435話 貞淑な仮宿
「ほぉ……?」
「場所……間違ってませんよね?」
「あぁ。間違い無い」
ヴァイセに示された場所へ辿り着くと、そこには巨大な洋館が鎮座していた。
てっきり、アパートや宿のような小ぢんまりとしていた物を想像していた三人は、現実との乖離に困惑し、思わず呆然と立ちすくんでしまった。
それほどまでに、洋館は豪奢で大きく、テミス達が三人で使用するには、明らかにオーバースペックなのが見て取れた。
「あのあのあのッ……! これって……何かの手違いなんじゃ……?」
「知るか……私に聞くな。別に豪華な分には問題はあるまい」
「えぇ。崩れかけの家をあてがわれるよりも、遥かにマシな環境だと言えるでしょう」
しかし、魔王軍の二人はすぐに気を取り直すと、一人狼狽え続けるミコトを置いてさっさと館へ向けて歩き始めた。
そもそも、ここで過ごすのはフリーディアを見付けるまでなのだ。こんな大して広くもない街から、彼女一人を探し出す事など、数日も見積もっておけば十分過ぎる。ならば、数日も逗留しないこの場所に、なんだかんだと考える事の方が労力の無駄というものだ。
「ちょ……本当にいいんですか!? 後から何か問題になったら……」
「後、ね……。それならその時考えればいいだろう」
慌てて二人の後を追ったミコトの言葉に、テミスは皮肉気な微笑みをその顔に湛えて答えを返す。
そう。何かが問題となるならばそれは、我々が目的を達成してこの館から去った後の事。『使用人』とやらが罰せられる可能性を鑑みるならば、そのあたりの面倒事はフリーディアに考えさせればいいだろう。
「ふふ。お帰り、早かったね、もしかして途中で抜けて来たのかい――? ……って、えっ?」
そんな事を考えながら、先頭を歩くテミスが館の扉を押し開けた時だった。
丁度、その内側のラウンジで誰かを待ち構えていたのか、落ち着いた深みのある女性の声がテミス達を出迎えた。
「……はっ?」
テミスは反射的に腰の剣へと閃きかけた手を何とか押し留める。だがその代わりに、内心の驚きを隠す事は出来ず、素っ頓狂な疑問符が口から漏れ出てしまう。
「えっ……と。一応、ここは冒険者用第五住宅だけど……君達はこの家の誰かに用かい? それとも……」
「少なくとも、この館に知り合いは居ないな。門番のヴァイセという男から、ここへ向かえと言付かったのだが?」
「ヴァイセ殿から……? 参ったな……そんな通達は来ていなかったはずだが……」
「それは仕方あるまい。我々がここを訪れた事の方がイレギュラーなのだろう。彼と話してからすぐにこちらへ向かったから、報せるのは難しいと思うぞ」
テミスはひとまず言葉を交わしながら、改めてじっくりと出会った少女の様子を観察する。
短くまとめられた艶やかな薄紫の髪は艶やかな色と光沢を帯びており、身綺麗にまとめられたこちらの世界の様式の服からは、そこはかとない高級感が漂っている。それに、話し言葉から何となく察しはついていたが、その首に首輪は嵌められていない。と言う事はつまり、この少女は転生者なのだろう。
問題は、この転生者と思わしき少女が、ヴァイセの話に出てきた『使用人』の職に就いている転生者なのかという所だが……。
「フム……新たな訪問者という訳か。最近は落ち着いたと聞いていたのだが……まぁいいか。すぐに部屋を用意させるよ。すまない、誰か居ないかな?」
少女は一人納得したかのように頷くと、ホールの奥へ向かって静かな声を張り上げる。
すると、少し間をおいてからパタパタという足音が近づいてきて、メイド服を着た一人の少女が姿を現した。
「はいっ……! はいっ……! 只今ッッ!! 何か御用でしょう……か……?」
そして、メイド服の少女はテミス達の姿を認めると、目を大きく見開きながら、言葉が尻すぼみに消えていく。
「…………」
「すまないが、早急に彼女たちの部屋を用意して欲しいんだ。今日から新たにここで暮らす、私達の仲間だよ」
「っ……!! は、はいっ!! 直ちにっ……!!」
「あぁ。待て。えぇと……」
「……っ!? は……はい! お伺いいたします!」
テミスが淡々と進んでいく話に口を挟もうと、メイドの少女の背に声をかけると、少女はビクリと肩を震わせて急停止した後、その背をピンと伸ばして、機敏な動きでテミスの方を振り返る。
「…………」
チャリ……。と。
その際に微かに音を立てた、メイドの少女の首嵌まっている首輪に、テミスは微かに眉を顰めた。
「悪いが、三人部屋を用意できるか? よもや、共同生活だとは聞かされていなくてな……我々は共にここまで来た仲だが……その……」
テミスは意図的に言葉尻を口ごもりながら、チラリと初めに出会った少女の方へと視線を走らせる。それも、さぞ申し訳ないといった風に目を伏せ、戸惑いの色をありありと浮かべながら。
「ああ、なるほど。ふふ……そう畏まらなくていいさ。不安なのは私も良く解るよ。少しづつ慣れていけばいいさ。だが……」
テミスの視線を受けた少女は、柔らかく微笑んで頷くと、優しい声色で応えた。そして、少し困ったように眉を顰めながら、ゆっくりとミコトへ向かって視線を向ける。
「気持ちはわかるのだが……すまない。『外』なら兎も角、さすがにここで男女が同室というのは難しい……。後ろの彼には申し訳ないが、君たち二人の隣の部屋を用意させるという形で飲んでもらえないだろうか?」
「隣……か……」
だが、その提案にも、テミスは俯きながら言葉を濁した後、チラリとミコトへ視線を向けた。そして、ちょうど顔が少女から死角となった瞬間、その表情を鋭いものへと変えて睨み付け、ミコトへ指示を出す。
「っ……!! ぼ……僕なら大丈夫ですよ。ホラ、部屋も隣にしてくれるみたいですし……」
「そうか……。まぁ、お前がそう言うのならば……」
そこで意図を察したミコトが、言葉に詰まりながらも少女とテミスへ交互に笑いかけながら話を合わせた。
直後、元のしおらしすぎる《・・・・》表情へと戻したテミスは、少女に向き直りながら不安気に頷いて見せる。
「ありがとう。じゃあ、すぐに用意させるね……頼むよ?」
「っ……! はい! 畏まりました!」
その様子を見て、静かに微笑みを零した少女が指示を出すと、メイドの少女はペコリと頭を下げてパタパタと慌ただしく走り去っていったのだった。




