41話 輩下たちの哀歌
一方その頃。
プルガルドの町の広場では、サキュドとマグヌスが途方に暮れたように人混みを眺めていた。
「マグヌス……今のサハギン族、客だと思う?」
「否……であろうな。風体から見るに、そこまで羽振りがいいようには見えん。おおかた、行商か何かだろう」
「そっか……」
二人は顔を合わせる事すら無く言葉を交わすと、再びそのぼんやりとした視線を人混みへと放流する。
「……こんな事で、良いのだろうか……」
ぽつり。と。赤々とした夕陽に目を細めながら、マグヌスが呟いた。
「……どうだか」
それに返答をするかのように、外套のフードを目深にかぶったサキュドが零す。彼女は、吸血鬼という種族の特性上、太陽が得意ではないのだ。伝承のように日光に触れただけで灰になったり火傷を負う事は無いが、本人曰く体が怠いらしい。
「サキュド。あとは私がやっておこう。お前は宿で休むと良い」
「厭よ。アンタ一人の手柄にされて堪るもんか」
気遣わしげにマグヌスが告げるマグヌスの言葉を、サキュドは不機嫌そうに鼻を鳴らして一蹴した。
「…………」
マグヌスは密かに、そのままそっぽを向いたサキュドに対してため息を吐くと、自らの意識を再び中空へと彷徨わせた。
「テミス様……我らにこれ以上、一体何をしろと云うのですか……」
マグヌス達は既に、あらかたの情報収集を終えていた。そもそも施設の存在が確認できた以上、施設の詳細なんて言われても、正体を隠している今できる事と言えば、サキュドの知っている入り口が未だ生きている事を確認するくらいだ。
しかし、マグヌスの空虚な呟きに返答が返ってくる事は無い。当り前だ。通信術式も何も使っていないのだ。返答があれば逆に困ると言うものだ。
「あ~っ……! もう! まどろっこしい!」
空の色が紅から濃紺へと変わった頃、人気の少なくなった広場にサキュドの声が響き渡った。
「オイ。サキュド。隠密行動中だぞ!」
「だから何だってのよ! ……って言うかそもそも、ウチらがなんで探ってるのかバレなきゃ良いってだけじゃないの?」
「いや……しかしだな……」
太陽が陰ったからか、肌を隠していたフードを剥ぎ取ったサキュドがマグヌスに詰め寄った。
「あのテミス様がこんなまどろっこしい事させると思う? 確かに、ウチ等が勝手にこの町に入った事が第二軍団に漏れたら面倒だけどさ……そもそもテミス様そんな事気にしているように見えた?」
「ムゥ……」
サキュドに詰め寄られながら、マグヌスは脳裏にあの銀髪の軍団長の不敵な笑みを思い浮かべた。
あの軍団長殿が、他の軍団との軋轢などを気にかけるだろうか?
あの傲岸不遜な軍団長殿が、管轄などという魔族の慣習に習うだろうか?
「……寧ろ、高笑いしながら叩き潰しそうであるな……」
マグヌスは深いため息と共にそう呟いて、がっくりと肩を落とした。
あの何処までも真っ直ぐで、ただひたすらに高潔な我らが軍団長殿はきっと、あの悪魔的な笑みを浮かべてのたまうのだろう。ただ一言。悪を滅ぼせ……と。
「でしょう? なら、決まり。さっさと行くわよ」
「ちょっ……待て! 行くって何処へ……サキュ――おいっ!」
ニヤリと頬を釣り上げて、軍団長そっくりの嗜虐的な笑みを浮かべたサキュドは、それだけ言うとマグヌスにくるりと背を向けてそのまま歩き出す。マグヌスがその後ろを慌てて追いかけるが、サキュドは行き先について一言も語らないのだった。
つくづく思う。何故ウチの軍団の女性達はこうも破天荒なのか……と。
「おいおい……ここは――」
何度問いかけても、行けば解るの一点張りを繰り返すサキュドにマグヌスが根負けした頃。二人は町外れの廃坑の入り口へとたどり着いていた。
「んふふっ。ネ? 解るでしょ?」
「っ………………はぁ~~~~っ……」
マグヌスはもう何度目かにもなる海より深いため息を吐くと、素早く周囲の気配を探る。この場所は、表面上はただの廃坑を模しているものの、その実中部は件の享楽施設となっている。
「1……3……5? ……多いな」
種族や得物までは解らないが、やけに警備が多い。サキュドの話によれば案内役と見張りを兼ねた番兵が2~3人程度のはずだが、さてどうしたものか……。
「オイ。何モンだ? お前ら。ここはただの炭鉱でアンタらみてぇなヨソ者の来るとこじゃねぇんだよ」
「…………」
マグヌスが思案に暮れていると、二人の後ろから鉱山労働者風を装った兵士の一人が、乱暴に声をかけて来た。
「ああ、すまな――」
「――誰に口をきいているつもりかしら? 私達は第13軍団副官、サキュド・ツェペシとマグヌス・ド・ハイドラグラムよ? さっさと支配人を呼んで来なさいな」
「なっ――!?」
口を開きかけたマグヌスを制して、サキュドが止める間もなく一気に口上を謳い上げてしまった。
「っ――! しっ……失礼いたしました! 少々お待ちくださいっ!」
「あっ……おいっ! どういうつもりだ!?」
マグヌスは驚愕したまま、傍らのサキュドへと詰め寄った。まさか、サキュドがこのような暴挙に出るとは……。ここまで来た段階で無理矢理にでも宿へと引き返すべきだった。
「いいから。アンタは私に調子合せて。せっかく潜り込むんだから情報収取も忘れんじゃないわよ?」
「お……お前は何を言っているんだ……?」
しかし、サキュドは悪びれる様子も無く、涼しげな表情で詰め寄るマグヌスを眺めると、不意に何かを思い出したかのようにピクリと方眉を跳ね上げてこう付け加えた。
「ああ、あと……胸糞悪い事しなきゃいけないかもだけど、耐えなさい。任務よ」
いよいよもって訳が分からない。振り上げたこぶしを中途半端に漂わせながら、マグヌスは疑問符を噴出させていた。サキュドとは組んで長いが、決して忠を損ねるような者では無い。故に、今回のコレも何かしらの意図があるのだろうが……。
「これはこれは……お二方とも、ようこそいらっしゃいました」
マグヌスが頭を悩ませていると、坑道の奥の方から、べっとりと粘ついた声と共に、怪しげな色眼鏡をかけた風船のように肥えた男が、その声と同じように下卑た笑顔を浮かべながらこちらへと歩み寄ってきた。
「口上はいいわ。案内を頼めるかしら?」
マグヌスが口を開く前に、目を細めたサキュドが素早く前へと進み出て、男に応対する。身振りから察するに、この男の相手は任せて良いようだが……。
「ええ、それはもちろん喜んで……ですが失礼ながら、サキュド様もマグヌス様も……こう言った事柄はお嫌いかと存じておりましたが?」
「っ……」
しかし、嫌らしく媚びへつらいながらも、男がサキュドの要請に応える事は無かった。へらへらと軽薄な笑みを浮かべながらも、色眼鏡の奥で燻る汚泥のような瞳は鋭くサキュド達を見つめ、その肥え太った身体はまるで行く手を阻むかのように狭い通路を埋め尽くしている。
「煩いわね。こちとら色々とタマってんのよ……解る……でしょ?」
これは不味い状況かもしれない。サキュドの声が危険な艶を帯びはじめた瞬間、マグヌスの頬を冷や汗が伝った。よく考えてみれば、サキュドは以前、怒りに任せてこの施設の破壊を試みているのだ。サキュドの性格を鑑みれば、端から手段を選ぶ気が無い可能性もある。
「っ!! えぇ……それはそれは、もちろんでございますとも。この度のあんまりな人事、私めも心を痛めておりました次第で……お二方のご苦労たるや想像しただけで……吐き気が出ますな」
男もまた、サキュドの気を感じ取ったのだろう。薄気味の悪い額に球のような汗を浮かべると、再び的外れなごますりを始める。だがその内容は、義を尊ぶマグヌスにとって承服しがたいものだった。
「貴様――っ!」
「――ええ。なのであまり野暮を聞かれると……『また』我慢ができなくなってしまうかもしれないの」
しかし、悋気を表に出そうとした途端。妖艶な笑みへと表情を変えたサキュドが割って入った。サキュドはマグヌスを再び自らの後ろへと追いやると同時に、鋭い肘打ちをマグヌスの脇腹へと叩き込んでいた。
「おぉ……かの無能な人間めのとばっちりは御免でございますよ? ささ……このような場所でナンですから、中へどうぞ……」
それを見た男はわざとらしく震えあがり、場にそぐわない巨体を器用に反転させると、サキュド達に背を向けてゆっくりと歩き始める。
「……今夜はなにやら警備が厚いわね?」
しばらく通路を奥へ進んだ頃。それまで無言で男の後を歩いていたサキュドが話を切り出した。
「嗚呼流石のご慧眼……気付かれてしまいますか……いや申し訳ございません。ですがお客様であるお二方の御手を煩わすような事ではございませんので……」
「あらそう? 面白そうじゃないの……聞かせなさいよ」
「いやしかしっ……」
こんな男であろうとも、流石に軍団の機密を漏らさない程度の良識はあるらしい。男は、淫靡にしなだれかかるサキュドの魔手を避けると、媚びへつらいながらも首を横に振った。
「……なんなら、聞き出しても……良いんだけど?」
ゾクリ。と。後ろに居るマグヌスでさえ悪寒が走る程の冷たい雰囲気を、一瞬にしてサキュドが纏った。これはサキュドの得意技の一つなのだが、毎度毎度この切り替えを隣で見せられる身にもなって欲しいものだ。正直、甘く囁いていた女の声が、一瞬で氷のように冷え切る様は聞いていて心臓に悪い。
「っ…………いやはや、困りましたな……解りました。確かに我々もほとほと困り果てていた所でございます。ですが……どうか、ドロシー様にはご内密に……」
慣れている筈のマグヌスでさえこの有様だったのだ。コレをまともに受けたであろう男は堪ったものでは無かったのだろう。醜悪なニヤケ顔が一瞬にして強張り、その拭ったはずの額に重ねて浮き出た大粒の脂汗を滴らせながら、男はぎこちの無い動きで首を縦に振ったのだ。
「あったりまえじゃないの。ホラ、何があったのよ?」
「ははっ……それが……でございますね……」
それを見たサキュドが一転、上機嫌に声を跳ねさせると、彼女は男には見えない位置で、マグヌスへと親指を立てて見せる。
「…………やれやれ……」
そんな様子を眺めながらマグヌスは、痛む胃をさすりながらため息をついたのだった。




