2話 新たなる生・新たなる世界
「うっ……ん?」
頬を撫でる穏やかな風に、心地の良い目覚めを促される。視界の端をどこからか長い銀髪が風にそよいでいて、その光景はまるで映画のワンシーンのようだ。
「っ……。ここは……?」
そして、身を起こして初めて、自分が木の根元にもたれかかるようにして眠っていたことに気が付く。続いて辺りを見渡すも、目に入るのは大きな街道らしき広い道と森、そして一定間隔に並んだ木々に隠れた長い壁のみだ。
しかも、さっきから俺が発している筈の言葉を語るこの声は……。
「女の声?」
先程からどこからかたなびいていた銀髪も、どうやら自分の物らしい。首を傾げながら自分の体に視線を落とすと、簡素な服に包まれた肢体は細く、小ぶりながらも胸には女性的なふくらみが見られる。
「本当……だったのか……」
呟きと共に人気の無い街道に一陣の風が抜け、少しづつぼやけていた記憶が戻ってくる。神を名乗る女性と話して転生の準備をしたこと、自らの名がテミスだという事、冒険者ギルドとやらに向かう事、そして……。
「能力……。――っ!?」
期待混じりに呟いた時、ガチャガチャという異音が近づいてきていることに気付いた。慌てて周囲を見渡すと草原を挟んだ前方の森から、ボロボロの一団が接近してきていた。
「まるで敗残兵だな……」
その姿を見て、テミスはぽつりと感想を零す。
恐らく軍服であろう、統一された深い緑色の服装は血と泥にまみれ、その顔に生気は無い。オマケに足を引きずる者、腕を吊っている者、怪我をしていない者は一人も居ない有様だ。
「なるほど。戦争か……」
生前は戦争など、どこか遠い地での出来事で、モニターを通した知識しか持ち合わせていなかった。
だがしかし、こうして目の当たりにしてみると、絶対的な安全地帯から好奇心、もしくは知的欲求に従って覗き見るリアルなんかよりも、それははるかに恐ろしくて痛々しい。
「魔族と言うのは、相当強いんだな……」
目を細めたテミスは敗残兵の部隊観察しながら、小さくため息を吐いた。
息も絶え絶えに歩く部隊の人数が十人前後の所を見ると、前の世界における軍隊の規模で言うならば、中隊規模での作戦行動だったのだろう。そして、戦闘を行い帰還している者がいる時点で、少なくとも戦闘開始時は同数若しくは数的有利にある状態だったはず。
「相当強力な能力でないと、前線で戦うのは難しいか……」
部隊はテミスから少し離れた位置の交差路を逆側に曲がり、背を向けて行軍を続けていく。恐らく、そのまま町へ帰還するのであろう。
しかしテミスは、彼らを眺めながら唇を噛み占めていた。意気揚々と前線に出たは良いが、何も成し得ぬままやられてしまったのでは何の意味も無い。
「アレと一緒に歩くのはな……やはり少し試してからにするか」
転生して初めての町入りが敗残兵と一緒なんて、彼らには悪いが縁起が悪いにも程がある。
「さて、と……」
テミスは再びぐるりと辺りを見渡すも、先ほどの一団の他に人の姿は見当たらない。いくら戦時中だとは言っても、大きな町のすぐ側でこれでは、異常ではないだろうか。
「まぁ、今は好都合だが……」
頭を振って思考を切り替える。あくまで自分は異世界人。自分の持つ常識が、この世界での常識と合致するとは限らない。
「宿るとは言っても、使い方や確認の仕方くらいあってもよかろうに……」
テミスはそうぼやくと、目覚めた街路樹に背を預けて空を見上げる。こう言った類の物語はいくつか知ってはいるが、主人公たちの能力は多種多様。それこそ、ここまで厳しい世界であるのなら、その全てがあっても足りない気さえしてくる。
「片っ端から試すしかないよなぁ……」
いっそのことステータス・ウィンドウでも出てくれないかとも思うが、どうやらこの世界にはそんな親切なものは無いらしい。
だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。木から体を離しながら記憶を探り、最近一番気に入っていた漫画の主人公の技を思い浮かべる。最大手の雑誌に載っていた少年漫画で、主人公の必殺技は確か……。
「月光斬!」
テミスはそう叫ぶと、刀を持っている想像で空の手を振り抜いた。たしか、巨大な斬撃を飛ばす技だったはずだ。
「…………」
数秒の静寂の後。ひゅおぉぉぉ~~~。と。タイミングよく一陣の風が流れていく。
それは、特に何も変化が無いことをテミスに告げてきた。つまり、残されたのは見えない剣を振り抜いた格好で羞恥に身を震わせる、銀髪灼眼の女だけ。
「た、た、試すったってこれ、とんでもなく恥ずかしくないか!?」
テミスは悲鳴のような叫びを上げると、文字通り飛び上がって目覚めた街路樹の陰に身を隠した。誰かに見られているなんてことはないだろうが、現実を認識した瞬間に顔が燃えるように熱くなり、独特のむずかゆさに身悶える。
「だ、だがっ……」
ここでやめる訳には行かない。転生者である自分にとって能力とはまさに生命線。これの強さによって、身の振り方を考えねばならない。だが……。
「くっ……くく……何の拷問だこれはっ……」
頬の熱がひかぬうちに木の陰から歩み出ると、次の技を記憶から探り出す。考えてみれば空手の状態なのだ、武器を使用する類の技は検証する意味が無いだろう。
「なるべく、恥ずかしくないやつ……そうだっ!」
いくつか条件を絞って思案し、思い当る。これならば、先ほどの月光斬が本当に不発なのかも試すことができる。
「錬成開始……材質変更、形質設定……」
目を瞑り、白髪の主人公がやっていたように地面に手を添える。先ほどの兵士たちが下げていたような剣を思い浮かべて……。
「錬成。ブロードソード」
ゆっくりと地面から手を引き上げて、恐る恐る目を開いた。これで何も無かったらまた羞恥に身をよじる羽目になるのだが……。
「よしっ」
不安は杞憂に終わり、目の前の地面には幅広の西洋剣が突き立っていた。
「問題はこれからだな……」
テミスはそう呟くと、錬成した剣を引き抜いてその重さや感触を確かめていく。得られた能力がかの主人公のような錬金術を扱う能力なのであれば、現代剣術を齧っているだけの俺は武器屋にでもなるしかない。故に。何ができて、何ができないのかはしっかりと確かめておく必要がある。
「っ……」
テミスは剣を頭上に構え、唾を飲み込んだ。これで技が発動しなかったら、いい年してごっこ遊びに興じる変人武器屋の誕生だ。
「月光斬!」
半ば祈るような気持ちで剣を振り下ろし、技名を叫んだ。発声の必要があるかはわからないが、こういうのは気分が大事だと聞いたことがある。
――頼む、出てくれ!
祈るテミスが上げた視線の先で、空を切る小気味良い音と共に、振り抜いた剣の軌跡から三日月状の白く輝く何かが空へ飛んでいくのが見える。
「おおっ! じゃ、じゃあっ!」
テミスは歓声を上げると、いそいそと構えを変えながら同じ漫画の登場人物の事を思い浮かべる。
かつての男の子心に火がついたのか、少しづつ楽しくなってきた。確かそいつは世界征服を企む黒い雷を操る竜神で、主人公たちと何度もぶつかるのだが……。
「敵の癖に、強くてかっこいいんだよなぁ……」
そう呟くと、テミスはスッと目を閉じて技を放つワンシーンを強くイメージした。
「豪魔雷槌撃っ!」
そして目を開き、技を叫んで再び剣を振り下ろす。今にきっと、斬撃と共に強大な黒い雷が落ちてくるはずだ。
「…………あれ?」
しかし、何も起きない。何が原因なのだろうか……? だが、ここで辞めるわけにはいかない。手札を正確に把握しなくては、土壇場でそれが致命傷になりかねない。
「聖斗十字剣!」
「ダークネスパニッシャー!」
「氷龍烈華ッ」
テミスは再び顔をのぞかせる羞恥に無理やり蓋をすると、次々と技を試していくのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「っぐ……、はぁ~……はぁ~……」
テミスは一通り技を試すと、膝に手をついて肩で息をする。
「つっかれた……」
目覚めたのは朝方だったのだろう、今や太陽は真上まで移動してきていた。
「でも、大体わかってきたな……」
武器や道具を使用する技は、同じカテゴリのものを持っていないと発動しない。
今まで試した技で使えないものは、悪役が使っていた技で、主人公側が使用していた技は、魔法系、斬撃系に関わらず使う事ができる。
筋力や体力などの基礎能力が、生前とは比べ物にならないくらい跳ね上がっている。
使う技は、ある程度アレンジを加えることができる。
「って所か……まだまだ試したいところだけど、そろそろ行かないとな」
テミスは指を折って確認すると、顔に張り付いてくる髪を流し、さながら戦場のごとく周囲に突き立った様々な武器に触れる。
「解除」
一言唱えただけで、錬成した武器たちが土に変化した。これも成功だ。原作の主人公は錬成した武器を土に戻すなんてことはやっていなかったが、解釈次第でここまでアレンジできるとは応用の幅が広くて助かる。
「さっきの兵士たちは、確かあっちに……」
テミスは一通り片づけを終えて、兵士たちが消えていった方角に目を向けた。女神が言うにはとりあえず、冒険者ギルドで登録だったか……。
「人気がないのは良いけど、道も聞けないのは不便だな……」
そうひとりごちりながら、テミスは戦前であれば多くの人が行き来していたであろう、広々とした街道を歩く。広々とした道の真ん中を、独り歩く銀髪の女。ゾンビ映画か何かのワンシーンみたいだ。
「ゾンビ……」
ぶらぶらと街道を歩きながら、未来の敵の姿を想像してみる。
魔王、と言うのだから、ゾンビや骸骨騎士みたいなおどろおどろしい怪物を繰り出してくるのだろうか。
「っと……」
いずれ戦う事になるであろう、まだ見ぬ魔王軍に思いを馳せていると、前方に巨大な門が見えてくる。入り口に衛兵が立っている所を見ると、検問も兼ねているのだろうか。
「まずいな……通行料とか言われたら、一銭も持ってないぞ……」
ダメ元で懐をまさぐってみるが、簡素な服の他に手持ちの物は何もない。錬成した武具を一本くらい持ってくるべきだったか。
「オイ、姉ちゃん」
そのまま試しに、暇そうに突っ立っている衛兵の横をすり抜けて町へ入ろうとするが、下卑た笑みを浮かべた衛兵に呼び止められた。
やはり、通行料なり入場料みたいなものが必要なのか。
「……何か?」
「こっちへ来い。ボディチェックだ」
「はっ……?」
通行料とか言われれば、引き返して方法でも考えようと思っていたが、予想外の方向へ飛んだ話に思考がフリーズする。
厚着をしているのならまだしも、俺は今簡素な服一枚で着の身着のまま。手荷物もないし、ボディチェックなんてする必要が見当たらないが……。
「最近物騒でなぁ、魔族の手の者が入り込むといけないもんだからよ」
そんな事を考えている間に、足早に近付いた衛兵がニヤニヤとした笑みを浮かべてテミスの肩に手を置いた。同時に、テミスの背中を悪寒と虫唾が駆け抜けていく。
「なるほど……そういう事か」
テミスは衛兵に聞こえないように呟き、一人で納得する。
よく観察してみれば、ボディチェックを実施するのなら兵の配置がおかしい。最低でも、この男ともう一人は配置しなければ、一人をチェックをしている間に別の者に侵入されてしまう。
「チッ……」
テミスは肩に回された衛兵の手に促されながら小さく舌打ちをした。
つまり俺は、この男の暇つぶしの手慰みとして、非常に不本意ながら見初められてしまった訳だ。
これから人類の為に戦う者に対してこれはあんまりな扱いなのではないだろうか?
だが、ここでもめ事を起こして犯罪者扱いされては元も子もないが……。
「ハァ……ボディチェックなら、早く済ませてくれないか?」
結局テミスは、その程度で町に入れるならと割り切り、軽く両手を広げて応じる姿勢を見せる。この手の輩には非常に虫唾が走るが、こういう類は問答する方が時間の無駄だ。後から然るべき所へ通報してやらねばなるまい。生前ならば、この場で逮捕してやるというのに。
「へへっ……決まりだからな。そこの壁に両手を付きな」
「っ……」
いつか動画で見た某国の被疑者のように、テミスは指示に従って壁に手を付くと、簡素な服の上から男の手が体をまさぐっていく。案の定、胸やら脚やら重点的に。気持ちはわからんでもないが、そんなに大きく設定していなかったから、大して揉みごたえのあるモノでも無かろうに。
「満足したか? こんな貧相な体で済まないな」
しばらくの間為すがままにしてやった後で、鼻息を荒くし始めた衛兵に皮肉を混ぜて声をかける。
一応、ボディチェックの趣旨は覚えているのか、帯の付近の脇腹やらも確認していたのは褒めるべきなのだろうか。まぁ、元同類職のよしみもありボディチェックは受けてやったが、これ以上コイツの劣情に付き合ってやる義理も無いだろう。
「いや、まだ――」
「いい加減にしろ。これ以上を望むのであれば、詰め所なり本部なり……然るべき場所でお相手しようか?」
「ぐっ……」
テミスが瞳に力を込めて睨みつけると、食い下がろうとしていた衛兵は小さくうめき声をあげた後ずさった。それを確認したテミスは、小さく鼻を鳴らすと確信する。やはりボディチェックとやらはこいつの趣味だったか。
「では、失礼する」
テミスはそう言い残すと、何かしら言いたげな目でこちらを睨みつけてくる衛兵の視線を受け流して町へと足を踏み入れた。
セクハラというものは初めて体験したが、如何とも気色の悪いものだ。あの世界の女性たちが、ああまで声を上げるのが真の意味で理解できた気がする。
「しかし、まぁ……セクハラされる自分を、こうまで客観視できるのはなんというか……悲しいものがあるな」
衛兵の姿を思い返すと、一応、元・男として悲しくなる、劣情に身を焦がしながらわきわきと体をまさぐる男のなんと情けない事か。
テミスはため息を吐くと、どこか悲しげな表情を浮かべながら町の中へと入っていった。
12/31 加筆修正しました
2020/11/23 誤字修正しました