466話 余裕という名の誤算
「フリーディア様ッ! ご無事で何よりです!」
「リック……!? あ、ありがとう……。でも……」
鎧の音が聞こえ始めてから数分。
白翼騎士団の甲冑を身に纏った、数人の騎士達はテミス達の前に姿を現すと、真っ先にフリーディアの前に傅いて首を垂れた。
「……。フン……」
その姿に、フリーディアが驚くのも無理は無いだろう。
この町の地面は酷く汚れている。
騎士たる誇りを胸に抱き、剣や甲冑を尊ぶ連中が、後生大事に磨き上げている甲冑で、こんな汚所に足を踏み入れる事は無い。更に、地面に膝を付いて傅くなど以ての外だ。
だが、彼等がそうまでする理由を、テミスは良く知っていた。
何故なら、ミュルク達白翼騎士団の心をここまで追い詰めたのは、他でもないテミス自身なのだから。
「随分と。過酷な生活だったらしいな?」
「っ……!! あぁ。何度お前を殺す事を……騎士にあるまじき暴虐を働く夢まで見る日々だった」
カシャリ。と。
数歩の距離まで歩み寄ったテミスが声をかけると、フリーディアへ平伏したままミュルクは言葉を紡いだ。同時に、その足元から僅かに鉄の擦れる音が漏れ、テミスは自然と半身に身を構える。
……抜くか?
――いや、幾ら何でもそこまで愚かではあるまい。
だが、相手はあのミュルクだ。道理など易々と飛び越えて来るだろう。
その刹那の間に、テミスの脳裏では様々な可能性が展開され、検証される。
しかし、その所為で。
まったくもって予想外の動きをした白翼騎士団の騎士達に、テミスはピクリとも反応できなかった。
「心より……礼を言うッッ!!!」
「なっ……っ……はっ?」
フリーディアの前へ集った数人の騎士達は、一糸乱れぬ動きでテミスへと体の向きを変え、深々と首を垂れたのだ。
その、誇りに生きる彼等ではあり得ない行動に困惑したテミスは、遅れて反応した妙な格好のまま凍り付き、目を白黒させて疑問符をあげる。
「確かに……騎士たる誇りを凌辱され続ける毎日だった。だが、それも全てはフリーディア様を救うために必要な事……。最低限の心遣いも礼を言う」
「ン……? 心遣い……?」
「あぁ。地下水道に不自然に配置された妙な水がめに保存食の数々……。お陰で、我等はまだ辛うじて騎士で居られる」
「っ……」
チラリ。と。
深々と首を垂れる騎士達の視界の外で、テミスは咄嗟にフリーディアの背後に立つミコトへと視線を走らせた。
何やら、妙な事をしているとは思ったが……。まさか、あの段階でここまでを先読みして準備していたのか……?
しかし、テミスの向けた視線の先で、ミコトはへらりと締まりのない笑みを浮かべて片目を瞑っただけだった。
「チッ……まぁいい。それで、被害状況は?」
「備えのお陰で万全だ。一人の死者も無い。脱出経路の準備も完了している」
「っ……! 何だと?」
その言葉を聞いた瞬間。
眉を跳ね上げたテミスが顔色を変えてミュルクの前に詰め寄った。
迎えの兵が少数過ぎるとは思ったが、まさかその為か……? 白翼の騎士達を運べる数の馬など用意できるはずも無いし、あの方法以外に、脱出の方策は浮かばなかったが……。
「フッ……。今頃、カルヴァス副隊長率いる我々の本隊が、あの妙な列車を押さえている頃合いだろう。あとは我等が合流して……」
「……っ!!! っ~~!!! っ……!!!」
「……何だよ?」
得意気に頬を緩ませたミュルクが、下げていた頭を上げながらそう告げると、テミスは身悶えしながら顔を歪ませていた。
その奇妙な行動に、ミュルクは思わず一歩退いて問いかける。
「…………。お前等の事だ。おおかた、熟考の末に辿り着いた最速の手段なのだろう」
「……勿論だ」
「嗚呼……ならば何故……もう少し考えなかった……」
テミスはそう、うわ言のように呟きながら、頭を抱えてヨロヨロと手近な壁にもたれかかって言葉を続ける。
「アレは早いし大人数を移動させるのには向いているが、列車の枠を出ない以上自由に動けん……。加えて、ここは敵地なのだぞ?」
「っ……! リック。皆は?」
「え……と……。既にあの列車を制圧しているとしたら、我々を待機している頃かと」
真っ先にその意図に気付いたフリーディアが問いかけると、首を傾げたミュルクが答えを返す。
だが、その表情を見る限り。
その選択が、こと撤退戦において致命的な失敗であるとは未だに気付いていないらしい。
「テミス……御免なさい。あなた達はここで――」
「――ふざけるな馬鹿。分かれた所で此方の戦力はたかだか三人。たったそれっぽっちの戦力でどうしろと言うのだ……」
「っ……!!」
フリーディアが提示した次善の策を、テミスは弱々しい声で切り捨てる。
そもそも、この脱出作戦は白翼騎士団の戦力を含めて練られていたものだ。それを、途中で戦力を分断させるなど以ての外だ。
「ハァ……。もう良い……。終わった事だ。やらねば死ぬだけならば、やるしかあるまい」
目を伏せたフリーディアへ、テミスは深いため息と共に告げると、萎えかけた己が心に活を入れて奮い立たせる。
状況は最悪に近い。
だが、まだすべてが終わった訳ではないのだ。まだ、あがく事くらいはできるだろう。
「ミュルク……後で説明してやるから、ひとまず何も言わずに、その素敵な合流場所まで案内してくれ……」
「っ……。了解した。こっちだ。ついて来い」
テミスがそう疲れ切った声色で水を向けると、不満気な顔で成り行きを見守っていたミュルクは、コクリと神妙な顔で頷いて身を翻したのだった。




