409話 気まぐれ者の忠義
「テミス様ッ!!」
「――っ!? サ……サキュドか……。何があった?」
陽が傾き、深いオレンジ色の夕日が町を照らしだした頃。
テミスはサキュドの声に叩き起こされ、飛び起きてベッドの上で上体を起こしていた。
未だに眠気は残ってはいるものの、ほぼ一日中眠っていたお陰で倦怠感はかなり薄らいでいる。
ならば、ある程度の厄介事でも対処できるだろう。
テミスはそう判断すると、即座に掛布団を引きはがして脇に寄せてベッドから降りる。同時に、傍らに立つサキュドに視線を向けて状況報告を促した。
「っ……!!!」
だが、サキュドは何かに耐えかねたかのごとく歯を食いしばるばかりで口を開かず、固く握り締められたその拳が、彼女の口惜しさを体現していた。
よもや……敵襲か? テミスはサキュドの拳を視界の端に映しながら、身支度を整えて思考する。
そもそも、サキュドがこの部屋に押しかけて私を叩き起こすなんて、余程の事だろう。
それほどまでの大事で、サキュドが悔しさを露にするような事態は、テミスには人間相手に撤退を余儀なくされたくらいしか思い付かなかった。
「どうした? 報告を――」
「――どうしたもこうしたもありませんッ!!!」
「なっ……!?」
刹那。
サキュドの手が閃いたのをテミスが躱し損ねたのは、寝起きで気が緩んでいたからだけでは無いだろう。
まさか、血相を変えて部屋にまで押しかけて来たサキュドに、こんなにも勢い良く突き飛ばされるなんて、予測すらしていなかった。
「っ……うっ! ……何のつもりだ? サキュドッ!!」
ドサリ。と。
すれ違いざまに加えられた一撃で体勢を崩したテミスは、そのまま体当たりの如く覆いかぶさって来たサキュドを支えきれず、そのままベッドへと押し戻される。
無論。そんな理解不能の行動をしたサキュドへの怒りと不信が噴出し、懐疑の眼となってテミスの視線を凍てつかせた。
「~~~。どうしたもこうしたもありませんッ!!!」
ヒステリックな叫びをあげたサキュドは、叫びと共に拳を振り上げると、鋭くテミスの顔面の横……ベッドのマットレスへ向けて振り下ろした。
結果。まるで、テミスがサキュドに押し倒されたかのような態勢になっているのだが、両者の間には剣呑極まる雰囲気が漂っていた。
「何で……我々はそんなにも頼りないですかッ!?」
「……!? はぁっ……? サキュドお前何を――」
「――ミコトから聞きましたッ! 次の作戦……アイツに協力を要請されたそうですねッ!?」
「あ……あぁ……」
サキュドはテミスを押し倒したまま、鬼のような剣幕でテミスへとまくし立てた。
対して、テミスはサキュドの怒りについて行けず、目を白黒させて小さく頷いた。
「我々では……役不足ですか……? 確かに人間領での作戦行動は魔族には不向きです。ですが……気に留める価値も無い程に……私達は無力ですか?」
「…………」
縋るように問いかけられるサキュドの言葉を聞いて、テミスは全てを理解した。
つまるところ、サキュドは不安なのだ。そして同時に、同じくらい不満なのだ。
正規の部下である自分たちの頭を飛び越えて、私がミコトに協力を持ち掛けた事が。そのせいで、まるで自分たちが用済みであるかのように考えているのだろう。
……そんな筈が、ある訳が無いのに。
「馬鹿な事を言うなサキュド。お前達には今まで何度も助けられた。無力な訳が無いだろう」
テミスはそう告げながらサキュドの肩を軽く叩くと、まずは落ち着かせようと言葉を並べる。
その言葉は半分詭弁でもあり、半分本心でもあった。
厳然たる事実として、次の作戦にサキュド達をはじめとする魔族の連中を連れて行く事は出来ないだろう。だが、それはあくまでも適材適所の範疇であり、彼女たちが無能である証明などでは断じて無いのだ。
「だからそう気を落とすな、大丈夫だ。私は、決してお前達の事を蔑ろにはしない」
「っ……!」
だからこそ。その詭弁が言葉を誤らせたのだろう。
続くテミスの言葉を聞いた瞬間。サキュドの目に刃物のように鋭い光が煌めく。
そして、押し倒された体制のまま説得を続けるテミスに顔を近付け、その目を睨み付けながら静かに口を開く。
「違います。違うんですよテミス様……」
「サキュ……ンンッ!?」
「言葉は不要……。解りました……えぇ……よォくわかりましたともッ!! あまり私を舐めないでくださいっ!!」
「ぐむっ!! ンンン!!!」
サキュドが口を開いた途端。身の危険を感じたテミスが起き上がろうともがく。
しかし、テミスが聞きを察知する前に動いたサキュドの手がテミスの口を塞ぎ、馬乗りになった体が起き上がろうとする動きを阻止する。
そして、テミスがニヤリと頬を歪めたサキュドを制止する暇も無く、サキュドの全身を血のように紅い霧が包み込んで膨れ上がった。
「…………。魔力操作と催眠術式を応用した擬態魔法です。今度は私も御身と共に……」
静かに、しかし自身に満ち溢れた声が響くと同時に、サキュドを包んでいた霧が弾け飛ぶ。
しかしそこにサキュドの姿は無く、テミスの体に跨ったまま首を垂れる、人間の少女の姿があったのだった。




