420話 汚辱の塊
身を潜めるテミス達の眼前で、『納税』は粛々と進められていった。
村人たちの手によって次々と運ばれてくる作物や雑貨は、無造作にトラックの荷台へと積み込まれ、それを指示する選民は何処か気怠そうに仕事を続けている。
「っ……!! フゥゥゥゥッッ……ご苦労。サキュド、もう……大丈夫だ」
その陰で、テミスは大きく息を吐くと、全力で自らに組み付いているサキュドを労った。
現状を鑑みれば、先行している白翼騎士団の状況も解らないうちに事を仕掛けるのは得策ではない。だが、そんな事情をすべて吹き飛ばすほどに、あの男との邂逅は衝撃的だった。
「その……テミスさん。聞いて良いかわからないですけれど……」
「フム……思い出すのも業腹だが、説明しないわけにもいくまい」
おずおずと口を開いたミコトに、テミスは小さなため息と共に小声で語り始める。
激情に駆られた醜態を見せてしまった以上、奴と私に何かしらの関係があるのは明白だ。ならば、後々になってヘンな疑いをかけられるより、ある程度の事は説明しておくべきだろう。
「単純な話だ。奴は犯罪者……見下げ果てた悪党だ」
語り始めてすぐに、サキュドが小首を傾げたのを見て更に説明を噛み砕く。
確かに、法という概念が希薄なこの世界では、犯罪者という単語は馴染みが薄いかもしれない。
「犯罪者って……なんでそんな人がこの世界に……というか、さっきテミスさん殺したって……」
「ああ。奴は……私が確かに殺したはずだ」
きっぱりとそう言い切った時、テミスの脳裏に焼き付いた過去の記憶が蘇ってくる。
噎せ返るような血の匂いと、恐怖に満ちた悲鳴。助けを求める手が俺の動きを阻害し、狂気を孕んだ笑みと共に血に濡れた刃物が、喚き声と共に振り上げられる。
喚き声……? そうだ。久方ぶりにあの憎たらしい顔を見たせいか、より鮮明にあの時の事を思い出してきた。確かに奴は、何かを叫び散らしながら暴れていた筈……。
「……さん? テミスさん!」
「っ――!」
ミコトに軽く肩を叩かれて、テミスは記憶の世界から現実へと意識を引き戻された。
結局、何を喚いていたのかまでは思い出せず仕舞いだったが、思い出したくも無い事を中途半端に思い出したせいで、まるでヘドロでも飲み下したかのように最低な気分だった。
「……兎も角、奴は自らの悦楽の為に罪無き人を殺す異常者だ。今まで、この世界を含めたとしても、あそこまで性根の腐り切った奴を私は知らない」
「テミス様がそう仰るとは……相当なのですね……」
「ああ。考えてもみろ。戦争も無い、何をせずとも最低限、ただ生きる事を保証された世界があるとする。そんな世界で、お前はわざわざ……罪なき平穏を謳歌する人々を殺そうなどと思うか?」
「っ……それは……。……思いませんね」
テミスの問いに、サキュドは一瞬視線を彷徨わせた後、口ごもりながら目を逸らして答える。
こう見えて、サキュドも十三軍団で副官を務める程の才媛だ。その実力は腕っぷしだけではなく、思考の速さにも現れている。故に、一瞬の沈黙のうちにサキュドは、テミスの前提を正しく理解した上で答えを出したのだろう。
「フッ……。お前にとってはつまらん世界かもな」
「ハハ……」
ニヤリと笑みを零したテミスが付け加えると、隣のミコトが乾いた笑みを浮かべる。
普段の言動からよく勘違いされがちだが、偏ってはいるもののサキュドはれっきとした武人だ。剣戟の狭間、強者と切り結ぶ刹那的な時間に生を見出している。それ故に弱さを憎み、その鬱憤が時に過激とも思える衝動として表出するのだ。
「っ――!! 野郎ッ……!!」
ヒャハハハハッ! と。
下品極まる高笑いが響き渡ると、テミスは再びギシリと歯を食いしばって湧き上がる怒りを堪える。
その視線の先では、ちょうどカナタが村の住人の一人へ、愉悦の笑みと共に何度も蹴りを叩き込んでいた。
「えぇっ!? だ! か! ら! 何だってんだっ? アァッ? それを俺に報告して何になんの?」
「ぎゃっ! ぐぅっ! 申し訳……ありまっ……!!」
理不尽な暴力と共に降り注ぐ言葉に、住人は悲鳴を上げながらただひたすらに許しを乞うていた。しかしカナタの暴行が収まる事は無く、いっとう勢いを付けた蹴りで住民を蹴り飛ばした後、その髪を掴んで顔をあげさせる。
「お前さァ。言う事ちげェだろーがよォ? 何逃がしてンの?」
「ヒィィッ……で、ですが……凄まじい強さで……」
「言い訳してんじゃねェよッ!!」
「申し訳――ヒギャッ!!」
グチャリッ! と。
謝罪の言葉を述べる村人の顔を、カナタは怒声と共に地面へ叩き付けた。
顔面を叩き付けられた住民は短い悲鳴を残して動かなくなり、その暴虐の光景は周囲の選民さえも目を逸らすほどだった。
「んで? そのゲル……何だっけ? 匿った奴誰よ?」
カナタの意識が他の住民へ移った瞬間、村の住民たちは揃って目線を伏せて身を縮めると、自分以外の生贄を求めて周囲へと視線を走らせた。
勇み足でゲルイドの事を報告した住民は今、ボロ雑巾となってカナタの前に転がっている。ならば、次に前に出た者が同じ末路を辿ることは明白で、彼等は今、誰がゲルイドと共に処断されるかという選択を迫られているのだ。
「何黙って――」
「――カナタ君」
「ヒッ……ぶぎゃッ!」
カナタが手近な住民に拳を振り上げた時、横合いから一人の選民が進み出て口を開く。だが、その拳が留まる事は無く、住民の頬を殴り飛ばしながら、カナタは進み出た眼鏡をかけた選民へ怪訝な視線を向けた。
「どうやら、ただの住民同士のいざこざのようです。聞けば、彼はゲルドイ氏に暴行を加えていたようで。通りがかった旅人がコトを諫めただけのようです」
「ハァ……? んだそれ。ってことはさァ……? 随分舐めたコトしたよねコイツ」
ゴシャァッ! と。
進み出た眼鏡の選民の報告を聞いた途端、カナタは先ほどまで袋叩きにしていた住民を蹴り付け、踏み付けながら問いかけた。
「……虚偽の報告は許されませんね。ですがそれより、妙に腕の立つ旅人というのが気になります。……早急に報告すべきかと」
「チッ……。なら俺は一足先に戻るぜ。レイ、後は片付けとけ」
「わかりました」
そう言い残すと、カナタは手近なトラックへ飛び乗り、レイと呼んだ眼鏡の選民の返事も待たずに車を出して姿を消した。
「ありがとうございます……! ありがとうございますッ……!!」
「構いませんよ。あなた達が一人でも減ると税収が減って困るのは我々ですから」
後に残ったのは、ただ腰を折って口々に礼を述べる住民たちと、それに冷たい声で応ずるレイ。そして、その光景を薄い笑みを口元に浮かべて見守る選民たちだけだった。




