425話 塔の彼方で待つ者
元は神殿か何かだったのだろう。尖塔のような作りになっている屋上には巨大な鐘が吊るされており、その姿はまるで、最後の瞬間までこの建物の役割を果たさんとしているかのようだった。
そんな鐘の傍らに、三つの影が所在無さげに佇んでいるのを月光が照らし出す。夜風にバサバサと外套をはためかせ、三人はまるで何かを待っているかのように夜空を見上げていた。
「今日も来ない……か」
ボソリ。と。
三人組のうちの一人。テミスは外套のフードを外して、その長い銀髪を夜風に躍らせると、小さなため息と共に呟いた。
まだ、メッセージを残してから二日目の夜だ。まだ焦りを覚えるような時期ではない。
それに、思っていたよりもこの場所は居心地が良かった。
地上のひどい悪臭もここまで登ってくる事は無く、程よく湿気を含んだ夜の澄んだ空気は、奇妙な背徳感と共に何故か気分を高揚させた。
「……こうして見ると一目瞭然ですね。まるで世界が違うみたいです」
「そうね。たった一枚壁を隔てるだけで光と闇が綺麗に分かたれている……」
「フン……」
三人が見下ろした遥か下の地上では、壁で隔てられた中心部の街区からは、煌々と焚かれた篝火の眩い光が溢れ出ており、夜も深まったこの時間でさえも町が眠りに就いていない事がわかる。
対して、壁の外側は闇を照らす灯すら見当たらない程に暗く、まるであの壁がこの世全ての光を閉じ込めているかのように、鬱屈とした闇に覆われていた。
「……気に入らんな」
テミスは一言そう吐き捨てると、月光に髪を輝かせながら町を睨み付ける目を細めた。
夜の闇を照らす光は繁栄の象徴だ。眼下に広がる歪んだ町を照らすその温かな光は、ファントの町を照らすものと何ら変わらず……。その事実が、どうしようもなくテミスの神経を逆撫でしていた。
「ふぁ……テミスさん。そろそろ、一時を過ぎる頃です。戻りましょう」
「……そうだな――っ!? 待て」
眠そうに眼を擦りながら告げたミコトの言葉に、テミスが頷いて同意した瞬間。テミスの鋭敏な耳が、微かに響く足音を捕らえた。
反射に従い、テミスは即座に腰の剣に手を番えると、ゆらりと階段へ向けて身構える。
「テミス様……? っ……!!」
「…………」
数瞬遅れて、テミスの動きで異変を察知したサキュドとミコトが身構えて息を呑んだ。
間違いなく、この戦闘の階段を登って来る者達が居る。
「っ……。……」
先頭に立ったテミスはサキュド達を振り向いてコクリと頷くと、番えた剣を音も無く抜いてゆっくりと構えを取る。
足音は複数。反響で正確な数は判らないが、ガシャガシャという派手な音でない事から、甲冑を身に付けていない事は明確だ。
ならば……メッセージを読んだ不運な野盗か?
否。そう断ずるのはまだ早い。
白翼騎士団はこの街に潜伏しているのだ。ならば、自分の所属を声高に宣言している様なあの甲冑を身に着けているとは考え難い。
恐らく、私達と同様に何かしらの偽装を施しているはずだ。
「フム……」
コツ……コツ……。と。
何者かが階段を登ってくる音は少しづつその大きさを増し、一歩ごとに微かに鳴っている腰に提げた剣の擦れる音を、テミスの耳が確かに捉え始める。
これで、何も関係のないただの村人という可能性は無くなった。
この街の住人が、しっかりとした武器である剣を持ち歩いている所を、テミスはここに逗留してから一度も目にした事が無い。
ならば、武器を携えている時点で、この階段を今登ってきているのは、フリーディア達白翼騎士団か害意を持ってここへ向かって来る野盗しかいないのだ。
「テミ――」
「――シッ!!」
あろう事か。『敵』の意表を突けるか否かというこの状況で、声を潜めたミコトがテミスの名を口走ろうとする。
――誰がもっと僕を信用してください。だッ!!!!
怒りに目を剥いたテミスは、胸の内に湧き出る激情を込めてミコトを睨み付けると、辛うじて即座に黙らせることに成功する。
しかし、それまでリズミカルに響いていた靴音がピタリと止まり、少しの間をおいて再び響き始める。
……気付かれたか?
怒りを通り越した呆れを胸の内で咀嚼しながら、テミスは息を殺して対応策を巡らせる。
この場を訪れた時点で、階段を登ってくる連中の姿を確認しないという選択肢は無い。
問題は、逃げた場合だ。この足音が撤退している足音ならば、それがたとえ白翼騎士団だとしても、即座に後を追う必要がある。
だが、テミスの心配は杞憂に終わり、足音は変わらずテミス達の方へと確実に近づいてきた。
そして、階段の出口から人影が姿を現した瞬間。
「動くなッ――」
「――っ!!!!」
漆黒の剣が闇夜に閃き、テミスの声にビクリと肩を震わせた人影の首元へ、その刃を番えたのだった。




