417話 地獄の底へ堕ちるまで
アーサーがソフィアに拾われてから、数か月が経った。
傷付いた体はとうに完治し、アーサーはソフィアを手伝って畑に出るようになっていた。
「お疲れ様、アーサー。手伝ってくれて助かるわ」
「良いんだよソフィア。これも恩返しさ」
昼も過ぎ、二人は畑作業を終わらせると、微笑み合いながらお決まりとなった言葉を交わす。この後、アーサーが考案した草鞋を作るのが二人の日課となっていた。
数年前に両親を失ったソフィアは受け継いだ畑を持て余していたらしく、アーサーが手を貸す事でそれは元の輝きを取り戻した。それにより、収穫した穀物をアルティアに出荷する量も増え、贅沢はできないものの二人は余裕のある日々を送って
いた。
「ふふ……いっつもそればっかり。動けるようになったら出て行ってしまうんじゃなかったの?」
「私は、必ず恩返しをするとも言ったはずだよ?」
「ン……そうね……」
ゆっくりと家路につきながら、ソフィアとアーサーは仲睦まじげに語り合う。
その様子は今や、この小さな村落の誰もが注目する、甘酸っぱい話題の源だった。
無論。独り身の女性であるソフィアが、ある日突然現れた身元すら解らないアーサーを家に置く事に村人は反対した。
そこには、丁寧な口調ながらも彼等を近付けまいとする言動を取るアーサー自身への反発もあったのだろう。しかし、アーサーのその身を救われたソフィアに対する献身的な態度と、冷たいながらも村人への最低限の礼儀を欠かさなかった事もあり、彼は次第に村人たちへと受け入れられていった。
「…………」
ふと。アーサーは足を止めると、晴れ渡った空を見上げて目を細める。
幸せな時間だった。それは、アーサーの胸の内を焦がしていた呪詛と怨嗟の炎が薄まる程に。
英雄と呼ばれていた頃のように贅沢な暮らしでは無いし、慣れない農作業には少なくない苦労もある。
けれど、これも英雄としての性なのだろうか。こうしてソフィアと温かな日常を過ごすうちに、燃えるような復讐よりも目の前の幸せを守りたいという思いが、日に日に強くなっていった。
「……? どうしたの?」
「……いいや。少しだけ、考え事をしていただけだよ」
アーサーが立ち止まった事に気が付いたソフィアが振り返り、小首をかしげて問いかける。
アーサーはそれにすぐ答えを返すと、微笑みかけながら歩みを再開した。
……そうだ。
あいつ等に復讐するといっても、所詮私はたった一人の人間に過ぎない。たとえこの世界の人間達には無い能力を持っていたとしても、国家を相手に喧嘩を売った所で復讐を果たす事は出来ないだろう。
だから……彼等には悪いけれど、もう少しだけ……。
もう少しだけこの幸せに浸っていたい。
隣を歩くソフィアの笑顔を眺めながら、アーサーは心の内に秘めた傷にそっと蓋をしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
しかし、そんなアーサーの幸せで暖かい日々も長くは続かなかった。
ソフィアがアルティアへ商品を卸しに行った帰り道。彼女を乗せた馬車が野盗の一団に襲われたと、命からがら逃げ帰ってきた村人が告げたのだ。
「っ――!! 助けに向かわなければッ!! すぐに人を――」
「――駄目だッ!!」
「何故ッ……!!!?」
しかし、即座に救出へ向かおうとするアーサーを、村人たちは必死で押し留めた。
それもその筈。村人たちはアーサーの事を知らないのだ。過去をひた隠しにしたが故に、彼等にとってアーサーはただの凡夫。いつの間にか住み着いていた男が、かつて英雄と呼ばれたほどに強いなんて予想だにしていない。
「頼むッ……村の為に……どうか堪えてくれ……」
「ふざけるなッ!!! 私は一人でも行くッ!! 見捨てるなんてあり得――」
「っ……!!」
ガゴン。と。
鈍い音と共に、声を張り上げたアーサーの後頭部を衝撃が駆け抜けた。それは、完全に不意を突いた一撃であり、想定外の一撃をまともに食らったアーサーは、数歩よろめいてたららを踏むと、驚愕の表情で村人を振り返る。
「すまない……あの子にもお前にも悪いが……村の為なんだッ……」
「あ……ア……」
それは、いつかの時と同じ光景だった。
突如背中から矢を射かけられ、長槍で腹を貫かれたあの時と。
確か、あの時の騎士も似たような事を言っていたな……。
不意の一撃で脳を揺らされ、急速に起き上がってくる地面に体を預けながら、アーサーはどこか他人事のように絶望の瞬間を思い出していた。
「すまない……これも国の平和の為……。国家の礎となってくれッ……!」
いつかの騎士の姿と、涙を流しながら倒れ伏したアーサーを抱え起こす村人の姿が重なる。
どいつもこいつも、結局は自分の事しか考えていない。
アーサーは自らの心が急速に冷えていくのを自覚した。
村の為? ふざけるな……。結局自分たちが危険に遭いたくないじゃないか。それの言い訳としてただ、まるで大切なものを奪われてまで耐え忍ぶ理由を取ってつけているだけに過ぎない。
「ソフィアの家と畑は……せめてお前が受け継いでやってくれ……」
「っ~~~!!!!」
恐らくは、この男も本気で哀しんでいるのだろう。
だが、まるで既にソフィアが死んでいるかのように告げたその言葉が、アーサーに残されていた最後の理性を吹き飛ばした。
「ウッ……グッ……!!」
「なっ――ぎゃッ!?」
ドズンッ! と。
力を振り絞ったアーサーは、自らを抱えていた男を力の限り突き飛ばす。転生者であるアーサーの馬鹿力を受けた村人はいとも容易く吹き飛ばされ、傍らの建物へその全身を叩き付けられると、その場に崩れ落ちてうめき声を上げる。
「待っていろ……ソフィア……」
「だ――ダメ……だッ!! 行っては……連中の……報復が……!!」
「知るかよ。そんな事」
冷たく、切り捨てるように。
懇願する村人を一瞥すると、アーサーはそう吐き捨てて背を向け歩き出す。
野盗の襲撃に抗わないのは、防衛戦力を持たない小さな村が苦肉の末に導き出した、報復を避け、最低限の犠牲を差し出す事によって村への被害を抑えるというある種の防衛手段だった。
「皆ァ――!! ぐぅっ……止めろ!! アーサーをッ!! ……止めるんだッ!!!」
「…………何でッ……」
地面を這いずる男の声に呼応して、周囲から村の者達が続々と集まってくる。
何もしなくて良い。ならばせめて邪魔をするな。アーサーは自らの内から溢れ出るドロドロとした怒りに身を浸して、ぎしりと歯を食いしばって拳を握り締めた。
「容赦は……しないッ!!!」
アーサーは揺らぐ視界に活を入れると、全力で拳を振りかぶって、彼を止めるべく殺到する村人たちへ突撃したのだった。
2020/09/14 誤字修正しました




