449話 交叉する二人
時は少し遡り。王宮内某所。
薄暗く、そして陰鬱な雰囲気の漂う廊下を、二人の男が楽し気に語り合いながら歩いている。
どちらの男も頬が薄赤く、微かに呂律が回っていない事から、傍目からわかる程に酔っぱらっている事が見て取れた。
「なぁ……今日は誰にするよ?」
「んあ? アレは? ついこの間入った新人のさ……」
「金髪の?」
「ん。そうそう」
「バッ……ありゃ、『上』のお気に入りで即引き抜きだよ。今頃メイドでもやってんだろ」
「えぇ~……んだよ勿体ねぇ……」
男たちが向かう先は徐々に設えられた明り同士の距離も増し、どろりとした黴臭い闇が揺蕩っていた。
そのすぐ後ろを、息を殺して尾けて居る一つの影があった。
その影は、ぴったりとした漆黒のボディスーツに身を包み、小さなフードに白銀の髪を隠したテミスだった。
「んあ~……じゃあ、結局ミィかなぁ……」
「うっわ。最近お前ミィばっかじゃん。なに? ロリコンにでも目覚めたか?」
「かもな~。こっちじゃ法律とか関係ないし、一回試した見たらなかなかイイんだわこれが」
「……マジ?」
「マジマジ。お前も一回試してみろよ」
ゴクリ。と。
後ろを尾けているテミスの耳にも聞こえてくる程、かどわかされた男が大きく生唾を飲む。
何処までも下品で下種な会話だ。
音も無く二人の後ろを歩きながら、テミスは胸の内で小さく嘆息した。
王宮内に潜入して早々に、地下牢なる単語を耳にして尾けては見たものの、延々と垂れ流される酔っ払いの醜い性癖の話に、いい加減うんざりしてきたところだ。
「あぁ。虐めても良い声で鳴くからな。経験の浅い奴だと尚良い」
「フヒッ……確かに、奴隷に人権はねぇからな!!」
「フン……」
馬鹿話と馬鹿笑いをする男たちの後頭部を、テミスは背後から剣の背で殴りつけると、乾いた音と共に彼等は簡単に昏倒した。
どうやら、これ以上この変態共について行っても収穫は無さそうだし、胸糞悪い会話を聞かされた以上、放置するのも忍びない。
故に。
「朝まで寝てろ……全裸でな」
テミスは風切り音と共に数度剣を振るうと、キンッ。と澄んだ音を立てて剣を背に戻す。
これで、幾ばくかは……せめて今夜だけでも、ミィとかいう少女が安眠できれば良いのだが。
まるで、床にこびり付いた汚物で揉み下すような目で男たちを一瞥をくれた後、テミスは再び闇に身を潜めながら元来た道を疾駆する。
「新人の金髪……連中は確かにそう言っていた。ならば、闇雲に探すよりはマシなはず……」
ブツブツと呟きを漏らしながら高速で左右に目を走らせ、テミスは上階への道を模索する。これだけ広い建物ならば、案内図の一つでも置けばいいものを、どこもかしこもルームプレートすらかかっていないのだから、つくづく、侵入者……もとい、新人に優しくない作りだと思う。
「ったく……どこに――ッ!?」
突然。ブツクサと文句を垂れながら廊下を疾駆するテミスの背を、まるで電流が貫くかのように危機感が走った。
その直感に身を委ねたテミスは即座に大きく跳びあがると、廊下の屋根を支える梁へ掴まって息を潜める。
そして、息を殺して様子を窺う事数秒。
「フフ。遅かったわね?」
「……? 何を言っているんだ? 私は遅れてなど――」
「――貴方はいつもそう。堕ちた太陽手、折れた向日葵……つまらない色だわ」
「……相変わらず。君の言う事は理解し難いな。オズ」
廊下の向こう側から、腰まで伸ばした老人のような白髪の男と、他でもない自称魔女ことオズが連れ立って現れたのだ。
しかし、見知った顔がこの王宮の中に居る事よりも。言い知れぬ衝撃となってテミスの目を引いたのは、白髪の男の方だった。
「っ……」
例えるのであれば、老人と青年が融合したかのような出で立ち。語り口は柔らかで、何よりもその光の無い達観した瞳と身に纏う退廃的な雰囲気が、若々しく逞しい肉体を錯覚だと思わせる程に異質なのだ。
「珍しくここへ顔を出したと思ったら、私を揶揄いに来たのか? もう戻らないと聞いていたが……」
「私は嘘吐きだもの。そんな事より、新人サンの具合はどう?」
「新人……? あぁ……連中から取り上げたあの金髪の娘か。別に普通さ。珍しく良い目をしていたから、もしやと思って引き上げてみたが……二世という訳でもないらしい」
「そう……残念ね。面白そうな子だって聞いたから、見に来たんだけど」
「フム……」
二人は会話を交わしながらテミスの潜む梁の真下まで来ると、男が唐突に立ち止まって息を吐いた。
「興味が……あるのか?」
「えぇ。とっても。貴方よりもっと面白そうだわ?」
眼下で語らう二人を眺めながら、テミスは身じろぎ一つできずに、ただ息を潜めて聞いている事しかできなかった。
しかし、それも束の間。
「…………オズの肝入りだ。見学程度ならば許そう」
「あら……? バレちゃった?」
「――っ!!?」
長い沈黙の後。重い口調で男が口を開くと、こちらへチラリと目線を送ったオズが、意味深な笑みと共に男のそれとは対照的な軽い口調で告げる。
「三つ先の部屋が彼女の部屋だ。それと……誰かは知らんが筋は良い。けれど、視線が少しくすぐったいな」
「フフ……だそうよ? じゃ、私はそろそろ行くわ……アーサー。後はよろしくね?」
「っ――!?」
「ハァ……仕方が無いな」
これが……。アーサー……だと……?
衝撃に打ち震えるテミスをよそに、オズは言葉と共に、姿を掻き消した。同時に、アーサーと呼ばれた男もまた、ゆっくりとした歩調で、テミスとすれ違うように廊下の奥へと姿を消していった。
「クソッ……見逃された……? 私が……?」
ぎしり。と。
身を焦がす屈辱と羞恥に身を震わせながら、テミスはアーサーの姿と気配が完全に消え去ってから廊下へと降り立つ。
「いいだろう……ならば、後でその驕りを後悔しろ……」
テミスは歯ぎしりと共にそう呟くと、明りに照らされた廊下の真ん中を堂々と歩いて部屋へと向かい、扉の隙間から真っ暗な内部へと身を滑り込ませたのだった。




