392話 強者たる矜持
戦闘開始から一時間。エルトニア軍対魔王領戦線後方地帯。
「くぅっ……!? なんで魔王軍の連中がこんなところにッ……!!」
「前線はどうなってるんだ!? こちらが優勢なのではなかったのかッ!!」
戦時中でありながら、後方地域故の安穏とした平穏は消え去り、そこは今や攻性魔法と銃弾が飛び交う地獄の戦場と化していた。
「っ――! 見ろよアレッッ!!」
「――人間ッ!? クソッ!! 裏切り者かよッ!!」
その先頭をひた走るテミスの姿は嫌でも敵の目を引き、数多の攻撃がその命を刈り取るべく逼迫する。
――だが。
あろう事か、テミスはそんな攻撃を一瞥する事すらせず、ただ前だけを見つめて突き進み続けた。
無論。迎撃も回避もされなかった攻撃が自然消滅する事など無く、無防備なテミスへ向けて降り注いだ。
「ムゥンッ!!」
「甘いわよッ!!」
刹那。
テミスを守るように、迫る攻撃の前へ立ちはだかったサキュドとマグヌスが武器を振るう。すると、けたたましい音と共に攻撃は弾き飛ばされ、あらぬ方向へ飛んで消える。
「……ご無事ですか? テミス様ッ!」
「あぁ……っ……問題無い」
「っ……!!」
鋭く問いかけたマグヌスに、テミスは息を吐いて笑みを浮かべ、短い言葉で答えを返す。しかし、その頬には隠し切れぬ玉の汗が浮かんでいた。
「テミス様――」
「――黙れ」
その身を案ずるようにマグヌスが口を開いた直後、テミスはその言葉を封ずるように鋭く言い放った。そして、テラテラと血に濡れた大剣を血払いして構え直す。
マグヌスが案じた通り、テミスの調子は芳しくなかった。
今も、こうして最前線を走り、旗印の役目を果たしながら道を切り開いているものの、開戦の瞬間に放った敵戦線を消滅させた一撃の消耗が大きく響いている。
故に。テミスは防御すらもマグヌス達に任せ、ただ回復に努めながら士気を向上させる事にのみ全力を尽くしているのだ。
「勢いが止まったぞぉッ!!」
「今が好機だッ!!」
「やっちまえェ!」
そんなテミス達の様子を隙だと捉えたのか。その死角たる背後から、エルトニアの兵たちが猛りをあげて一斉に飛び掛かる。
「フン――雑兵共が」
しかし、テミスはマグヌス達が動くよりも早く、体を捻って大剣を横薙ぎに振るい、襲い掛かる兵士たちを一刀の元に切り伏せる。
だが……。
「チィ……」
ぐにゃり……。と。
テミスは自らの視界が歪むのを感じると、小さな舌打ちと共に、いち早く足に力を込めて体が傾ぐのを防いだ。
前線での無茶は禁物だが、今回ばかりはそうも贅沢を言ってはいられない。
何せ、敵陣を貫いての撤退戦の最中。平たく言えば、合法的な敵前逃亡を成り立たせる為、その行程は多少の無茶をする事が前提に置かれている。
ならば、そんな作戦を立てた指揮官たる私に休む暇など無く、この体を引き摺ってでも前線に立ち続ける義務がある。
「ぉ――おぉァッ!!」
「ひっ……!!」
獣のような気合の咆哮と共に、テミスは振り切った大剣をそのまま下段に携え、少し離れた位置から自分たちを狙っていた兵士の一団へ突撃する。
「よ……止せェッ……!! 斬るなッ!! 降参するゥゥ……!!」
「――っ!」
瞬間。体を回転させて薙ぎ払ってやろうと構えたところで、先頭の兵士が情けない悲鳴と共に手にしていたガンブレードを地面へと投げ出した。
無論。突撃した集団の中のイチ兵士が戦意を喪失したからと言って、繰り出した斬撃を止められるはずも無い。
そんな兵士にテミスは僅かに目を見開くと、剣の軌道を無理矢理変化させて、その隣で迎撃を試みる兵士の身体のみを両断した。
「ヒィゥッ……!! あ……ぁぁっ……」
結果。戦意を失った兵士はテミスと共に仲間の温かな血潮を浴びる事となり、その場にへたり込んで嗚咽とも泣き声ともつかない声を漏らし始めた。
「たす……助けてっ……」
「…………」
「死にたくないッ! 後方だから安全だって……!! だからッ……!!」
兵士は自らを冷たく見下ろすテミスの足元へ縋ると、必死の形相で首を垂れて命乞いを始めた。
「…………」
テミスは、極度の恐怖と緊張で支離滅裂な言葉を垂れ流し続ける兵士を見下ろしたまま、頬に跳ねた血潮を手の甲で拭う。
正直、この手の輩が一番厄介だった。
殺し損ねた事こそまさに、私の不調を体現している。普段であれば、命乞いの声を上げる暇すら与えずに切り払い、物言わぬ骸へと変えてやる所なのだが……。
「テミス様……っ! 殺しますか?」
「うぁ……ァ……」
直後。部隊から突出したテミスの元へマグヌスが駆け付けると、足元の兵士を見据えて太刀を構えた。
だが、テミスは小さく首を振ると、恐怖に震える兵士から視線を逸らして冷たく言い放つ。
「殺す価値も無い」
「では、捕虜に」
「時と場合を考えろ。邪魔な荷物は要らん」
「でしたら……」
「放っておけ。時間と労力の無駄だ。そんな事よりも次だ。可能な限り敵の内側を食い荒らしながら、予定ポイントへ急ぐぞッ!」
困惑するマグヌスにテミスはそう告げ、歯を食いしばって再び駆け出したのだった。




