422話 栄華の残滓
ゲルドイ達の村を出立してから数日後。
テミス一行はヤマトの中心街区、かつてアルティア呼ばれていた町に到着していた。
道中でも情報収集を続けてはいたが、余程上手く立ち回っているのか、フリーディア達の足跡は掴む事はできなかった。
「……知ってはいたが、こうして目の前にすると酷さが身に染みるな」
中央街区の様相を眺めて、テミスは眉を顰めながらボソリと呟いた。
白く美しかったであろう壁には、黒い汚れがべっとりとへばりつき、綺麗に磨き上げられていたであろう石畳は、汚泥ともヘドロともつかない何かがいたるところに散乱し、強烈な悪臭を放っている。
元々、この町が白磁のように美しい建材を用いて造られていたからか、そんな街が汚れ、落ちぶれた姿には、思わず顔を歪めてしまう程の悲惨さがあった。
「何故……彼等だって、こんな環境は厭なはずなのに……」
「そんな感情がどうでもよくなるほど憎く、その程度の不便を受け入れる程に甘美なんだろうさ……その、選民と言うヤツはな」
ミコトの零した呟きに、テミスは冷たく、そして皮肉気に答えを返す。
害に倍する利があるのなら、喜んで受け入れるのが人間だ。ましてや、カナタのような刹那的な享楽を求める人種が靡いているのだ、その甘い汁は相当な価値があるのだろう。
「フリーディア達も恐らく、この町に潜伏している筈だ。だが、ここは同時に連中の膝元でもある。大手を振って探し回る訳にもいくまい」
「でしたら、私が――」
「――いや。最優先事項は拠点を構える事だ」
周囲に目を配りながら、テミス達は小声で言葉を交わす。しかし、周囲を警戒する必要など無い程に町に人影は少なく、その少ない人々も、生気の欠片も感じられ無い淀んだ目で、まるでゾンビにでもなってしまったかのようにフラフラと歩き去っていく。
「……お言葉ですが、こんな状態の町にまともな宿は無いかと。一度郊外まで戻るか、今日の内に事を済ませるのがよろしいと思います」
「フッ……まぁ、そう焦るな」
サキュドが、この汚く臭い街には絶対に留まらないという、固い意思の籠った言葉で意見すると、テミスは頬を緩めて不敵な笑みを形作る。
そして、不意に道の脇へと歩を進めると、建物の間にひっそりと佇んでいた、ヌルヌルと滑る小さな階段へと足を向ける。
「テミス様……まさか……」
「ああ。そのまさかだ」
さらり。と。
テミスはあっさりと何かを察したサキュドの言葉を肯定する。
同時に、サキュドの顔が絶望に歪み、その瞳から光が消えて、まるでこの町の住民のようにどんよりと濁ったものへと様変わりした。
「ハハハッ! 完璧じゃないかサキュド。何処からどう見てもこの町の住人にしか見えんぞ?」
「えぇ……いっその事この町の住民になりたいですよ。そうすれば、いくらかマシな所で寝られそうですし……」
「ええと……お二人は一体、何の話をしているんですか?」
そんなやり取りに、二人の後ろから話の読めないミコトが、苦笑いを浮かべながら問いかける。
「何もかにも無いわよ……。テミス様はね……あろう事か下水を寝床にしようって言ってるのよ……。確かに、安全かもしれないけれど……」
「げ……下水……ですか……」
鬱屈とした絶望に満ちたサキュドがそう答えると、ようやく自らの危機を察したミコトが、頬を引きつらせて足を止める。
表層の町ですらこのような惨状だというのに、その町の下水の状態なんて想像すらしたくないというのが本音だろう。
故に、あえて行き先を明言しなかったテミスは、得意気に二人を振り返って口を開いた。
「ククッ……二人とも、早合点は止せ。流石の私も、こんな悲惨な状態の町の下水に泊まるのは御免だ」
「なら何処へ向かっているというのですか……」
「地下水道だよ。この町は以前、観光が盛んな町だったんだ。その美しい街並みに誘われて押し寄せた旅人をもてなす為、以前の領主が大枚をはたいて整備したらしい」
「なら……今、僕達が向かっているのは……」
「無論、上水道さ。遠方の川から水を引いてきているようだし、上手く行けば飲み水に困る事は無いだろう。それに、普段は人が足を踏み入れない場所だからこそ、この地上より過ごしやすい筈だ」
テミスが言葉を重ねるごとに、ミコトとサキュドの顔がゆっくりと生気を取り戻していく。それはまるで、萎れた花が水を得て復活するかのようで……。そんな、表情豊かな二人を見ているテミスは、愉しむようにクスリと笑みを浮かべると、足早に口を広げた地下水道の入口へと突き進んでいく。
それと同時に、肩越しに後ろを歩く二人へ目線を向けながら、涼し気な口調で言葉を続けた。
「さぁ。サッサとしないと拠点を作る時間が無くなるぞ? 固い石床で眠りたいのなら、ゆっくりしていっても構わんがな」
「……っ!! それはイヤです!」
「僕も、石畳で雑魚寝は遠慮したいですね……」
そう答えると、二人は早くも地下水道の闇へと消えつつあるテミスの背中を、大急ぎで追いかけるのだった。




