37話 やけついた眼
マグヌス達と別れ、その足でプルガルドを出立したテミスは、まばらに木が茂る林に差し掛かっていた。
陽は既に傾き、オレンジ色の光が薄い葉の壁を通って柔らかに地面を照らしている。
「フム……この辺りのはずだが……」
テミスはそう呟きながら辺りを見渡すが、それらしきものは全く見えなかった。魔族側の地図によれば、目的の町のテプローはそろそろ見えてきてもいいはずなのだが……。
「まぁ……この世界の測量技術がどれほどの物かはわからないし、敵の勢力圏内を正確に地図へおこせと言うのは酷か……」
テミスが誰ともなしに呟いた時だった。
「嫌アァァァァァッッッ! ユーキ! ユーキッ!!」
絹を裂くような叫び声が、林の中に木霊した。
「っ! 何事……!?」
背中の大剣を抜き放ち、叫び声が聞えた方へと駆けだす。目的地へのルートとそう大して変わらないのは助かる。
「……あれかっ!」
緩やかなカーブを描いた道を抜けた所で、青い顔をして正面から走ってくる少女と、それを追って駆けてくる鬼灯の実から足が生えたような形の魔物が見えて来た。
「ヒッ! ぼ……冒険者様!? お願いします! あの魔物に弟が捕まってっ!」
「なんだとっ!? 捕まったっ?」
見た所、少女の周囲には彼女以外の人間は居ない。だが、背中に鬼灯の身を背負った蜘蛛のような風体の魔物にも、少年らしき姿は見当たらない。
「倒せばわかる……かッ!」
少女とすれ違うように飛び出したテミスは、高く飛び上がると思いっ切り大剣を振り上げた。狙いは一番前の足。今でこそ地面を蹴って足のような役割をしているが、得物を捕らえる性質があるという事は、前腕として機能する可能性が高い。
しかし。ガキィィィンと。痺れるような感覚と共に、振り下ろした大剣が弾かれた。
「っ!! 硬い……グゥッ!?」
空中で身動きが取れず、かつ両手を空に挙げているという致命的な隙を、この魔物は逃さなかった。
しかし、その攻撃はテミスが予測した前腕からではなく、その背中に背負った『実』の部分から放たれていた。
「あがっ……触……手……だとっ!?」
鋭く放たれた触手に肩を貫かれたテミスの、食いしばった口から悲鳴と共に怨嗟が漏れた。まずい。尋常ではない痛みで脳が正常に働かない。一定以上の傷は痺れて大して痛くないと聞いたが、そんな物は嘘だ。
「っ~~……何故ッ……」
テミスは痛みで明滅する脳を無理矢理動かして、敵を観察する。前腕で切り付けないのはともかくとしても、胴体を晒していたあの状況で、わざわざ肩を狙う意味が分からない。
「むっ……?」
ずるり……と。肩口に刺さった触手が脈動し、宙吊りになった体がゆっくりと魔物の方へと引き寄せられていく。そして、その触手の先。鬼灯の実のような部分の一部が裂け、ちょうど人一人分くらいの大きさに開かれていく。
「そういう事かッ! だが……捕らえたのはお前だけではないッ!」
逃げてきた少女が口にした『捕まえる』の意味をようやく理解する。あの背中の鬼灯の中に囚われているのだ。
「グッ……ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!」
テミスは痛みを堪えつつ触手を掴み、体をねじって咆哮と共に大剣を鬼灯へと突き立てると、固い手ごたえと共に剣先が鬼灯へとめり込んだ。しかし、魔物は予想していたような苦悶の声をあげる事は無く、無感情にも思える動きで次なる触手を割れ目から這い出させてくる。
「なら……ばッ! こうだっ!」
気合と共に、テミスは体を回転させて自らを貫いていた触手ごと鬼灯を切り裂いた。
「外殻部ダメージ。許容量を超エマシタ。転移システム。起動シマス」
「何ッ? 待――ッ!」
テミスが着地すると同時に、魔物が微かに機械的な音声を発する。反射的に振り抜いた大剣も空を切り、つい先ほどまで魔物が居た場所の地面を深く抉った。
「消え……た?」
「嘘……ユーキ? ユーキぃ……」
テミスのかすれた声と、少女の泣き濡れた声が静まり返った林道に木霊する。通り抜けた風が木々をざわめかせ、二人をあざ笑うように沈黙を塗り替えていた。
「っ…………君だけでも送ろう」
テミスは負傷した肩口を押えながら立ち上がり、剣を収めるとへたり込んだ少女の方を振り返る。
「嫌……なんで……なんで……」
「しっかりしないか! 君がここに残って何ができるッ!」
「何よっ! ユーキを助けてくれなかったくせにッ!」
弱々しく首を振る少女を一喝すると、怒りに目を剥いた少女の倍する叫びが跳ね返ってきた。
「っ!!!」
ビクリ。とテミスの方が震え、数歩後ずさる。そうだ。この目だ。私を……俺を殺した目は……。
「あっ……ごめ……なさい……私……」
テミスの異変に気が付いたのか、息を呑んだ少女がか細い声で謝罪する。そうだ、何を怯えているんだ私は……。
「…………気にするな。それで、君はなぜこんな所に?」
深呼吸をして精神を落ち着けると、テミスは少女に手を貸して立たせながら問いかける。
「ウチは商人に家系なのですが……父も母も買い付けの途中であの魔物に……ユーキまで……」
「フム……魔物。ね……」
テミスは小さく唸ると、先程聞えた無機質な音声を思い浮かべる。あれは生物というよりも、どちらかと言うとプログラム的な……機械のようなものに思えたが……。
「買い付けという事は、君はテプローの人か。ちょうど私もその街へ向かう途中だったんだ」
「えっ……?」
テミスは意識を現実に戻し、気を紛らわせるためにも話題を変える。思考に没頭しようとした途端に、傷がズキズキと痛んだのだ。しかし、少女は面食らったかのようにぽかんとした表情を浮かべていた。
「ん? 何だ?」
「この街道はプルガルドとアルケーにしか繋がっていないはず……冒険者さんみたいな方が居たらわかるのに……」
そう言うと少女は、何かを思い出すようなしぐさで空を眺めはじめる。無いとは思うが、万が一にでも私がプルガルドから来たなどと連想されてはまずいな。
「あ~…アレさ。あの村の空気は私には合わなくてな。今日中に次の町まで行こうとな。それに私は確かに冒険者だが、その前に旅人なんだ」
テミスは慌てて、少女の思考を遮るように声をあげた。これでは少しわざとらし過ぎただろうか?
「なるほど……では、よろしければご滞在の間はウチに泊っていってください。大したものは出せませんが……」
しかし、少女は特に気にした様子も無く、痛々しい程に強がっているのが見え見えの笑みを浮かべてテミスに微笑んだ。
「いや……気持ちはありがたいが……」
好意はありがたいが、少しばかり都合が悪い。マグヌス達との会話を聞かれたとしても、最悪ひとり言を呟く頭のおかしな奴……程度風評被害で済むだろうが、万に一つという事もある。
「……お願いします。一人は、寂しいから……」
「っっ!! ……判った。世話になるよ」
テミスが首を横に振ると、少女の手が縋るように服の裾を掴んで呟いた。そう言えばそうだったな……短期間に家族を三人も亡くせば、少女にとって家の広さすらも空虚に感じられるだろう。
「でっ……ではご案内しますね!」
テミスは少女に頷き返すと、彼女の空元気に心を痛めながらテプローの町へと向かうのだった。




