424話 闇の中の報せ
「決行だ」
揺らめく暗がりの中で、業を煮やしたテミスは短くそう言い放つと、足音荒く水を求めて水路へと歩を進める。
この数日で、地下拠点はこれ以上物を増やす必要がない程、さらに豪華さを増していた。しかし、白翼騎士団に繋がる情報は一切なく、状況には不自然なほどに進展が無かった。
そこで、この絶望的な状況を打破する為に、テミスは一計を案じる決断をしたのだ。
それは、この街に潜伏している白翼騎士団へ、接触の為のメッセージを残すというものだった。
勿論。十三軍団と白翼騎士団の間に共通の暗号など存在しない。故に、この街の住人にメッセージを発見されれば、逆にこちらの足取りを掴まれる致命傷となる。
だがテミスは、これ以上手をこまねいていた所で、時間を浪費するだけだと断じたのだ。
「サキュド。場所は?」
「はい。痕跡らしきものがあった家屋と、次に探索する可能性のある建物に目星を付けてあります」
「解った」
掬い上げた水で顔を洗い、サキュドへ問いかけると即座に報告が返ってくる。
テミスはそれに小さく頷いて応じ、背後からゆっくりと姿を現したミコトへ視線を向けた。
「ミコト。何か意見はあるか?」
「いえ……。僕もこのままでは、ただの食事当番になっちゃうなぁ……。なんて思っていた所ですから」
「フッ……」
その言葉に、テミスは頬を緩めて笑みを浮かべた後、揶揄うようにその肩に手を置いて言葉を続ける。
「確かに、あまりに腕が良いものだから、私もサキュドもお前に食事の調達を任せきりにしてしまった。感謝しているよ」
「っ……。ありがとうございます。美味しいと言っていただけて光栄です」
ミコトはテミスからの労いに一瞬だけピクリと頬を引きつらせると、ニッコリと人のいい笑顔を浮かべて答えてみせた。
ヤマトでの潜伏生活を始めてから今日まで、食糧調達は殆どミコトへ一任されていた。そこには、あまりに良すぎる手際で、上質な食材を集めてくるミコトの様子を見る意図も含まれていたのだが、幸か不幸かそちらも結果は出ていなかった。
「夜の闇に紛れて侵入し、数日間様子を見る。刻む文面は、『一日と一日の狭間、この街で最も月に近き場所にて合流されたし。十三番目の援軍より』だ。サキュドは探索の予測される建物、私とミコトは痕跡のあった建物だ」
「了解しました」
「……わかりました」
テミスが指示を出すと、サキュドとミコトは各々に受領の意思を口にして、手早くその身を外套に包んでいく。
テミスもまた、仕事着である軍服のような略式軍装を、記事に織り込まれた素材のお陰で、闇に溶け込んでいる外套で隠して目標へと向かった。
「ではな、サキュド。そちらは任せた」
「っ……」
コクリ。と。
暗闇に呑まれたヤマトの街中で、テミス達はサキュドと別れると、先日サキュドが違和感を覚えた建物へ急行して、音も無くその内部へと侵入を果たす。
ここまでは、概ね予定通り。
あとは、目につく位置にメッセージを刻み込んで、後はしばらく様子を見る事になる。
「……フム。あれでいいか」
テミスはざっと部屋を見回した後、リビングの真ん中に設えられた大きなダイニングテーブルに目を付け、懐から短剣を取り出して文字を刻み始める。
フリーディアが見ていたならば即座に引きはがされ、怒鳴り散らされるのは目に見えているだろうが、事態が事態なのだからとやかく言われる筋合いはない。
「……テミスさん」
「なんだ?」
ガッ! ガッ……! と。
静まり返った部屋の中に、ひたすらに文字を刻む音が響く中。
その背に視線を向けたミコトが、壁に背を預けたまま静かに口を開いた。
「正直に答えて下さい。貴女……まだ僕の事を疑っていますよね?」
「ああ」
「――っ!!」
無造作に。そして突き放すように。
テミスは文字を掘る手を止める事無く、ミコトの質問に即答する。
「なら何故……そんなにも無防備に僕へ背中を向けているんですか?」
「別に、今襲い掛かられようと問題無いからな」
「そう……ですか……」
バッサリとまるで切り捨てるかのように断言するテミスに、ミコトは壁から背を離し、足音を消してゆっくりと忍び寄る。
だがそれでも尚、テミスが文字を掘る手を止める事は無く、木を裂く単調な音だけが断続的に響き渡っていた。
「だが……」
「……?」
自らの背に息を殺して近づくミコトに、テミスは言葉を付け加えると、短剣を振り下ろす手を止めて視線を向け、言葉を続ける。
「疑ってはいるが、そうでない事を祈ってはいるよ。刃を交えた末に辿り着いた和解なんだ。そう簡単に破談して欲しくない。それに……」
そこで一度言葉を切り、テミスは短く息を吐くと、自らの間近にまで歩み寄ったミコトの頬に手を添えて笑みを浮かべる。
その笑みは、暗闇の廃屋の中という場所のせいか、中身は兎も角見た目は、美麗な少女然としたテミスに妖艶さを纏わせていた。
「あの世界の人間が、これ以上こんな歪んだ町に魅入られて欲しくない。中でも、他でもない……我々と切り結んだお前は特に……な」
「っ……!!! 当り前……じゃないですか……。だったらもう少し……僕を信用してくださいよ……」
「ンククッ……」
そんなテミスの言葉に、ミコトは慌てて視線を逸らすと、跳ね上がった動機を必死で落ち着かせながら途切れ途切れに言葉を返す。
しかしその言葉に対する返答は無く、ただただ愉しそうにテミスが喉を鳴らす音だけが、闇の中に響き渡るのだった。




