389話 覆水盆に返らず
テミスとシモンズの悶着が終息し、司令部に流れる空気も普段通りの適度な緊張感へと戻った頃。修繕された扉を潜り抜けて、満を持するようにタラウードが姿を現した。
そして、一度入り口で立ち止まって室内を一瞥した後、悠然とした歩調で最奥の席へと腰かけた。
「諸君……時は来た……」
その直後。着座して早々にも関わらず、タラウードは静かに、しかし内に秘めた熱い思いを押し殺すように声を上げる。開始の宣言も何も無い、それが合図だったかのように司令部は静まり返り、テミスを除く全員の視線がタラウードへと集まった。
タラウードはその視線を受け止めると、その巨大な拳を固く握り締め、絞り出すように言葉を続けた。
「エルトニアの前面攻勢が始まってから、我等は苦戦を強いられてきた。いったいどれほどの兵が討たれ、幾つもの尊い命が失われたことだろうか……だが、此度の戦いによって、舐めさせられ続ける敗走の苦渋を奴等へ突き返すのだッ!!」
「おぉ……」
「では……」
ざわ、ざわと。
タラウードが放った熱の籠った演説に、軍団長を除く同席した兵士たちが息を漏らす。
その目には確かな希望が光を灯し、各々が思い描く『明日』の反攻に胸を躍らせていた。
「フン……」
しかし、ようやく作戦会議とやらが始まった事に気が付いたテミスは、小さく鼻を鳴らして沸き立つ兵たちに冷たい目を向けていた。
どうやら、私はこのタラウードという男を見くびっていたらしい。
脳筋馬鹿の愚かな指揮官かと思いきや、存外に旗印として希望をちらつかせる術は上手い。
今でも、具体的な事は何一つ口にせず、あえて過去の敗北を口にする事で兵士たちの口惜しさを煽り、自らの攻勢意識を匂わせる事によって、まるで反転攻勢を仕掛けて戦況を引っ繰り返す秘策が如き希望を持たせた。
「……将兵ともあろう者がだらしない」
ボソリ。と。
沸き立つ兵士たちのざわめきに紛れて、テミスは小さく呟きを漏らす。
発言権の有無は知らないが、この場に居合わせる資格を持つのだ。希望に目を輝かせている彼等は、決して低くない地位にある者だろう。
だと言うのにもかかわらず、内容の無い薄っぺらな甘言に踊らされ、思考を放棄している。それがタラウードの施策故なのか、典型的なイエスマン思考だった。
「…………ウム。諸君の思いは、儂も痛いほど理解しておる。故に」
長い沈黙の後。
タラウードは周囲のざわめきにニンマリとした笑みを零して言葉を再開させた。
その言葉はあまりにも単純で、予測できるものだったが、事前のお膳立てによって最大の効力を持って発される事になる。
「儂はここに、一斉反転攻勢計画を提案するッ!!」
「っ――!?」
馬鹿か……? こいつは!?
周囲の兵士たちが雄たけびを上げる中で、テミスは一人驚愕に打ち震えていた。
確かに、南方軍に十三軍団が加わり、現状の南方軍の戦力はかつてない程に大きくなっているだろう。だが、十三軍団は視察扱いの援護部隊。後退に後退を続けていた根本の戦力差は変わらないのだ。
「ホッホッ……好機とあらば、叩くべきなのでしょうな」
「……異議は無い」
「なっ……!?」
しかし、この場に同席する他の軍団長達から反対意見は出ず、その事実がさらにテミスを混乱させた。
総司令であるタラウードとは異なり、彼等は少なからず前線に出ているはずだ。だと言うのに……。
「――っ!!」
刹那。
テミスは自らを見つめ続けるルカの視線に気が付いた。
その顔には非常に渋い表情が浮かべられており、テミス以外の軍団長でただ一人、正しく現実を認識しているかのように見える。
「――ッ!! 私は反対だ」
「ホゥ……?」
その視線を受け、テミスはぎしりと歯を食いしばってから声を上げる。
タラウードは兵士たちの心を奪った後でこの提案を出している。即ち、ここで彼の計画に反対する者は、少なからず兵たちの反発を受ける事になる。
だからこそ、ルカは黙り込んでいるし、他の軍団長連中も異議を唱えないのだろう。
だが、私は違う。
そもそも、南方軍に属している身では無いし、この場に十三軍団の者は居ない。
「まず、一斉反転攻勢計画と云うが、具体案は? その目標は? 敵戦線の何処を叩く? 明確な作戦案も出されていないというのに、賛成などできる筈もあるまい?」
「ククッ……フフフッ……。十三軍団長ともあろう者が随分と慎重らしい。だが、案ずる事は無い。我等はそもそも対等な軍団長だ……細やかな作戦は各軍団長が判断すべきだろう。ギルティア様より総司令の役を拝命しているとはいえ、立場は変わらんのだからな」
「……? ギルティアが何だと言うのだ? 総司令と言うなら――」
「――あぁ。ゆえに儂が指示するのは、各軍団の配置のみよ」
「ッ――!!!!」
瞬間。
テミスは自らの間違いに気が付いた。
なるほど。一度崩された南方軍が撤退に撤退を重ねる筈だ。
魔族は連携という物をしない。『個』で強力な力を有するが故に、『群』として動く意識が欠如しているのだ。それは、軍団という『個』の運用にも現れる訳で。
事前に決められた戦場のみを守る彼等に、『軍』として動く意識は無い。故に、どこか一つの戦線が抜かれた瞬間、南方軍たる『群』は瓦解する。そんなザマでは、幾つ軍団を用意しようが、一個軍団で全軍を相手取っているのと変わりはしない。
「彼我の戦力差を考えろ! 我々は戦争をしているのだぞ!? 各軍団の連携無くして勝利はあり得ないッ!!」
「無論だとも。故にこうして軍団同士の目標を同じくする為、作戦会議を開いているのではないか」
「っ……」
これは駄目だ。
数回言葉を交わして、テミスは完全に理解する。
そもそもの話、根本的な所で意識のレベルが異なっている。こいつらにとっての戦争とは、軍団を以て敵を蹴散らし、力あるままに蹂躙する事。それ以上の次元の戦闘など、端から考えた事も無いのだろう。
だからこそ、現状において負け続けている事の原因に気が付いていない。
自らの軍団が十全を尽くしたにも関わらず、後退している現状がどれほどまでに滑稽な事なのかを。
エルトニアは恐らく、その歪みに気が付いたのだろう。
一個軍団が退けば、戦線全体が後退せざるを得ない彼ら南方軍の歪みに。
「……知らんぞ。私は確かに忠告したからな」
最早手に負えない。
これならばまだ、人間と手を組むという発想に至ったドロシーの方がマシではないか。だが……原因は突き止めた。ならばこれを早急にギルティアの元へ届けるのが一番の解決策だろう。
そう判断したテミスは席を立ち、司令部を去るべくタラウードに背を向けた。
――しかし。
「ウム。貴隊は最前線だ。誉れある先鋒として、存分にその力を発揮してくれることを期待する」
「…………はっ?」
その背にかけられた言葉に、テミスは思わず凍り付いて疑問符を浮かべた。
先鋒? 最前線? 何を言っているのだ?
「あ~……総司令殿? 我々十三軍団はあくまでも視察部隊。南方軍の旗下ではなく、今回は魔王直属の筈ですが?」
「然り。故に協力を要請したのだ。友軍として力を貸して欲しい……とな」
「だから……最前線に立てと?」
「たった一個軍団であれ程の戦果を叩き出した、貴隊の強さならば問題あるまい? 儂の茶々が無ければ《・・・・》、陥落せしめたのだろう?」
「グッ……!!」
ニンマリとした笑みを浮かべながらそう告げるタラウードに、テミスは歯ぎしりと共に息を呑んだ。
吐いた唾が飲めぬとはまさにこの事だった。奴を追い詰める為に放った一言が、よもや自らの首をも絞める事になろうとは……。
「フフ……フハハハ……。これ以上異論が無ければ、これにて解散とする。各隊の奮戦に期待する」
口を噤んだテミスにタラウードは低い笑い声を響かせると、勝ち誇った笑みを共に会議を締めくくったのだった。
表紙絵も更新しました!
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