ……もう……朝……か……」
特大の欠伸と共に、寝ぐせで乱れた銀髪を掻きむしりながら、ベッドの中のテミスが体を起こす。ケンシンとの会談の後、エルーシャの家まで案内された私は、彼女が進めてくれる食事もそこそこに床についたのだ。
「案外……しんどいな……」
肩を貫かれるなんて大怪我をしたのは初めてだったが、正直痛みは思っていたほどではなかった。ケンシンの治療が的確なのか、はたまたこの体が痛みに強い特性でも持っているのかは解らないが、既に傷口も膜が張り、多少動かす程度なら問題は無くなっている。
「ふむ……こりぇほど……か……」
呂律の回らない口で必死に言葉を紡ぎながら、脳味噌の起動を試みる。しかし、体の構造の事は解らないが、体力を治癒に持っていかれているのか、凄まじく体が怠く、一向に頭の中にかかるモヤが晴れる事は無かった。
「あと……五ふ……ん……」
口の中で何やらもごもごと呟いた後、テミスはそのまま二・三度フラフラと頭を往復させると、再びそのまま倒れ込むように体をベッドに横たえる。
「ふっ……あああぁぁぁ……いや……駄目だ……起きな……くては……」
途切れ途切れに寝言のように呟かれる言葉とは裏腹に、テミスは再び大欠伸と共に寝返りを打つと、その瞼は徐々に閉ざされていく。この猛烈な眠気がケンシンの術中で無いとは限らないが、そんな事さえもうどうでもいい。
「アリー…………」
今にも潰えそうな呟きと共に力なく延ばされた手がゆっくりと落ちて、ベッドサイドに垂れ下がった。
「テミスさん? 朝ご飯――……とと」
声と共にエルーシャが入室してきたのは、テミスの意識が落ちてから5分ほど経ってからだった。
「疲れてたんですね……」
エルーシャの手が優しくテミスの腕を掬い上げ、ベッドの中へと連れ戻した。穏やかな朝の日差しの中で、すうすうと寝息を立てるその顔はとても穏やかで、とてもあの化け物を退けるような歴戦の冒険者だとは思えない。
「……ホント、見えないなぁ……」
そう悲しげに呟いたエルーシャの目は、部屋の隅に立てかけられた黒い大剣へと注がれていた。
「ゆっくり……休んでくださいね」
そう言ってエルーシャは髪を結んでいた紐をほどくと、ふんわりと柔らかな微笑みを浮かべながら、音を立てずに部屋を出て行く。これによって、じっくりと惰眠を貪ったテミスが目を覚ますのは、太陽がちょうど真上を通り過ぎた頃だった。




