437話 喪失の傷痕
「私はもともと、国を護るための勇者だったんだ」
目を瞑ったユウが語り始めると、三人は自然と集中してその語りに耳を傾けた。
それは、彼女自身が言っていたように、何も面白くない話なのだろう。むしろ、私が味わった砂を噛むように不快な苛立ちが、胸の中に立ち込めるだけだ。
だがしかし、私は聞かなければならない。彼女の安寧を壊す者として。彼女が歪んでしまったそのきっかけを。――全ての悪を誅する為に。
テミスは自らの信念で心を奮い立たせ、ユウが言葉を続けるのを静かに待った。
「勇者……そう言えば聞こえは良いけれど、実際はただの兵士だった。戦う力がある人間を祭り上げて戦線に立たせ、自分達はただそれを見ているだけ……」
ユウは言葉と共にゆっくりと目を開く。しかし、その緩んだ瞳は何かを見ている訳ではなく、敢えて言うのならば過去を見ているかのように儚げに揺れていた。
「それでも、私は戦った。助けてくれって……頼まれたから。そりゃそうだよ。前は何もできなかった。誰からも必要とされなかった。……足の壊れた『ボク』なんて……」
ふと、ユウの言葉に悲しみが宿り、言葉の端に湿っぽい感情の色が姿を現した。
しかし、そんな揺れもすぐになりを潜め、またその口調は元のゆったりとしたものへと戻ってしまう。
「……ごめん。これは関係ないね。何はともあれ、私は嬉しかったんだよ。誰かに必要とされるのがだから、必死で戦った」
「フム……だが、失礼を承知で言うのならば、見たところ君は戦うような体付きではないが……?」
「それはそうさ。私が得たのは精霊術。この身に精霊の力を降ろして、精霊たちに戦って貰う術だったからね。単純に剣や魔法とはジャンルが違うんだ」
テミスの不躾な質問に、ユウは小さく微笑んで頷くと、自らの胸に軽く手を当ててその問いに答える。
「精霊術……」
しかし、テミスはポツリとその名を口にすると、不審気に眉を顰める。
どこの国かは知らないが、一国が求める力だ。その御業はさぞ強力なのだろう。
だが、理を超越したかに思える我々にも、万物の事象は等しく働いている。例えば、剣を振るうのに力が必要なように……魔法を使うのに魔力が必要なように。保持している力の容量は大きいものの、我々も確かに力を振るう代償を支払っているのだ。
ならば、大剣が筋力を、魔法が魔力を求めるように、精霊術にも何かしらの代償は存在する筈なのだ。
「フフ……その顔。キミは察しが良いね。けれど、同情は止してくれ。そう……お察しの通り、精霊術は私の魂を食らって力とする。平たく言えば、私の寿命だね」
「っ……!!」
事も無げに放たれたユウの言葉に、テミス達は息を呑んで目を見開いた。
とても正気の沙汰ではない。時に魂とは、魔力や霊力と言った内なる力と同一視されるが、今回は訳が違う。
体力は回復するし、魔力や気力、霊力だって回復するだろう。しかし、寿命という明確な単位はどうなのだ? 少なくとも私は、寿命が回復する等という現象は想像ができない。
つまりこの少女は、文字通り自らの命を切り売りして、国の為に戦ったのだ。
「でもね……すぐに気付いたよ。私が馬鹿だった……って」
未だにその心の傷は癒えていないのだろう。
ユウは小さくため息を吐くと、沈んだ声で言葉を続ける。
「自分の寿命を使って戦い続ける……そんな事をすれば、私はすぐに死んでしまう。怖いのが当たり前だよね」
「……あぁ」
当然の話だ。と。
テミスは静かに頷いて続きを促す。
その精霊術とやらが、一度の戦いでどれほどの寿命を要求するのかは知らないが、ユウの語り方からしてそう何度も使える物ではないはずだ。
恐らくは、最後の切り札。現状の力では決して切り抜けられない壁を、大きな代償を支払う事で無理矢理切り抜ける最終手段。きっとそれが、本来の精霊術の姿なのだろう。
「だから私は言ったんだ。助けて……って。死にたくないって。でも、彼等の口から出たのは私の求めていたものじゃなかった」
「っ……」
ぎしり。と
あまりにも容易に想像できるその光景に、テミスは秘かに歯ぎしりをした。
例え自分が助けた相手であっても、逆の立場の時に、自分も救って貰えるとは限らない。
当り前でありながら、汚くて残酷な現実がそこには横たわっていた。
「ふざけるな。途中で投げ出すのか。責任を取れ。私が助けを求めた瞬間、私に向けられていた笑顔と労いは、憎しみと罵声に変わったんだ。だから、その時に気付いちゃったんだよ」
そう言って一息をつくと、ユウはテミスの目をじっと見つめて口を開く。
相変わらず、その瞳は過去を見つめているように緩んではいたが、いつの間にかどこかのっぺりとした、気持ちの悪い平坦さが宿っていた。
「私はただ、食い物にされていただけなんだって。感謝なんてされていなかった。ただの便利な道具として、良い様に使われていただけなんだって」
「それで……どうしたんだ?」
そう問いかけながら、テミスは胸の奥底から湧き上がる感情に全力で蓋をした。
努めて無心に、必死で平静を保って……全て終わった事なのだと自分に言い聞かせながら。
何故なら、そうでもしていないと、怒りに呑まれてしまいそうだから。
彼等にとっては、国を守るための最善手だったのかもしれない。都合よくふらりと現れた、戦う力を持った身寄りのない少女。おためごかして使い捨てるには、これ以上ない程の逸材だ。
けれど、そこに人としての営みは無く、純真を貪るだけの醜悪な化物が存在するだけだ。
「フフ……私がここに居る。それが答えさ。捕まって、隷従の契約魔法を掛けられる寸前に、戦って逃げてきたんだ。……綺麗だったよ。私が守った命が燃える様は」
「…………皮肉だな」
ただ一言だけ。
何故か泣き出しそうな表情でそう締めくくったユウへ、テミスは沈痛な表情で感想を漏らした。
彼女に宿ったその力は、最後の最後に本来の在り方を取り戻したのだ。彼女を消費せんとした脅威を滅ぼす為、彼女自身が自らを削って守ってきたものへ牙を剥いた……この世に、これ以上の皮肉があるだろうか?
「これが、私がここに居る理由。もう泣きたくないからさ……今度は、私がこの世界を食って生きていく。そう決めたんだよ」
「そうか……」
救われない話だ。テミスは心の中で涙を流しながら、静かにそう結論付けた。
彼女はもう、止まらないのだろう。奪った連中を滅ぼして尚、奪われたものは戻って来なかった。だからこそ、彼女はそれを取り戻す為に、ただ奪い続ける災厄になってしまった。
ただひたすらに、救いようがないだけの胸糞悪い話。
ならばせめて、これ以上悲しみが広がる前に終わらせるべきだ。
秘かに剣へと伸びたテミスの手が、無意識に鯉口を切った瞬間。
「さ……次は君達の話を聞かせてよ。君達は何でこの町に来たんだい?」
「――っ!!」
……そうだ。何を考えているんだ私は。ここには、フリーディアを救いに来たのだ。
ここで彼女を斬れば、確実に大問題になる。そもそも、彼女が持つ精霊術とやらは一国を滅ぼす力だ。この場で斬れるかも怪しい。
奇しくも、涼し気に告げられたユウの言葉がテミスの意識を現実へと引き戻したのだった。




