388話 這い寄る悪魔
数日後。
テミスは十三軍団の軍団長として、はじめて南方軍司令部で行われる、作戦会議に出席していた。
通達では、作戦に参加する軍団の軍団長は、定期的にこうして意見交換や各々が抱える戦線の状況を報告し合うらしい。
「ようやく認められた……という訳ではなさそうだな……」
テミスは周囲から注がれる視線を一瞥すると、小さなため息とともにそう零して沈黙する。
向けられているのは、ルカ達から向けられるものを除けば主に三種類の視線。恐らくタラウードの配下であろう者達からの憎しみの視線、そして何かを探るように見つめる疑心の目と好奇の目だった。
そんな中で、一つの小さな人影が、ゆっくりとテミスの元へと近付いていく。
「……何の用だ?」
「ホッホッ……怖い怖い。ただ……自己紹介をしておこうと思ってのぅ」
「フン……見え透いた嘘だな。今隠した手の術式は何だ?」
「ハテ……? 何のことかね?」
ニヤリと笑みを浮かべたテミスが指摘すると、テミスに近付いた人影……小柄な老人のような男は、その背からヒラヒラと手を出して宙を躍らせる。
そこには術式どころか、魔力の片鱗すら残ってはいなかった。
「……手品師に用は無いぞ?」
「ヒョホホ。そう逸るでないよ。儂はシモンズ・レイヒット。こう見えて、ギルティア様より第十一軍団を預かる軍団長じゃ」
「シモンズ……死霊術師か……」
「ホホっ! 新進気鋭の軍団長殿にお見知りおき戴けて光栄じゃのぅ」
シモンズはまるで、好々爺のように朗らかな笑みを浮かべると、テミスの真横へ立って視線を合わせる。
「っ――」
種族の特性なのか、はたまた歳のせいか。シモンズの身長は女性の中でも小柄なテミスの座高とほぼ同じだった。
だが、こうして間近まで近付いて初めて、テミスは目の前の老人が、その飄々とした態度とは裏腹に底知れぬ魔力を秘めている事に気が付いた。
「……そう警戒なさるな。一つ、聞きたいことがあるだけなのじゃ」
シモンズはそう言うと、柔らかな笑みを浮かべてゆっくりとテミスの肩へその手を伸ばした。
その動きは、まるで剽軽な老人のズれたスキンシップのようで、その場の誰もが興味以外の目的では注目などしていなかった。
しかし。
――バヂィッッッ!! と。
シモンズの手がテミスの肩へ触れた途端、まるで感電でもしたかのように煙を上げ、大きな音と共に弾き飛ばされる。
「手品師に用は無い……そう言ったはずだぞ? シモンズ殿」
「ヒョ……ヒョ……反魔法……。どう見ても、ただの人間の小娘にしか見えないのじゃが……。なかなかどうして面白い」
先ほどとは打って変わって、室内の注目が一気にテミス達へ集まった中で、シモンズは焼け焦げる自らの手を眺めながら微笑を零した。
そして、クルリと背を向けて距離を取ると、テミスを振り返って満面の笑みを浮かべて口を開く。
「面白い……実に面白い。どうやらその実力……本物のようじゃのぅ」
シモンズはそうカラカラと笑いながら一歩を踏み出し、用件は終わったとばかりに立ち去ろうとする。
だがその背に、あてがわれた椅子の上で足を組み、不敵な笑みを浮かべたテミスの声が投げかけられる。
「シモンズ殿。聞きたいことがあったのでは?」
「答えて……くれるのかね?」
その呼びかけに、シモンズはピタリと立ち止まって言葉を返した。その声色からは、先ほどまでの飄々とした軽さは無く、虚無から響くが如き不気味さが漂っていた。
「今、何があったのかは興味があるのですがね?」
「ホッホッホッ……この儂を呼び止め、その手の問いを持ち掛けて来るとは……」
「クク……せっかくの土産が火傷だけでは、先達に対して無礼かと思いましてね」
刹那。シモンズの声のトーンが一気に落ち、その身からビリビリと強烈な威圧感がテミスへ向けて放たれ始める。
しかし、テミスは椅子に腰かけたまま不敵な笑みを浮かべたまま、悠然とした態度で応じていた。
「ヒョホホ……傲岸にして不遜。素晴らしい気骨じゃ。良かろう。その意気に免じるとしようか……」
そう言ってシモンズは再びテミスの元へ踵を返し、数歩の距離を保って口を開いた。
「率直に訊こう。お主の部隊を留めたのは、レオン・ヴァイオットか?」
「――っ!」
ピクリ。と。
唐突に突き出されたその名前に、テミスの眉が微かに跳ねる。
「そいつが……何か?」
「いんや? もう十分じゃ」
「……チッ」
しかし、シモンズはニンマリと笑みを浮かべてそう告げると、テミスを見据えたまま半歩後ろへと退く。そして、ゆっくりとその身体を前へと屈めると、テミスに耳打ちをするような格好でひそやかな声で囁きかける。
「お主に施そうとした魔法は、生者返し《ダライブ》。生ける者の気を反転させ、我等の傀儡とする死霊術師の秘術よ」
「…………っ。油断も隙も無い爺だ……」
そう言い残し、高笑いと共に立ち去っていくシモンズの背を、テミスはその頬に冷や汗を伝わせながら見送ったのだった。




