401話 希う未来
「さて……と……」
トーマスが立ち去った方向を見つめていたテミスは、しばらくたってからようやく目を逸らして一息をついた。奴の思惑はどうあれ、少なくとも今の窮地は脱したと判断しても良いだろう。
「それで? お前はこれからどうするつもりなんだ?」
テミスは無理矢理に頭を切り替え、目の前で所在無さげに佇むミコトへと声をかける。その足元には今も、先ほど棄てられた彼のガンブレードが転がっていた。
「これから……ですか?」
「あぁ。我々に同行するにしても、その立場は如何様にでもなる。捕虜としてただ眺めるもよし、食客としてお前の力を貸してくれても構わん。……私としては、後者の方をお勧めするがな」
「……へっ? いや……ですが……」
その問いかけに目を白黒させるミコトに構わず、テミスはその傍らまで歩み寄ると、足元に転がるガンブレードを拾い上げて差し出す。
ミコトにも何かしらの事情はあるのだろう、だがテミスとしても、捕虜待遇でただの伝書鳩として燻らせておくのなら、表面上だけでも協力させておいた方が、費用対効果も安く済むし、何かを企んでいるのだとしても尻尾が掴みやすい。
「こう見えて、十三軍団は万年人手不足でな。どうせ共に来るのならばその力を貸して欲しい」
「っ……! テミス……さん……」
「どうだ……? そちらとしても悪い条件ではない筈だが……」
テミスはミコトに微笑みかけると、その迷いをほぐすように柔らかな声色で問いを重ねた。
もしも、ミコトがこちらへ何かを仕掛ける為の『枝』であったとしても、動きやすい食客の座を選ぶだろう。何もわざわざ、自分から拘束を受けに来る奴など存在しない。
――だが。
「……本当に、良いんですか?」
「っ! 何……?」
差し出された武器を受け取らず、ミコトはテミスの目をまっすぐ見返して問い返した。
その目には、テミスすら一瞬たじろぐほどの眩い覚悟と、誠実な光が宿っていた。
「敵である僕に、武器を持たせて本当に良いんですか……と聞いているんです。テミスさん……僕は正直で居たい。僕達の避難先になるかもしれないあなた達だからこそ、偽らざる心で向かい合いたい」
「………………」
「今の僕はまだ、あなたたちの事を何も見ていない。だからこそ、レオン達に危険が迫れば、あなた達の何を犠牲にしてでも救いに走ります」
ミコトは黙り込んだテミスを見据えて、微かに震える声で自らの覚悟を告げた。
武器は敵の手の内で、ミコトの生殺与奪は文字通りテミスの手の内にある。そんな状況だからこそ、ミコトは偽らざる本心をテミスへ告げたのだ。
「フン……。クククッ……。アハハハハッ!!」
しかし、しばらくの沈黙の後。
テミスはまるで嘲笑するかのように小さな笑みを零すと、そこから耐えかねたかのように大きな笑い声をあげる。その声は広い洞窟内へキンキンと反響し、まるで悪魔か何かが狂笑しているかのような音へと変化する。
そして、テミスはひとしきり笑い終えた後。差し出していたミコトのガンブレードを、軽く持ち主の胸へと押し付けて返却した。
「思い上がるな。サキュド一人にも勝てないお前が、たった一人で我々に被害を出せるとでも? お前の望みは、皆と共に笑って過ごす事なんだろう? 犬死には避ける筈だ」
同時に、蝋燭が蕩けたような狂笑を浮かべて嗤いかけ、ミコトの手がガンブレードを受け取るまでグイグイとその胸板へ押し付けながら言葉を続ける。
「断言しよう。お前の持つ知略万策の全てを以てしても、我々の手の内のお前が私達を敵に回して帰ることは不可能だ」
「っ……!! 解りませんよ? 窮鼠は猫を噛む。人質を取れば僕だって……」
「やってみると良い」
「えっ……?」
力強く押し付けられる愛剣を溜まらず受け取ると、ミコトは虚勢を張ってテミスの言葉に受け答える。
だが即座に、その虚勢はテミスの言葉によって打ち砕かれた。
「お前がこれから向かうのはファントの町。お前の友が居るこのエルトニアから遥か北に離れた城塞都市だ。人質と襲撃に気を使いながら、十日十夜を不眠不休で走れるというのなら、話は別だが?」
「っ……ぁ……」
ズシリ。と。
改めて突き付けられた事実に、ミコトは手の中のガンブレードが急激に重みを増したように感じた。
理解していた筈だ……相応の危険が伴うと。
覚悟はできていた筈だ……親友達の元から、独り離れる事になると。
それでも、皆で求めた安住の為に、魔王軍とエルトニア……そして、トーマスから皆を守るために、やるしかないと決意したはずなのに……。
助けてくれる友は居らず、周りを囲むのは敵ばかり。そんな真実をこうして見せ付けられると、心が折れそうになる。
「……止めておくのなら今の内だ。悪い事は言わないから、仲間の所へ帰れ」
テミスは唐突に狂笑を収めると、目を見開いて震えるミコトへ静かに告げた。
ふるいをかけてみて確信した。ミコトを縛っているのは、精神干渉術式なんてチャチな代物ではない。もっと重く、譲れないもの。
輝かしい宝物であるそれは、時として己が身を捧げる程の呪いにもなり得るのだ。
「正直、安易な自己犠牲精神で来られても迷惑だ。お前達が真に善人だと言うのなら、困ったときはきっと誰かが助けてくれるだろうさ……」
俯いたミコトへ背を向け、テミスは皮肉気に言葉を投げかけながら休息待機する十三軍団の元へと歩き始めた。
ここで彼を連れて帰ったが最後、南方へ戻るのは容易な事では無くなる。最悪の場合、この手でミコトの首を刎ねる事になる。
そんな寝覚めの悪い結末は勘弁だ。
心のどこかで、テミスがそう嘯いた時。
「世界はそんなに……甘くないッ!」
「――ッ!!」
食いしばった歯の隙間から絞り出すような声と共に、立ち去ろうとするテミスの腕をミコトの手が掴んで引き留める。
「何のリスクも負わないまま、ただ自分たちの幸せを望んでも、それは決して手に入る事は無い」
「フン……どこぞで聞いたセリフだな。……それで?」
「食客として、僕を十三軍団に置いて下さい! 僕は僕の未来の為に、微力ながらあなた達に力を貸します!」
ガチャリ。と。
ミコトは派手な音を立ててガンブレードを腰に付けると、テミスの腕を掴んだまま深く頭を下げて懇願した。
その顔には、先ほどまでの恐れや迷いは無く、溢れんばかりの意思に満ち溢れていた。
「……そうか。では行くぞミコト。全体に通達。出立は十分後だ」
テミスはミコトの手を払うと、一瞥すらせずにぶっきらぼう口調でそう告げた。
しかしその口元は、どこか満足気な笑みが浮かべられていたのだった。




