38話 その名はケンシン
少女が魔物に襲撃された場所から十分ほど歩くと、森の中にぐるりと取り囲むように湾曲した堅牢な壁が見えてきた。
「っ……これはっ……」
「ここがテプローの町です。あの壁は、今の領主……いえ、冒険者将校様がつくられたんですよ」
「…………」
あれからここまで、一切の言葉を発しなかった少女が初めて口を開く。しかしテミスは、その言葉には答えずにただ、ぴたりと足を止めただけだった。
「……フム…………」
テミスは一つ息を吐くと、じっくりと壁を観察する。なるほど。確かに言われてみれば、この壁はファントの物とも、ヴァルミンツヘイムの物とも異なる点がいくつも見られる。
「確か……虎口とか言ったか?」
テミスは首を捻りながら記憶を探るも、その詳細な知識が思い出される事は無かった。確か、門を凹状にする事で足止めした敵を、三方向から袋叩きにするモノだったはずだが……。
「どうしたんですか?」
テミスが頭を悩ませながら唸り声をあげていると、テミスが立ち止まっている事に気付いた少女が戻ってきた。
「いや……珍しい形の防壁だと思ってな」
「ふふっ。ここに来る人達はみんなそう言います。そして、もう一度ビックリするんです」
「ほぅ?」
その顔に少しばかり明るさが戻った少女の言葉に興味を持ったテミスは、頭の片隅で警戒を叫ぶ声を押し殺して歩を進めた。
「ほほう。なるほど、やはりか」
少女は門番とも顔なじみらしく、事情を聞いたらしい門番が顔色を変えて奥へ飛び込むと、テミス達はそのまま門の向こうへと通された。
しかし、そこには予想していたような街並みは広がっておらず、そこにあるのはのっぺりと広がる第二の壁と、その横に設えられた門だけだった。
「やはりって……知っていたんですか?」
驚きの顔で振り向いた少女の声が、狭い空間に反響する。
「ああ、いや……何と言うか……。戦略的に良くできている」
若干言葉に詰まりながら、テミスは返答をする。正直に言って、ここまでの物は予想していなかった。何かしらの仕掛けがを用意してあったとしても、せいぜい掘り程度のものだと予想していた。
「……第二の壁とはな」
テミスは少女の前で壁に近付いて上を見上げる。そこには、反り返った塀に半分以上を切り取られた夕暮れがかった空が広がっていた。
「それは、武者返しと言うんですよ」
「っ!」
テミスが、聞き慣れない男性の声に弾かれたように身を翻すと、そこには男性にしては長めの髪を後ろでまとめた若い少年がにこやかな顔でこちらを見ていた。
「エルーシャの事を助けて下さったそうで……この町の代表として、深く感謝いたします」
反射的に剣の柄に手をやったテミスを咎めることなく、少年はそう言うと深々と頭を下げる。
「エルー……シャ?」
「ああ、自己紹介もまだでしたか……貴方に助けていただいた彼女の事ですよ」
「気にするな。ただの行きずりだ。それよりも、あなたがこの町の領主……冒険者将校か?」
顔を上げた少年に警戒を悟られぬよう、テミスは挙げた手を頬に持って行きながら訪ねる。この少年が冒険者将校であるのなら、彼もまた私やカズトと同じ異世界人の可能性が高い。
「はい。僕はケンシンと申します」
「ゴホッ――」
「…………? どうしました?」
あまりに耳慣れた名前にテミスがせき込んだ途端。ケンシンの目がテミスを射抜くようにキラリと光る。
「いっ……いや、失礼。私は――」
名乗りかけて、テミスは咄嗟に口を噤む。
私がファントでカズトを討った事は人間達には伝わっているだろう。それがどこまで広がっているか、どれほど詳細に伝わっているかによっては、ここで名乗る事は自殺行為に等しいが……。
「……テミス。と言う」
一瞬の逡巡の後、テミスはケンシンの目を見て自らの名を告げた。仮にここで正体がバレたとしても、門から逃げ出すくらいの事は出来るはずだ。
「わかりました。では改めてテミスさん、聞けば肩を貫かれて怪我をされたとの事。急ぎ、館で治療を致しますので、お早く中へ――」
「待て」
ケンシンが身振りで第二の門の中へと招き入れようとした途端。テミスが制止の声をあげた。
「私が肩を貫かれて怪我をしたと聞いた……だと?」
警戒心を孕んだテミスの声が、狭い空間に反響する。確かに、エルーシャが門番に伝えた可能性はある。だが、エルーシャが門番と会話をしていたのはものの数秒だ。せいぜい数回しか交わさなかった会話の中で、そこまで詳細に傷の事を伝えるだろうか?
「すみません。いらぬことを口にしたようで」
ケンシンはそう言いながら警戒するテミスを振り返り、軽く両手を広げると言葉を続けた。
「今はそういうモノだ……と思っていただければ。不気味かもしれませんが、今はどうかご容赦を……我々は恩人である貴方に害を為すほど恥知らずではありませんよ。何よりもホラ……僕、丸腰ですし」
そう言うとケンシンは、裾を捲り上げて腰に帯びた空の剣帯をテミスへ示した。
「……すまない。冒険者をしているとどうもな……」
ケンシンにそう答えながら、テミスは剣の柄へと伸びかけた手を下に降ろす。少なくともケンシンには、私が転生者である事はバレているようだ。あからさまに名前でカマをかけている以上、そこまでは必要経費と言った所だろうが……。
「いえいえ。仕方ありませんよ。ああ。良いよ――では、こちらへ」
ケンシンの方へとテミスが歩み寄ると、その傍らに居た少女が何かを求めるように挙げかけた両手をケンシンが制す。
「お荷物はそのままで結構ですよね?」
「――ああ」
短く答えるとテミスは侍女から視線を逸らす。恐らくだがこの少女は、武器を預かろうとしたのだろう。それを制して前を歩いているのは、彼なりの誠意の表れという事なのだろうか。
「……やれやれ」
ケンシンの傍らから、チラチラと突き刺さる抗議の目線を受けながら、テミスは浅くため息をついたのだった。
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