428話 決意を胸に
時は少し遡り数時間前。
テミスの指示により、カルヴァスとミュルクの二人だけは、他の騎士達よりも早めに合流を果たしていた。
「それで……どうするつもりなんだ?」
「どうもこうも無い。撤退だ。お前たちの話が本当ならば戦力差は絶大。仮に我等十三軍団の本隊が加わったとしても、正面からぶつかれば無事では済まん」
「っ……しかしっ!!」
白翼騎士団が集めた情報によれば、あの塀の中で暮らしている冒険者将校の数は百を優に超え、奴隷兵……選民共が召し上げた連中も含めれば、その戦力は一国をも凌駕している。
「安心しろ。何もフリーディアを見棄てるとは言っていない。奴を助け出さん事には話にならんからな」
「では……ッ!!」
淡々と事実を突きつけ続けたテミスが、フリーディアの救援を口にした事で、食い下がり続けていたカルヴァスの表情が明るく輝く。
この様子を見るに、彼にはフリーディアという旗印の代わりを務める技量は無かったらしい。指揮や潜伏の手腕は、能天気な所を除けば見事なものだが、あの超が付く程に天然気質なフリーディアの代理とは、たいそう胃を痛めた事だろう。
「カルヴァス……と、一応おまえにも聞いておくか……」
「何だよ……?」
ニヤリと頬を歪めたテミスが視線を向けると、ミュルクはムスリと視線を逸らして眉根を寄せた。これについては身に覚えしかないが、どうやら私は酷くこの青臭い騎士に嫌われているらしい。
「誇りと主。この二つを天秤にかけた時。お前たちは……白翼騎士団はどちらを選択する?」
「……何だよそれ」
「良いから答えろ」
相も変わらず不機嫌にミュルクが問いかえすが、テミスはただ一言答えを促すだけでその問いに答える事は無かった。
「決まってぁ。フリーディア様だ。問うまでもない。白翼の騎士なら、皆そう答えるさ」
「………………」
「……カルヴァス副隊長?」
即断即決。苛立ちは見せたものの、ミュルクは迷う事無く胸を張って答えを出した。しかし、一方でカルヴァスは難しい表情を作って黙り込み、思い悩むように低く喉を鳴らしている。
「……その誇りと云うのは、何を指している? 人々を守る事か? 国に仕える事か? それとも……主を想う事か?」
「全てだ。その全てを溝に投げ棄ててでも……そうだな、仮にフリーディアが祖国を追放され、我が元へ来るとして。それでもお前達は、フリーディアを選ぶのか? と聞いている」
「っ…………」
ぶぎゅるっ……と。
テミスの答えを聞いたカルヴァスの喉から、潰れたカエルのような厭な音が漏れ聞こえた。
――お前はそうだろうな。カルヴァス。
テミスはその様子を、心の中でほくそ笑んで眺めながら胸中で語り掛けた。
白翼騎士団は、清廉潔白なフリーディアを旗印に立てた、いわば彼女のカリスマでまとめられた部隊だ。故に、彼女の無茶を御し、清も濁も併せ呑んでその瓦解を防いでいるのが、この副隊長であるカルヴァスだ。
だからこそ、カルヴァスはミュルクとは異なり、この問いに即答する事は出来ない。
「……私情では、主だ。だが現実を鑑みるのならば、誇りを選ぶべきなのだろう」
「なっ……カルヴァス! アンタッ!!」
「黙っていろ小僧。即答できるお前が単純なだけ……何もわかっていない青二才なんだよ」
「っ……!!」
カルヴァスの答えを聞いた途端、声を荒げたミュルクが怒りに任せて手を閃かせるが、割って入ったテミスがその手を叩き落として、酷く冷たい声で圧し留める。
「わかってて聞くとは、良い性格をしているな……」
「いいや? わかってなどいなかったさ。お前なら、迷い無く誇りを取るものだと思っていた」
「ハハ……。お前からしても、私はそんなに冷血に見えるか?」
「冷血? いいや違うな。もう少し賢いと思っていたと言っているんだ」
乾いた笑みを浮かべるカルヴァスに、テミスは何故か満足そうな笑みを零しながら、軽い口調で言葉を返した。
理性などどうでも良い。重要なのは、この男が私情を含めて答えた事だ。テミスは嬉しい誤算に、漏れ出る笑いを抑える事ができなかった。
奴等が私の作戦に乗ると言うならば、待ち受けるのは極限の苦しみだ。そんな過酷極まる状況下では、理性など簡単に消し飛び、最後に縋り立つのが心の芯……まさしく今、カルヴァスが答えた私情だ。
そこでフリーディアを選択した以上、このカルヴァスも横でムスくれているミュルク同様の大馬鹿なのだろう。
「ククッ……だが良い。良い大馬鹿だ。これからの作戦は、馬鹿でなければ乗り越えられない……そんな馬鹿の群れを御するのは、大馬鹿でなければ到底出来んだろう」
「何を……言っている?」
一人でクスクスと嗤いはじめたテミスに、眉を顰めたカルヴァスが問いかける。
元より、普通ではないとは思っていたが、以前にまみえた時には、こうまで奇行に走る者ではなかったはずだが……。
「何。簡単な事だ。フリーディアの救出は私とミコト……そしてサキュドの三人で行う」
「……そう言うと思っていたさ。そんなに私達が信用できないか?」
「勘違いするな。邪魔なだけだ」
「――っ!! 好きに言わせておけばっ……!!」
歯に衣着せないテミスの物言いに、気圧されていたミュルクが威勢を取り戻す。
しかし、ミュルクの抗弁が紡がれる前に、今度はテミスの手がその胸倉を掴み上げ額を突き合わせて口を開く。
「この頭が飾りで無いのなら少しは考えろ。正面から戦って勝てないのならば搦め手だ。お前の中の門番は、一個大隊規模の仲間が押し寄せてきたら、はいそうですかと通すものなのか?」
「っ……それは……。なら俺達は何をすれば……」
「何もするな。ただこの地に座して待ち続ける。お前達に今できる事はそれだけだ」
テミスはそう言い放つと、突き飛ばすようにしてミュルクを開放した。
その衝撃でミュルクは数歩後ろへ下がるものの、まるで信じられないものでも見たかのように驚愕に目を見開いていた。
「帰れ……とは……言わないんだな……」
「あぁ。お前たちの力は後で必要になる。……別に、我々の事は信用せずとも良い。だが、フリーディアの事ぐらい信じて待て。すぐに連れ戻してきてやるさ……。カルヴァス、詳細を詰めるぞ」
「っ……。あ……あぁ……解った」
テミスはそれだけ言うと、ミュルクに背を向けてカルヴァスへと向き直り、まるで何事も無かったかのように作戦の詳細を語り始めたのだった。




