451話 揺れ動く天秤
「フム……なるほどな。だいたい理解した」
それから数時間後。
とっぷりと夜も更けた頃。
作戦会議という名の情報共有が無事に終わり、テミスは深く頷いていた。
「ならば、やはり問題はその首輪だな。斬って斬れん事は無いが、それをしたが最後。脱走が露見する」
「えぇ。だから、タイミングが重要よ。いつまでもつけていては居場所が筒抜けになる……かといって、外すのが早すぎると追い付かれるわ」
「奴隷の首輪に『委員会』……やれやれ、課題は山積みだな」
テミスは自らが毛布にくるまっているのを良い事に、ぼやきながら、そのままべしゃりと椅子から崩れ落ちた。
まさかあの首輪が、ただ身分を表すためだけの物ではなく、発信機と警報装置を兼ねている代物だとは……。
それに、委員会。この王宮に住まう事を許された、アーサー直属のエリートらしいが、フリーディア曰くどいつもこいつも戦闘力が高いらしい。
それもその筈……彼女の国、ロンヴァルディアであれば、冒険者将校と言えばそれだけで一騎当千の猛者なのだ。冒険者将校……転生者が集うこの町では、一兵卒からして猛者が集うのは当たり前の話だ。
「その中でも、最近入ったらしいノジマってヤツは最低よ……。アーサーから一目置かれているらしいけれど、王宮でもやりたい放題……品性の欠片もあったものじゃないわ」
ピクリ。と。
フリーディアの口から宿敵の名が零れた事で、テミスの眉が小さく跳ね上がり、猫のようにモゾモゾと転がっていた動きがピタリと止まる。
そうか……。奴もここに居るのか。
期せずして得た情報に、テミスは呑み込んだはずの激情が湧き上がってくるのを自覚した。
しかし、感情に蓋をして無理矢理それを再び飲み下すと、ボソリと小さな声でフリーディアへ応える。
「あぁ……。知っているさ。よく知っている……」
「っ……! テミス……まさか彼は……」
「変な勘違いするな。反吐が出る。ただ自らの悦楽の為だけに同族である人間を殺す狂人だぞ。我等魔王軍が、そんな塵屑にも等しい奴を招き入れる筈があるまい」
「人を殺して……楽しむ……? そんな……」
恐らく、王宮に詰めているフリーディアは、そこまで詳しく奴の事を知らなかったのだろう。信じられないとばかりに目を見開いて、顔を青くして絶句している。
しかし、それも束の間。
どろりとした憎悪を宿して立ち上がるテミスの目を見て、フリーディアはその言葉が真実であると確信した。
「そんな人間がいるなんて信じられない……いえ。信じたくないけれど……。本当……なのね……」
そう告げながら、フリーディアは自らの声が知らずのうちに震えている事に気が付いた。
ついさっきまで、あれ程柔らかな顔で笑っていたのに。あんなに表情豊かに、可愛らしく毛布にくるまってゴロゴロと転がっていたのに。
ただその名を聞いただけで、少女の姿は消え失せ、ただそのうちに秘めた激情を押し殺す修羅が目の前に立っていた。
けれど……。
「貴女に放っておかれたら、私は死ぬしか無いわね?」
「……!」
フリーディアは大げさにため息を吐きながら、半ば投げやりな態度でベッドへその身を投げ出して言葉を続ける。
「だって、そうでしょう? 私は絶対に諦めない。けれど、貴女の因縁に口を出す権利も無いわ。だから、そうなったら一人でやるしかない」
「フリーディア……」
「知ってるかしら? 私、すごく微妙な立場らしいのよ。アーサーの命令でここで働いてるけれど、本当はもっと別のコトをやらされるはずだったんだって」
「…………」
「何回脱走を試みたら、私は愛想付かされるのかしら? 一回? それとも三回?」
「……止めろ」
「あ~あ……。死ぬなら戦場でって決めていたのだけれど……。どうしてこうなるかなぁ……」
テミスが歯を食いしばる音を聞きながらも、フリーディアはわざとらしく足をばたつかせながら、慣れない嫌味を垂れ流し続けた。
今、テミスを絶対にそちら側へ行かせる訳にはいかない。
焦燥を胸の中で噛み砕いて、フリーディアは急いで次のセリフを探し始める。
本当は、もっと上手に止めるべきなんだろうけれど、生半可な言葉じゃテミスの意志を揺るがす事すら出来ないのは、誰よりも私が知っている。
なら、逆に煽り立ててやるッ!!
フリーディアはそう決心すると、唇の端をひくひくと痙攣させながら、テミスの対抗心をくすぐる言葉を発し続けた。
「一緒に来ているサキュドは協力してくれるかしら? それともいっそ……っ!!」
「――もう良い」
ぼすん。と。
言葉を紡ぎ続けるフリーディアに、テミスは一足飛びで飛び掛かると、その上に覆い被さるようにして強引に言葉を止めさせる。
「下手くそなんだよ。煽り方が。解ってる……解っているさ……」
バツが悪そうに、しかし皮肉気に。
テミスは押し倒した形になったフリーディアから目を背けながら、ボソボソとそう続けた。
確かに、奴の話が出た途端、我を忘れそうになったのは間違いない。けれど、今ここで奴に挑んだところで、数の理で圧し潰されるのは目に見えている。
「クソ……調子が狂うな……」
「ふふん。これでまた一つ、貸しが増えたわね?」
「うるさい。脱出するにしてもその格好じゃ目立ちすぎる……。明日の夜。また来る」
頬を掻きながらテミスは、ベッドから降りて落ちた毛布を拾い上げ、フリーディアへ投げ渡すと、部屋に設えられた窓へ向けてゆっくりと歩き始めた。
行きはともかく、帰りはこちらからで問題無いだろう。
「ふふ……わかったわ。窓を開けて待機しておきます。軍団長殿?」
「フン……」
フリーディアの楽しげな声がその背に投げかけられると、テミスは小さく鼻を鳴らして、夜の闇へと飛び出していったのだった。




