34話 プルガルド
数日後。テミス達はプルガルドの町に姿を現した。
今回は隠密行動という事もあっていつもの装備ではない。マグヌスはぼろのマントを纏って装備を隠し、サキュドに至っては姿そのものを大人びたものへと変えている。そして私は冒険者風の軽鎧を身に付け、背中には例の大剣を背負っていた。
「まさか……そこまで姿が変わるとはな……」
テミスは隣を歩く女性を軽く見上げながら呟いた。本人曰く、この大人の姿は魔力出力が大きいため燃費が悪いらしいが、別に戦闘を行う訳ではないのだから構わないだろう。ただ何故だろうか。体の一部から凄まじい敗北感を感じるのは。
「っ……これは……」
テミスはサキュドから目を離し、町を見渡してすぐに気付いた。
ファントに比べるとかなり簡素な造りだが、本質はそこではない。目の前に広がる光景の異様さが、件の施設の存在を明白に物語っていた。
所謂、魔族と呼ばれる種族は多く居るのだが、テミスはこの町に来てから一度も人間の姿を見ていなかった。
「テミス様、何か?」
「……マグヌス、気付かんか? この町の異常さに」
「ハッ……? 異常……でありますか?」
テミスがサキュドとは逆側に立つマグヌスを見上げながら問いかけると、マグヌスは不思議そうに首をかしげて辺りを見渡す。魔族の側である彼に問うのは少し意地が悪かっただろうか?
「……サキュドは?」
「…………」
「やれやれ」
逆側のサキュドにも尋ねるが、彼女は何も答えずに目を逸らしてしまった。この任務が決まった時からこの調子なのだ。どうやら彼女の性格上、一度嫌った存在は近付く事も、視界に入れておく事さえ厭うらしい。
「テミス様。よろしければ、その「異常」をお教えいただけませんでしょうか?」
「マグヌス。もう一度、周囲を良く見渡してみろ。ファントとどう違う?」
「はっ……違い……でありますか……」
テミスが命令と共に小声でマグヌスに助言を与えると、彼は再び注意深く町を眺めはじめる。ふと気が付いたのだが、何故か周囲の視線がどこか温かい気がするのは何故だろうか。
「……どうだ?」
「前線にしては平和で……豊かな町かと」
ひとしきり村を見渡して出したマグヌスの答えは、ひどく凡庸な物だった。前の世界でもそうであったように、この世界においても人種の壁と言うものは存在するらしい。
「ハァ……その豊かな町に、人間は居るか?」
「っ! ……そう言えば……申し訳ありません。このマグヌス、目が曇っておりました」
テミスがため息交じりに答えを提示してやると、往来の真ん中でマグヌスが頭を下げる。それと同時に、生ぬるかった周囲の視線が好奇心を含んだものに変化する。
「……良いから頭を上げろ。隠密任務である事を忘れるな」
「っ……! 失礼しました」
テミスは声と同時にマグヌスが頭を跳ね上げるのを確認すると、頭の中に町の全体像を思い浮かべる。確か、そう大して大きい町ではなかったはずだが、後ろにある南門から北門までは1キロほどあったはずだ。
「ゲン担ぎに持ち歩いてはいたが、役に立ちそうで何よりだな」
そう呟くと、テミスはパンパンに膨らんだ自らの荷物をチラリと見やる。今でこそ軽鎧とセットで仕立てた帽子のようなもので隠れてはいるが、出歩いたりするのであれば耳を隠すのは必須だろう。
「フム……まずは拠点か。サキュド、いい宿を知らないか?」
「っ……こちらです」
テミスがサキュドを見上げて問いかけると、彼女は不機嫌な顔のままゆっくりと先導を始める。気持ちはわからんでもないが仕事なのだ。どうにか割り切って欲しいものだが……。
「こちらです」
十分ほど歩いた頃だろうか。
テミスが頭を悩ませながらサキュドの案内に従って歩いていると、先頭のサキュドが一軒の宿屋の前で立ち止まった。見た所、他の建物よりも古く、薄汚れているようだが……。
「おいサキュド。テミス様はいい宿と言ったんだ。機嫌が悪いからといってこのような場所に案内するなど、副官の名折れだぞ」
「……名折れはアンタよ、マグヌス。外面に騙されやすいのはまだ直っていないのね」
ピクリと眉を動かしただけのテミスを追い抜いて苦言を呈したマグヌスに、サキュドの冷ややかな視線が突き刺さった。
「この宿はプルガルドで唯一、私になびかなかった宿なのよ」
「……どういう事だ?」
テミスが問いかけると、サキュドは苦虫をかみつぶしたような顔で語り始めた。
「前に北の援軍でこの町に寄った時、施設のあまりの酷さに耐えかねた私は町ごと支配して作り変えてやろうと思ったのよね」
「なっ……待て、まさかとは思うがあの時か?」
この女。妖艶な笑みを浮かべて、とんでもない事を言い出した。他軍団の旗下にある町を支配下に置くなど、問題にならないはずがないのだが……。
「ええ。結局しなかったし、バルド様にバレてとんでもなく叱られたんだけど……その理由がこの宿なのよ」
「っ……聞こうか」
ゴクリ……。とテミスの喉が無意識に生唾を飲んだ。こんなでもサキュドは十三軍団の副官を務める実力者なのだ。戯れとはいえ、ただの町人が彼女の支配に対抗できるはずがないのだ。
「別に単純な話。この宿の主人が私の誘惑魔法に耐えきったってだけ。全部が終わった後に少し話したけど、自らの職に誇りを持った良い主人よ」
「なる……ほど……」
ポタリ……。と。テミスの頬を冷や汗が伝った。サキュドの誘惑魔法は確かに、強靭な意思や精神を持った者には効きづらい。だからと言って、対魔導訓練も受けていない一般人が耐え切るなど、尋常な意志力ではない。
「理解した。つまりここであれば、万に一つでも情報が漏れたりすることが無いという事だな?」
「ええ」
「解った」
確かに。どこぞの宿屋のように厄介事を連れて来られても困るし、情報セキュリティの観点で見れば、誘惑魔法ですら情報を漏らさないというのは信頼できるだろう。
テミスは一度頷くと、サキュドとマグヌスの間をすり抜けて宿に入る。
そこに広がっていたのは、元の世界の宿を更に小さくしたような形の、小さなカウンタースペースだった。
2020/11/23 誤字修正しました




