463話 怒りの焔、斬って捨てて
ゆらり……。と。
最初に揺らめいたのは陽炎だった。
ユウの身体はら発せられるすさまじい熱量が景色を歪ませ、偽りの像を結ばせる。
その、攻撃の予兆とも言える現象が確認できなければ、テミスは今の一撃をまともに食らっていただろう。
だが……。
「っ……」
「っ――!!!」
その怒りを、嘲笑うように。
テミスはユウが掌に灯した光球をあえてギリギリの距離で躱してみせる。
その表情は不敵な笑みに彩られ、躱したとて確実にその肌を焼き苦しめているであろう熱の痛みを、微塵たりとも感じさせはしなかった。
その事実が、かけ離れた実力差を表しているようで……。
心を捧げて尚。命を賭して尚、届かない……。
そんな錯覚がユウの心に絶望の根を張り始めた瞬間。
「フン……」
どすり……。と。
音こそたたないものの、テミスが動かした黒い剣が、白く輝く光球を突き刺した。
無論、そんな行為に意味など無い。
光り輝く光球は、ただの熱量の塊がそう見せているだけで実体は無く、そこに剣を刺し入れた所で、その超高温が剣を溶かすだけ。
だというのに。
「温いな。こんなものか……お前の怒りは……」
「っ~~~!!!!」
言葉と共に、振り上げられた剣がユウの腕を切り裂き、深く傷を付けた。
溶け散るはずの刀身には歪み一つ無く、焼け爛れているはずのテミスの掌にも傷一つ無い。
腕を切り付けられたユウが、数歩よろめいて後ろへ退く。
手にしていた筈の光球は既に消え失せ、代わりに腕から滴る血が肩で息をする彼女の掌を濡らしていた。
「私が憎いのだろう?」
「っ……!!」
「私を焼き殺したいのだろう?」
「ッ……!!!」
テミスが言葉を紡ぐ度、緩み、緩慢な光を揺蕩えていたユウ瞳はぎらぎらと殺意に輝き、食いしばられた歯がギシギシと軋みをあげる。
それに比例して、体から発せられる熱量は爆発的に上昇し、今や周囲で見ているオズやフリーディア達でさえ、思わず顔を覆わねばならない程だった。
けれど、一番間近でそれを受けているはずのテミスは、己が身を庇う素振りさえ見せず、涼し気に微笑んでゆっくりとその距離を詰めていく。
「まだだ。まだ足りない。本気で挑みかかって来い。さもなくば、私はお前が愛するこの町を破壊し尽くしてやる」
「何の……ッ……為にッ!!」
食いしばられた歯の隙間から、ユウは思わず問いかけた。
やっと手に入れた平和。
ようやく見つけた、穏やかな日々。
もう、怯えなくていい。もう、戦わなくていい。
ここは、傷付き、疲れ果てたこの身と心を、遂に休ませる事のできる場所なのに。
「放っておいてよ……私達はただ――」
「――ただ、平和に暮らしたいだけ?」
「……ッ!!!」
ゆったりと歩み寄りながら、テミスはユウの言葉の先を汲み取って先んじた。
そしてそれは正鵠を射たのか、ユウは目を一瞬驚きに見開いた後、更に己が身すら焼き焦がさんばかりの怒りを熱量へ変えて口を開く。
「それが……それがわかっていて。何故ッッ!!!」
怒りの叫びと共に、遂にユウの纏っていた熱量が限界を超え、炎となってその身を包み込んだ。
蠢く炎は、それを纏う彼女の身すら徐々に焼き焦がしながら形を変え、不格好な地を這う竜のような姿を模った。
「クッ……ハハハッ!! 事ここに至って、今更理由など求めるかッ!! 滑稽な奴め。結局、どこまでも『正しさ』に縋りたいらしい。お前の言う平和の足元に、どれ程不幸の山が築かれているか見ようともせずッッ!!」
「うるさいッッ!! 私は皆のために戦ったんだ!! 奴等なんかの為にッ……あんな連中だと知っていれば……守ってなんてッッ!!」
猛る炎の中から紡がれた怨嗟の叫びが形を成すように、炎でできた巨大な地竜はその咢を大きく開き、その口元に煌々とした光球を貯え始める。
その白熱した光は空気をも焦がすほどの熱量を帯びながらも、無機質で寒々しい光を放っていた。
「気に食わないんだよ!! どいつもこいつも被害者面で身勝手な正義ばかり振り翳して……。他人を食い物にする己が保身のために、まるで免罪符でもあるかのように、べらべらと薄っぺらな正義を語るな。反吐が出る!!」
「何も知らないお前が私を語るなァッッ!!」
テミスとユウ。
二人の叫びが重なった瞬間。炎の地竜が太い熱線を吐き出し、応ずるように真正面から突撃したテミスの姿を呑み込んだ。
周囲を焦がし尽くす熱線が真っ直ぐに放たれ、道を駆け抜けて虚空へと消える。
放たれた熱線はほんの数秒。
だがしかし、その戦いを見守っていた4人には、その後に訪れた虚無の静寂も含めて、永劫に等しい時間に感じられた。
「うぅっ……」
ぐらり。と。
原型を失った炎の地竜が霧散し、焼け焦げたユウが体勢を崩す。
その前に広がるのは焦げ付いた石畳だけで、相対していた筈のテミスの姿は存在しなかった。
「はは……ざまぁ……見ろ……」
ユウはそれを見て弱々しく笑うと、辛うじて立っていたその身から最後の力を抜いた。
したがって、ドサリと言う音と共にユウの身体は地面へと崩れ落ち、薄雲が広がる夜空がその視界を満たす。
だが、その視界端で。
鋭く空気を切り払う音と共に、夜空のように漆黒の剣が閃いた。
「他愛もない。悪いが、偽りの勝利に浸らせる程優しくは無いぞ」
「っ――!?」
同時に、ユウの視界の外から、冷たい声だけが降り注ぎ、力を失った体に再び火を灯す。
「確かに。私はお前の事など、お前が語り聞かせた事以外は何も知らない。だからこそ、この私が評してやろう」
傲岸不遜な言葉と共に、ユウの視界に現れたテミスは、溶けた蝋燭のように歪んだ笑みを浮かべていた。
そして、動けないユウの頭の真横に剣を突き立てて言葉を続ける。
「最後の攻撃だけは、欲望の籠った良い攻撃だった。次こそは、私が斬って捨てるに値する外道へと身を窶していろ」
一方的にそれだけ告げて、テミスは焼け焦げた喉で声にならない叫びをあげるユウの視界に、悪魔のような笑みを残して消えたのだった。




