455話 並べる肩は未だ遠く
「動くな! 何をして……い……る……?」
バァンッ!! と。
テミスが閂となっていた破片を外した瞬間。外側から叩き付けられるように扉が開かれ、同時に転がり込んできた見知った人影が荒々しく声を上げる。
しかし、部屋の中の惨状を目の当たりにする事で、その威勢もすぐに萎えたのか、語気が尻すぼみに消えていく。
「何を……と言われましても……片付け……? としか……」
「なっ……片付け……だと……? これがッ……?」
「えぇ……まぁ」
術式で偽った胸を持ち上げながら、フリーディアの姿に扮したテミスは、首を傾げてコクリと頷いて見せる。
だが、本音を言わせて貰うのならば、この部屋の惨状を見て片付けを連想できる人類はごく少数だろう。
「ったく……お前らは片付け一つもマトモにできねぇのかよ……」
「あっ……」
部屋へと侵入してきた男――タケシは足元に落ちたフリーディアの部屋着を、まるで汚物でも摘まむように拾い上げると、唯一スペースが開いていたベッドの上へと放り投げる。
しかし、運の悪い事に、その場所には姿を消したサキュドとミコトが身を潜めており……。結果、薄布は不自然な軌道を描いてベッドの上へと音も無く落着する。
「っ……」
「それよりも……だ。お前……今誰かと喋ってたろ?」
「い……いえ……? おしゃべりなど誰とも……あぁ、お片付けの時に独り言を言っていたかしら?」
「独り言だァ……?」
あざとく、しかし淑やかに。そして、頭のネジが数本抜けているのではないかと思う程にわざとらしく。テミスは、そんな台詞が自らの口から放たれる事に悍ましさすら覚えながら、フリーディアを演じて言葉を紡ぐ。
どこからか果てしなく抗議の目線を感じる気がするが、今は唯黙殺して目の前の無粋な男をいかに手早く始末するかを考える。
「……まぁいい。部屋を検めるぞ」
「疑り深いんですねぇ……。お好きにどうぞ?」
「フンッ……」
思考の片手間でテミスはタケシに言葉を返し、その隙を伺いながら、乱雑に部屋の中を調べ始めたその背に、じりじりと慎重ににじり寄る。
兎も角、このクズ男が雑な性格で助かった。少しでも慎重な者ならば、今の肌着の軌道だけで疑いは深まっていただろう。
だが、これは好機……やるならば、一撃必殺だ。
背負った剣を抜けば私の纏うこの虚像は歪み、幾ら鈍感なこの男でも異常に気付くのは間違いない。
「っ……」
衣擦れの音すら鳴らぬよう、ゆっくりと、丁寧に、一歩づつ室内を漁るタケシの背へと忍び寄る。
時間にして十数秒。だが、永遠にも感じられるほど細心の注意を払って遂に、テミスはその真後ろにまで肉薄する事に成功する。
そして、ブツブツと呟きながらクローゼットの中を改めているタケシの首を刎ねるべく、背負った剣を静かに抜いて高々と掲げた。
――その刹那。
「テミスッ! 待っ――」
「――っ! クッ――!?」
「――!!? チィッ!!」
悲鳴のように上げられた制止の叫びにタケシが即応した。
テミスもまた、舌打ちと共に瞬時に剣を振り下ろすも、タケシは横っ飛びに体を薙いでその命を刈り取らんとする黒刃から逃れる。
「グッ……アッ……!! テ……メェッ!! リヴィアッッ!!」
だが、テミスとて確実に首を落とせる段階から、警告一つだけで無傷で逃すほど甘くはない。
タケシの素っ首を叩き落とす筈だった刃は確かに狙いを外したものの、逃れきれなかった肩口に深々と食い込んで切り裂いてみせる。
直後。ゴロゴロと床を転がったタケシは、苦悶の声をあげながらも、真の姿を現したテミスを憎悪の視線で睨み付けた。
「カッ……カハハハハッ!! そう言う事かよ!! やっぱりなァ!! 最初からお前は怪しいと思って――って……オイ?」
「――っ!?」
しかし、テミスは高笑いをあげるタケシを無視してその横を通り抜けると、声をあげた事で隠形の魔法が解けたフリーディアへと無言で詰め寄る。
そして。カチャリ……。と。
その首輪のはまった白い肌にタケシの血で濡れた黒刃を向けると、ひたすらに平坦な声で口を開いた。
「私を呼んだ以上、全て承知の上のはずなのだがな?」
「……ごめんなさい。つい……」
「『つい』……で済まされる話ではない。お前の甘さが今、我々を危機に陥れた」
ただ静かに。淡々と事実を告げるテミスの瞳には一片たりとも怒りの感情は無く、無感情に注がれるその視線は、確かな失望を声高に語っていた。
「戦友のよしみだ。選ばせてやる。ここで責任を取るか、自らの手でその下らん誇りを折り砕くか」
ゴクリ……と。
敵である筈のタケシもが、テミスの発する冷たい雰囲気に呑まれて生唾を飲み下した。
それほどにまで静謐で、そして冷酷な気配を、今のテミスはその身から発していた。
「……わかったわ。貴女に従う」
一瞬の逡巡の後。フリーディアは神妙な顔で頷くと、テミスの前に膝まづいて首を垂れる。
その首の動きに併せて、テミスの持つ剣も下へと下がるが、その身から発せられる冷たい気配は、僅かばかりか薄れ始めた。
「――っ!! テメェ等!! この俺を無視して何してやがる!!」
気配が和らいだせいか、現状を見守っていた者達の中で誰よりも早く、我を取り戻したタケシがテミスを指差して怒声をあげる。
「……。フン……下らん……」
小さな吐息と共に紡がれたその言葉は、テミスが良く口にする口癖の一つだった。
しかし、まるで頬が裂けたかのように半月状に歪められたその唇が、テミスを良く知る者達にとっては、地獄の幕開けを声高に告げているものでしかなかった。
そしてその牙は間違いなく、テミスに向かって喚き散らしているタケシだけではなく自らにも向く……。
最も間近でその笑みを見上げていたフリーディアは、心のどこかでそう直感していたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




