406話 友からの手紙
空は青く澄み渡り、小綺麗に設えられた家々からは、陽が昇り切る前から白煙が立ち上る。
魔王軍第十三遊撃軍団。魔王軍唯一の人間であり、軍団長であるテミスが率いるこの軍団に守護されるこのファントの町には、今日も変わらぬ平和な日常が訪れていた。
そんな平穏な町の一角。
町一番の人気を誇るマーサの宿の二階には、この町を守護する軍団長、テミスが居を構えている。
先日、南方戦線から戻ったばかりの彼女にも、等しく平穏は訪れており、普段の彼女であれば、未だ幸福な夢の中で快眠を貪っている時間帯なのだが……。
「クソッ……フリーディアの奴め……。面倒なものを持ち込みやがって……」
酷く散らかった自室で、テミスは目の下に特大の隈を作りながらうめき声を上げていた。
机の上には、大量の書類と彼女に宛てられた数枚の手紙。どれも、帰還した直後に血相を変えた警備兵、バニサスから受け取った物だ。
曰く。これを彼に託したフリーディアの様子は、相当逼迫していたようで……。
「……だからと言って、私にどうしろと言うのだ……」
テミスは手に取っていた数枚の書類の束を机の上に投げ出すと、膝の上に乗せていた分厚い本を立てて、ぐったりとその上へと身を預ける。
革で想定された固い表紙が太腿に食い込んで痛みを発するが、微睡み続ける意識を留まらせ続けるには、丁度良い刺激だった。
「まさか……帰って早々に面倒事とは……。だが……コレが本当なら……」
テミスは歯を唇に突き立てて無理矢理意識を覚醒させると、再び本を開いて調べものを再開する。
――テミスに宛てられた手紙には、フリーディアが書いたと思われるきれいな字でこう記されていた。
『親愛なるテミスへ
もしも、あなたがこの手紙を読んでいるのだとしたら、私があなたに会う事が叶わなかったのでしょう。
本当は、あなたには直接説得して同行をして貰いたかったのだけれど、どうやらそれはできないみたい。だから、一人の友として、志を交えた戦友としてお願いを残すわ。
どうか、私たち白翼騎士団に力を貸して欲しい。
詳細は、同封した資料を見てくれればわかるはずよ。
今も虐げられている人たちを救う為って言うと、あなたはきっと嫌な顔をするのでしょうね? だから、今回だけはこう言うわ。
あなたが掲げる正義を為すために、私達を助けて欲しい。私達は無辜の民を救うため、あなたはあなたの正義を貫く為。私達はあなたの邪魔をしないと誓うわ。
最後に、どこで何をしているのかは知らないけれど、あなたが来てくれると信じているわ。
親愛を込めて。フリーディアより』
恐らくは、彼女も苦渋と共に考え抜いたのだろう。助力を乞うその手紙には、普段の彼女であれば絶対に口にしないような文言が記されていた。
それどころか、あの偏執的なまでに頑固なフリーディアが、テミスの掲げる正義を邪魔しないとまでのたまっている。
これは明らかな異常事態だった。
だが、同封された資料を見て、テミスはさもありなんと確信する。
フリーディアの手紙に同封された書類は、人間領のとある都市についての調査報告書だった。
曰く。その町はロンヴァルディアの城下町に匹敵するほどに大きく、この戦火の中でも大変栄えていたらしい。
曰く。この地を任された冒険者将校が、水面下でロンヴァルディア本国に反旗を翻していたらしい。
ここまでなら、テミスは鼻で嗤って即座に手紙と資料を投げ出していただろう。
しかし、資料はさらにこう続いていた。
曰く。冒険者将校は町の名を『ヤマト』と改め、彼と同じ力を持つ者達を集めているらしい。
曰く。『ヤマト』は冒険者将校とその仲間達に完全に掌握され、町の人々は下民として奴隷に等しい日々を送っているらしい。
曰く。『ヤマト』は、冒険者将校の、冒険者将校による、冒険者将校の為の町を自称し、彼等と彼等の正当な権利を保証すると謳っているらしい。
「ったく……助けを求めるなら、このヤマトが何処かくらい書いておけっての……」
テミスは古びた本を閉じると、今度は壁に貼られた地形図へ歩み寄り、その一か所に大きくバツ印を付ける。
人間領と魔王領は分かたれて日が長い。
これは、フリーディアにとっても誤算なのだろうが、魔王軍側が把握している人間領の情報は前線に近いものが殆どだ。
内地へ行けば行くほどその情報は乏しく、フリーディアの残した断片的な情報では、こんな古文書じみたモノまで引っ張り出して調べなくてはならない程、両陣営の溝は深まっていた。
「冒険者将校の……否。転生者の、転生者による、転生者の為の町……か。そりゃ、そんな物を創れば、フリーディアが譲歩する程度には醜悪になるだろうさ……」
テミスはそう吐き捨てるように呟くと、本を片隅に置いて立ち上がり、新たな資料を求めて部屋を後にする。
その衝撃で机の上から舞い落ちた一枚の写真には、彼女が見知った名前……フィーンの名と共に、栄えていた町をそっくりそのまま貧困へ突き落したような地獄の風景が切り取られていたのだった。




