442話 剣聖。仲裁する
「っ~~~!!!」
刹那の時間の中。
テミスを襲っていたのは、凄まじいまでの戦慄だった。
確かに今、テミスはタケシの腕を用談するべく、抜剣をしようとした。その一撃は、冷静さを欠いていたとはいえ本気の一撃に他ならない。
だというのに。
目の前に突如現れた男は、いとも簡単にそれを止めてみせたのだ。
それはつまり、テミスが抜くタイミングが、その狙いが、完全に読まれていた事を意味していた。
「クッ――!!」
即座に。
幾多の戦場を駆け抜けてきたテミスの直感が撤退を選択し、タケシの腕から手を離すと、まるで猫のようなしなやかな動きで後方へ跳び下がる。
けれど。テミスが予測していたような追撃は一切無く、乱入してきた男は、ただタケシを守るようにその場に佇んでいるだけだった。
「ハァ……全く。いつも言っているだろう。お前達のやり方は過激すぎるんだ。そんなんだから、毎度毎度俺がこうして仲裁に入る羽目になるんだろうが」
男はテミスが下がるのを確認すると、背後のタケシと跳び下がったテミスの横で膝を付くユウへ、交互に視線を向けながら、呆れたようにため息を吐く。
「いいか? 誰もがアイツやお前達みたいに、この世界の連中に正当な恨みを持っている訳じゃないんだ。それを理解せず、振り切った信条に基づく行為だけを押し付けていては、誤解されても文句は言えんぞ」
「っ……けどよォ……」
男の説教じみた言葉に、タケシは不満気に唇を尖らせると、テミスに捕まれていた左手を確かめながら口を開いた。
「幾ら何でも、お仲間に掴みかかるのは無くねぇ? ホラ、見ろよ。掴まれた痕、痣になってんだけど」
「馬鹿が! 相手の力量も見極めずにこんな事をするからそうなるんだ。お前はその腕が今もそうしてくっ付いている事に少しは感謝しろ」
「へっ……? オイそれってどういう――」
「――流石は剣聖様……と言う訳かい?」
ニヤリ。と。
剣呑な男の言葉に、首を傾げるタケシの言葉を遮って。静かに立ち上がったユウが男を見据えて口を開いた。
そこには、テミス達へ向けていたあの柔らかな笑みは無く、不信と疑心に満ちた眼差しで男を見据えていた。
「……そういう訳だ。『剣聖』の名の下に命ずる。この場は退け」
「ハァ……。解ったよ。リヴィア、彼はフィリップ。この第五住宅の監督であり、委員会が一人。剣聖の称号を持つ騎士様さ」
「騎士……ね……」
テミスは剣に手を添えたまま呟くと、警戒を解かないままフィリップへと目を向ける。
確かに。剣の腕はかなり立つようだが、果たして剣聖などと持て囃されるレベルなのだろうか? 先ほど懐に入り込まれた技は不明だが、ただこうして相対し、一見するだけでは、剣を抜こうとしている私を目の前にしているにも関わらず、抜剣姿勢すら取れていないただの優男だ。
「リヴィア……と言うのか。すまない。身内が失礼をしたようだ。だが、ここではこれが日常であり常識。君達に強要するつもりは無いが、なるべく早く慣れてもらえると助かる」
恐らくは何かの能力。さてどう渡り合ったものか。と。テミスは自省と共に思案していると、フィリップは頭を下げてそれだけ告げた後、唐突に背を向ける。
そして、フィリップの背後で未だに床に座り込んだまま、ブツブツと文句を垂れているタケシを立たせるべく、手を差し出していた。
「あぁ、あと。今回は此方に原因があるため不問にするが、選民同士の揉め事や諍いは厳禁だ。我々の足並みが乱れては、奴隷共に反乱の機会を与えてしまう。なので、慈悲を与えるのは勝手だが、その点は留意しておいてくれ」
「………………覚えておこう」
しばらくの沈黙の後、本当にフィリップに戦う気が無い事を確かめてから、テミスは漸くその手を剣から下ろす。
念のため、警戒を解いた瞬間を襲われた時に備えて、迎撃の構えは取っていたのだが、それも杞憂に終わった。
「おいおい! ちょっと待ってくれよッ!」
だがしかし、ひとまずは丸く収まりかけた空気をぶち壊す、無粋な声が響き渡った。
「冗談じゃないぜ! こちとら善意でやってやったってのに怪我させられてるんだ! それをお咎め無しなんて納得できねぇ!」
「フン……大きなお世話と言うヤツだ。知らなかったのか? お前みたいに善意を押し売りしてくる奴の方が、悪意を以て牙を剥いてくる奴より余程面倒くさい」
「っ――!! コイツッ!!」
「止めろと言っている。リヴィアも。挑発するんじゃない」
声を荒げたタケシにテミスが返し、それに乗って激高したタケシが、再び気炎を上げると、機先を制したフィリップが仲裁を続ける。
「繰り返すが、リヴィアの準戦闘行為は不問。その原因を作ったタケシとユウも、俺の命令を無視して先走った事も含めて不問にしているんだ。文句は無いだろう?」
「っ……!! けど……よ……!」
「けれど。なんだ?」
「グッ……何でもねぇ!!」
憤るタケシの反論に、フィリップは淡々と言葉を返して応じる。この時点で、二人の格の差は一目瞭然なのだが、タケシはオマケとばかりに手近な壁を殴り付けて食堂から立ち去っていった。
「ハァ……やれやれ。到着早々すまないな。君。食事の準備を続けろ」
「は……はい!」
そんな背中を見送りながら、フィリップが再度テミス達に頭を下げると、タケシの座っていた場所に腰を落ち着けて深いため息を吐く。
「……。ねぇ。さっき私に話してくれた話……嘘?」
その傍らで、既に身を起こして立ち上がっていたユウが、テミスの瞳をじっと見つめながら平坦な声で問いかけた。
「――っ」
「嘘を吐いて何になる? 私はもう、誰かが怯えたり泣いたりする光景を見るのは御免なんだ」
視界の端で、ピクリとミコトの肩が跳ねるが、テミスは黙殺してユウの問いに応えて見せた。
厳密に言うのなら、私はタケシのように朽ち果てた人間性を持つ奴が、自分が同じ立場に置かれた時に泣き喚いて許しを請う様が好きなのだが、わざわざ被害者を生み出してまで求める程、捩じくれてはいない。
「……そう」
「どんな話を聞いたかは知らないが、たとえ同じ経験をしたとしても、導く答えが同じとは限らないさ」
不穏な空気を感じ取ったのか、フィリップが横合いから合の手を入れる事で、ユウが黙り込んで会話が途絶える。
そんな、重い沈黙が立ち込める中。
「お……お待たせいたしました……」
頬を痛々しく腫らしたメイドの少女の手によって、豪奢なテーブルの上に次々と料理が並べられていくのであった。




